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土井平蔵の中庭

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ゴトランド

●前回の日記の太平山の記事は削除しました。秋田に太平山っていくつもあるのでゴッチャになったんすな。
 むかしは「おいだらやま」と読んだという事だけ書いときたかったので。

●ぶっちゃけていえば太平山=大三王子=ダイダラボッチです。で、大三王子=大物主=大国主=オオナムチだと思ってますけど。
 もう日本中の神社でオオナムチ(力の象徴)とスクナビコナ(知恵の象徴)がセットで祀られてます。二王子です。

●この二王子信仰というのも古代では一般的だったみたいすな。それがどういうわけか富士浅間(ふじせんげん)信仰と結びついてる。
 というところで思い出したのが「縄文時代の富士山は2つの連山だった」という話です。ブラタモリでやってたんですが(ぇ
 つまり筑波山みたいな形してたわけで。二つ山です。

●で現在の富士には何が祀られてるか…というとコノハナサクヤ姫ですね。でこの女神様はアタ系(周)の人ですね。
 でも何でかカモ系(秦)の神社でもこの女神様を珍重してるフシがある。じゃあカモ系の女神様なのか…。ごちゃごちゃ…。

●弥生時代のアタ・カモによる抗争は…たぶんカモ族優勢だったと思うんです。で、やっつけたアタ族の神を根絶してしまうか…というと古い住民が反発するでしょうね。いくら農地を獲得しても住民がいなければお米とれないので。だからアタ族を懐柔する。
 という過程で「アタ・カモ習合」という事が行なわれたんではないかと。

●これは飛鳥時代以降における神仏習合とほとんど事情は同じです。またそれ以前にもカモ氏による賀茂信仰と仏教が習合して修験道が生まれた…と思ってますけどね。
 大和朝廷はカモ系の氏族でありながら古いカモ系の豪族を排斥したかったんです。だから仏教を取り入れた。
 排斥された側のカモ氏も生き残りのために仏教観を取り入れて修験道を生み出した…という流れかと。それが役小角であり空海だったかもしらない。

●…と似たような事をネチネチと考えつづけてた人が秋田太平山の麓にいたんすな。何かの因縁というか…。平田篤胤という人。
 この人はどういうわけかアタ・アサに関わる場所を好んで遊歴してる。でもって師匠が紀伊の本居大平(本居宣長の養子)という人。んでもって「大平」の号をお師匠さんから頂戴してます。
 太平=アタ・アサという事に、無意識的なレベルで気づいてたフシがあるすな。辞世の句にも「あたら」という字を入れてるし。気づいてたな…という。

●修験道の話を色々見てるうちに、やっぱりオーディンおじさんがモヤモヤと出てくるわけで。隻眼で老人でローブ着てて、槍を杖代わりにして、諸国を遍歴しながら奇瑞を残したりする。…何かに似てませんかね。役小角と空海ですよ。あるいはその後輩であるところの修験者。
 こういうのは日本や北欧にかぎらず、古代のシベリア・ウラル地方の遊牧民・狩猟民の信仰としてあったんではないかと。

●そんな昔じゃなくても戦国時代にも一人いるんすな。山本勘助です。
 この人も正体不明というか、伝説まみれというか…ほんとに実在したかわからない。若いころは諸国を放浪し、戦上手で、しかも隻眼ときてる。オーディンが「戦いの神様」でもあったことを思い出しつつ。

●…というだけならたんなる類推にすぎないんですが、山本勘助の出身だという候補地見てると「うおっ」となります。やっぱり三河国加茂なんですよ勘助さん。
 つまり山本勘助像というのは修験道(賀茂信仰)から生まれたイメージなんではないかと。戦国時代の軍師って修験者に近かったそうだし。

●ほかにも円空だとか左甚五郎だとか菅江真澄の放浪人を追ってるとアタ・カモの影がチラチラするすな。導かれるようにその地を訪れて、なんか作ったり書いたりしてる。菅江さんは顔のような埴輪を発見して「これは古代の鎧だ」とかなんとか書いてる。
 菅江真澄はもとは三河国渥美の人ですが、どういうわけか秋田太平山の麓を気にいってその地で亡くなってます。ほとんど導かれるようにストンとそこに…という。
 ちなみに修験者が「聖山」と崇めてる山岳は、むかし王様の宮殿があった場所だと思ってますけどね。自覚的というよりも潜在的に残ってる記憶からだろうけど。

●で、オーディンで思い出したけどブリュンヒルデですよ(唐突
 そういえば北欧神話に「フナランド」って出てきたよな、フナ=フン人って意味だったよな…と思ってブリュンヒルデの記事見たらしっかり「古エッダではフン族」と書いてあり。しかも兄の名前が「アトリ王」ときたもんだ。
 フン人の有名な王がアッティラであり、突厥の王も阿史那氏でしたな。やっぱりAT・ASだと。

●この阿史那氏の称号である可汗。カガン。チンギスハンのハンです。この称号を用い出したのは5世紀ごろからとあるけど、いやもっと大昔からあったとか何とか。それより語源が書いてない。

●このカガンの称号をもった人が日本にもいたんすな。
 それが星神香香背男(ほしのかがせお)、そして多祁美加々(たけみかが)という人です。
 前者は古代史詳しい人なら知ってるだろうけど、じゃあ後者は誰だ。というと他でもない新島の大三王子の本名です。伊豆下田では多祁美加々=応神天皇だという信仰があるそうで…。

●カガって「輝く」の語源になった言葉だそうですが、ほかに星という意味もあるらしい。平田篤胤は「金星だ」とか言ってたそうだけど…まあ明るい星ならシリウスだのデネブだのたくさんあるんですが…まあ金星にしときましょう。
 あるいは加賀国とか足利(あしかが)という地名、筑波山の歌垣(かがい)という古代の風習も星(カガ)から来てるんではないか…。

●だいたい歌を「カ」と読むのは漢風ですよね。あれは当て字だと。自分たちの祖先神であるところの「星神」が居る祭りという意味で「カガイ」なんではないかと。
 星=可汗の因果関係は全然わからないですけどね。

●…というところでちょうどよく気力が尽きる。
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阿島傘

●なんだか連日書いててバカみたいだな…。まあボルテージが尽きる前に書いてしまうという流れで。1日置くとどうでもよくなる事多し。

●大洗の先祖の墓参りに行く途中で、いつも丘の上から「白いおっさん」が顔を覗かせてるので、アレなんだっぺなぁと思ってたらだいだらぼうという巨人。あぁアレがダイダラボッチかぁと。
 昔はそんなに興味がなかったんだけど、近ごろ色々と巨人伝説を見てるうちに「そういえば大洗に…」という事を思い出した次第。

●大串貝塚…という遺跡の上に立ってる巨人像。真っ白ですね。
 でも周の太伯=北方コーカソイド=白い巨人というイメージでいくと合ってるのかもしらないけど。

●白人系とかいうと今の西洋人思い出すかもしらないけど、そうだけど…そういうんじゃなくて…。だいたいこんな感じの人。なんか北欧神話に出てきそうなおっちゃん。
 フィンランドのサーミ人。昔はフェンニー族と呼ばれてたそうで匈奴(フン人)との関連が色々噂される人々。フィンランドもフン人の国云々…。

●それはともかく「だいだらぼう」ですよ。はじめは大足(おいだら)という土地に大きな「山」があって村人が不自由してたけど、それを別な場所に移したと書いてありますね。それが今の朝房山だという。やっぱりAS出てきましたよ。
 以前から朝房山は気になってたんすけどね。やっぱり巨人と関わりがあったかという。
 にしても大足(おいだら)…直球やんけと。

●でこの大串という貝塚だけど「串」の字がある地名にはやっぱり巨人伝説があるんすな。太伯が上陸したであろう鹿児島半島の西岸には「串木野」ってあるし。
 なんか…クシが来た、みたいな。なんだクシって。

●ほかに紀伊半島の先っぽにあるトンボロ状の半島も串本という。太平洋に突き出してて、そのまま黒潮に乗りやすい場所みたいな。
 でその岬の先っぽの地名に着目ください。「出雲」です。やっぱりここにもアタ・カモにまつわる一族が住んでたんじゃないかと。
 つまり出雲って山陰の出雲だけじゃないってことです。北陸にも出雲崎ってあるし。奈良にもあるんです出雲が。余談だけど。

●古事記にもクシナダヒメっていますね。その両親というのがテナヅチ・アシナヅチ…すなわち土蜘蛛といわれてるところの巨人族です。で、テナヅチ・アシナヅチの父親は誰か。
 オオヤマツミ。すなわち鹿児島阿多の王。アタ族の祖先神です。

●じゃあそもそもクシって何なのか、巨人って意味か…ってそんな単純じゃないすな。以前日記で書いてたのを思い出し。
 つまりトゥルク系の言葉で「赤い」という意味です。クジュル、キジル、クシュ、クジュ、クス、クシ…(あるいはヒンズー語で山という意味もあるらしい)。
 でもなんで…わざわざ「赤」なんて字をつけるのか。巨人とどう関係あるのか。

●という時にふっと思い出したのが「赤帝」ですよ。なんか治水に関する書を持ってる神様。この神様ってどこに住んでたっけかと。
 紹興市の宛委山、古代「呉」といわれた地域です。
 んでもって呉といえば周の太伯が最初移住したといわれる場所。すなわち「句呉」です。

●最初「句呉」ってクゴって読んでたんだけど、クコと読んだら…あの赤い実です。杏仁豆腐に入ってるやつ。
 つまり句呉って「赤」という意味があったんじゃないか。あるいは赤をシンボルカラーにしてた国だったのか。だからそこを治めてた皇帝は「赤帝」だったという。で後年、太伯はその句呉の王様になった。
 で赤をトゥルク系の言葉になおすとクシ。串。櫛…もうおわかりですね。

●クコの記事を見ると「クコの葉を入浴剤として風呂に入れる伝統風習が長野県阿智村や喬木村にある」とありますね。どっちも諏訪の塩街道ぞいにある地域です。こんなところでまた塩街道出てくるとは思わず。ほんとにパズルだなぁ古代史は…。

●とするとあちこちにある九頭竜(くずりゅう)という地名も何となくわかりますね。「9つも首のある龍」というよりも赤い龍をクス龍といったんでないかと。
 で龍神=皇帝で、すなわち九頭竜とは「赤帝」のことなんじゃないかと。
 ちなみに箱根の芦ノ湖畔にも九頭竜神社あってありますね。すっごく思わせぶりな所にある。もう古代人好きそうな場所。

●まあ…太伯本人じゃないかもしらないですけどね。その子孫の誰かが大船に乗って来たんですよ。沖縄や鹿島の伝説にある「白面の神」のように。たぶん青い瞳をしてたかもしらない。
 呉といえば孫権思い出すけど、あの人も碧眼だったらしいすな。後漢の頃までコーカソイドの特徴をもった人が残ってた…いや今でもいるかも…ちゅーかいたし。

●でちょっと思ったのが北欧のオーディンとオイダラという語感が似てるなと思ったので。以前ならただの偶然でスルーしてただろうけど、サーミ人みたいな民族がユーラシアを右往左往してた、と考えると「うーん…」となるわけで。
 犬戎、北狄、匈奴…フェンニー…。伝達者・媒介者…。

*秋田太平山の記事はヘンテコな部分があったので削除しました。

豊旗雲

●なんだか紀元前後の話ばかりでアトランティス関係なさそうに思われるんだが…。
 以前にアトランティスはエジプトの三角州にあった小島であり、その後干拓してしまったので今は無い。という話を見てからアトランティス興味失ったんですがね。
 ファロス島という。世界七不思議のひとつファロスの大灯台とは別な島です。エジプトが干拓される前の話だから、たぶん当時はピラミッドも無い。と思ってますがね。ピラミッドは干拓時の「絡み」で造ったものだから。

●その小島に海の老人(プローテウス)というのが住んでたらしい。
「海の老人」という観念はギリシア神話のポセイドンやネーレウス、日本ではコトシロヌシとかオオヤマツミという神で出てきますな。東西で似てる。

●この東西の類似性というのは共時性というのかな。でもそういう現象とは別に、東西の橋渡しになった人々がいたんじゃないかと。
 それが中央アジアの遊牧民であり。あるいは遊牧民発祥だと思ってるところの「周」だったのかもしらない。

●遊牧民というのは独自の文明は生まない代わりに、文明圏の北辺にあって東西を右往左往してますね。だから中国文明、インダス文明、メソポタミア文明とも接触する。それで文化、言語、宗教、時には遺伝子をも運搬するわけで。
 例のクルガンという古墳文化もメソポタミアのジッグラトを模倣したものかもしらないし。あるいは遠くエジプトのピラミッドの文化も伝わってたかもしらない。

●言語といえばシュメールのディンギル(神)という言葉が、モンゴルではテングリになり、中国では天になってる。日本にはどういうわけか天狗という異形の存在で伝わってる。
 でも修験者みたいな格好して山の上に住んでるわけだから「天に近い」存在ではあるけども。

●山もそうだったけな…。トルコ語ではダギ、中央アジアではダグ。んでもって日本でも岳をタケとかタキとかいいますね。アタゴのタゴも山という意味かもしらないし。マタギも山の人だし。んでもって沖縄でも御嶽(ウタキ)という。

●周の太伯がまず「句呉」に移住したことを思い出す。句呉というのがどこにあったか正確にはわからないけど、たぶん長江の河口付近だろうと。そこから台湾、沖縄をへて、鹿児島半島にやってきた…と考えれば「タキ」の由来がおのずかわ分かるんじゃなかろうかと。
 周というのは山と蛇(龍神)を崇拝する民族だったんですよ。龍神=皇帝という観念はずっと中国文明に残ってますね。だから蛇を崇拝することは別に怪しげ(?)なものじゃない。

●そういえばアシュケナズの話書いた時に「ヤペテの子」と書いてしまったけど、正確にはヤペテの孫でしたな。訂正。
 このヤペテの末裔について調べたいけど日本語ではほとんど説明薄なんすな。英語版ではじめて家系図がわかる。

●でヤペテの子にJavanとい人がいるのを見て「ん?」となったんですけどね。ジャバン? ジャパン? いやいや…話うますぎるだろと。
 正確にはヤワンというそうだけど。

●でもヤワン…ん? と。日本にも同じ言葉あったよな。八幡。はちまん。やわた。やはた。やばん。
 …まあ偶然かもしらないですけどね。でもこの八幡神の幟(ばはん)をかかげた日本の海賊(倭寇)が東シナ海を暴れまわり、それが西洋人の耳に伝わってバハン→ヤパン→ジャパンになったのかな。などと。これは室町時代の話ですけどね。

●でも日本がいくら「ニホンニホン」いっても西洋人はJapanの呼称を通してますね。なんかもっと深いこだわりというか宗教的な理由でそう呼んでるじゃなかろうかと。聖ヨハネ国とかプレスタージョンに通じる話とか。

●聖ヨハネ国というのはあくまで伝説の話で、その話をするとからかわれたそうだけど、本気で信じてた人もあったみたいすな。シュリーマンなんかも本気で信じてて、わざわざ中国や日本にきて詳細な旅行記残してます。まだ幕末のころですよ。
 日本にくるイタリアの宣教師にも頭のどこかに「聖ヨハネ国」のことがあって、それで万里の波濤を物ともしなかったのかもしらない。信仰心というより好奇心で。
 それはいいんですけどね。観光資源的に…。

●でちょっと「え?」となったのがJavanと呼ばれた人々が古代にいるんですよ。イオニア人。つまりギリシア人のことです。
 イオニアはサンスクリット語ではYavanaといい、ヤペテの子「Javan」もイオニア人のことを指してるんじゃないかと。なんかそんな感じ臭い。

●でJavanが住んでた場所はギリシア…じゃなくてトルコとイランの国境付近、ヴァンという地方らしい。近くにヴァン湖があり、エレバンがあり、…ん? アララト山?
 古代にはウラルトゥという国が栄えており。
 北欧神話に、アース神族に敵対するヴァン神族っているけど、ここと関係あるのかな。
 ともかく中東の人たちはこの付近の人たちとギリシア人を同一視してたみたいすな。

●イオニア人は「バルカン半島を南下して」ギリシア文明を築いたみたいに一般には書かれてるけど、上の話を総合するとアナトリア半島を西進してきた感じになるすな。
 ヴァンの近くにはカスピ海があり、交通の要衝テヘランがあり、そのむこうには広大な中央アジアのステップが広がる…。内陸にありながら四通八達の場所という。

●でウラルトゥの「トゥ」ってよくわかないですが、中央アジアにあるアルマトイとかアルタイのトイ・タイに通じる言葉なんじゃないかと。国とか地方って意味なのかな。
 んでもって日本でもヤマタイという国があったすな。八幡はヤマンとも読める。ヤマンタイ。八幡タイ。
 まあいいでしょう(ぉ

●まあアナトリアの内陸に、東西交易にきわめて重要な交通路があり、それが東西の共時性というか類似性を生んだ原因になってるんじゃないか。ギリシア人と日本人が「Javan」「Japan」などと似たような呼ばれ方をしてるのもそこに根源があるんじゃないか。
 という雲をつかむような結論。

ミーミル

●何度も言うようにAT・ASが地名全体にしめる割合は1%ぐらいです。なんだか10%ぐらいあるように見えるけど。
 地名の一覧見てもぜんぜんAT・ASとか出てこないくせに、地図やWikipediaを何気なく見てるとポコンと出てきたりして閉口するんですが。ほとんど小字(こあざ)レベルで。
 あと滅んだ地名というのもあるすな。昔はそう呼んでたという。

●たとえば鹿児島半島の西岸はむかし阿多郡といったそうすな。どうも大陸からやってきた漂流民(?)はそこに初上陸した可能性がある。
 でここ出身の有名な神様がいるんですよ。コノハナサクヤ姫という女神様。

●このコノハナサクヤ、そして父神のオオヤマツミ神がアタ族の祖先だったんじゃないかと。たぶん周の太伯に関係する一族だったんじゃないかと。
 なにしろ日本で太伯を祀ってるのは霧島の鹿児島神宮だけなので。

●太伯が出奔したころってまだ周王朝できてないですね。殷王朝の一諸侯の実力しかなかった。太伯の甥の文王、そしてその子の武王が周王朝を建てたんで。
 だから周王朝が成立した後も、太伯の末裔は「本家筋」として尊重されてたはずです。たとえば徳川氏が松平太郎左衛門家を大事にしてたようにです。
 孔子も「太伯はそれ至徳というべきなり」と神聖視してますね。

●で、ある時期までアタ族も周王家(姫氏)の親族国として存在してたけど、途中で周王朝って弱体化して分裂しちゃいますね。各地の姫王家が好き勝手なことをはじめる。いわゆる春秋戦国時代。
 だから日本における姫氏国(アタ族)も好き勝手にやってたんじゃなかろうかと。

●鹿児島のアタ族が、その活動の拠点を富士山麓に移した形跡がある。鹿児島の人のはずなのにコノハナサクヤ姫って富士山に鎮座してるんすな。んでもって父親のオオヤマツミもその近くの大山に祀られている。
 あるいは当時の日本も周王朝とおなじように各アタ氏の王族によって分裂してて、そのうちの富士の王族が強勢になっただけかもしらないけど。
 だからアタ国の本拠が富士に移ったあとも鹿児島半島には阿多氏というのが存在してます。神武天皇の第一夫人(吾平津姫)がこの鹿児島の阿多氏の出身です。

●で各王に分裂しながらも…あるいは古代においては分裂状態が普通だったのかな。これが封建制の基礎なのかもしらないし。ともあれ縄文から弥生にかけての日本はこのアタ氏による「ゆるやかな」支配が続いてた。けど途中からカモ族という外来者がやってくるんすな。
 それが紀元前2世紀ごろ…というから徐福の伝説と一致してしまう。カモ族=徐福だったのかな…ここらへんはよくわからないけど。

●で神津島の伝説にもあったように周系のアタ氏と、秦系のカモ氏というのが鉄鉱をめぐって争ってたみたいすな。弥生時代中期から戦死した人骨が多くなるのもそのせいだろうと。至近距離から胸に十数本の矢を打ちこまれるって…どんな死にざまやねと。弁慶か。

●でこの血で血を洗う闘争の後に、仲良くしたほうがいいんじゃないか、結婚した方が丸く収まるんじゃないかと、両者は融合しはじめますね。やっぱりどっちも大陸から来た者同士なんだし。あなたもわたしも天津系という。
 それがコノハナサクヤとニニギの結婚話であり、大国主と沼河姫、そして神武天皇と吾平津姫の話になってるんじゃなかろうかと。

●でこの神武天皇と吾平津媛の間に生まれた皇子というのが手研耳命(たぎしみみ)という。でもこの皇子は長男でありながら反逆の汚名を着せられて皇位をつげなかったんすな。ここらへんから話が怪しくなっていき…欠史八代だの、卑弥呼の話とかに結びついて行くんですが、まあその辺は不勉強ゆえ割愛。

●でこのタギシミミの名の由来について興味深い考察をしておられる記事があったので引用。
 タギシ=テュルク=トルキッシュ=突厥だという。うわ…となりますね。自分たちのルーツを名前に残してたんですよ。前回、紀元前の中国人は白人系、もしくは中央アジア系だったという話を思い出します。だから周王家の姫氏というのもテュルク系の民族だったのかもしらないので。
 孔子様なんかも金髪で碧眼だったかもしらんすよ。トーガ巻いたりして。悪妻に罵られてて…。

●でも今の日本人は白人系(もしくは中央アジア系)じゃないすね。なんでか。支配層のアタ・カモ族が全体の人口にしめていた割合は1%ぐらいだったからじゃないかと。つまり数千人規模の外来者が、何十万人という倭人を支配してたわけで。だからその民族の遺伝子に与える影響など微々たるものだったんじゃないか。
 たとえばイギリス人がインド人に与えた遺伝子的な影響はいくばくか。80万の満州人が3億の中国人に与えた影響はいくばくかという。
 でもたまーに出てきますな先祖返りで。背が高くて彫りの深い人が…。いいよね。

●と思いつきで何でも書く土井さん。楽し。

アントワープ

●アタ・アサというのは調べると「火」に関係する言葉らしい、という説明をよく見かけるが…なんだろな。製鉄関係かな。
 べつに火を使うのは製鉄だけじゃないすな。煮炊き、窯業、製塩…。「鳥の海の干拓」に出てきた明永・明保兄弟の父親が「塩釜大明神」だったのを思い出しつつ。

●他に「アタは女陰だ」という説明があってウホッとなるんですけどね(なんで)。
 昔の言葉でホトという。火処と書く。
 でも女陰=火処=製鉄の炉というのを何かで見たんだが…。やっぱり製鉄に関係するらしい。

●でもってAS・ATにはけっこうな確率で巨人伝説がつきまとう。巨人で製鉄ったらサイクロプスがパッと出てくる。一つ目の巨人。
 でもほかに隻眼の巨人といえば…北欧神話にいたすな。おなじみオーディンさん。

●このアース神族の出身というのが、名前のとおりアスガルズという場所なので。
 どこにあるのかと思ったらドン川の東のアシア…のタナクヴィースルの…さらに東にあるという。とっても東な場所。

●つまり北欧の人は「自分らは東から来た」と信じてたってことですね。スキュタイ人が東からきた証明の一つになりますな。
 そのもといた土地(アスガルズ)…というのが日本だった。とまでは行かなくても、せいぜいカスピ海の周辺とか中央アジアだろう。東アジアとは関係ないだろう。
 …と思ってたんですけどね。

●でもこのブログ(嵐雪の狭山茶庵様)を見てたら…はうっとなったんですけど。
 周代の斉人は白人系だったという。でもって漢代の斉人は中央アジア系。今の山東人はアジア系だという。ぶ、び、びっくらこくよと(ぉ

●中期縄文人がコーカソイドの要素をもってた事は薄々気づいてましたけどね。でも想像を超えて白人系の人種が東アジアに住んでたみたいすな。
 ひょっとしたら当時の東アジアって白人系の「本貫」の土地だったのかもしらない。アスガルズだったのかもしらんですよ。

●周の始祖である古公亶父も昔は「ヒン」に住んでたけど、異民族に追われて中原の近くの岐山下に移り住んだとちゃんと書いてありますね。どこからともなく現れた人々だったんですよ。
 で、古公亶父の長男である太伯が日本に移り住んだという伝説がある…ということは以前書いたすな。蛇足。

●それがどうして居なくなったのか…。中央アジア系というのは秦で、アジア系というのが漢(楚)だとは土井さん程度の想像力でもわかるんですが。
 周が秦に倒されたあと、その秦は楚に倒されますね。漢じゃないです。もともと秦を倒そうって言ったのは楚の項羽で、劉邦はそれに乗っかった形であり。秦打倒の主力は楚だったんですよ。つまり江南人。

●じゃあ白人系の人種はどこ行ったのか。周辺の遊牧民族になったのか。それこそヨーロッパまで移動したのか…。それでアスガルズみたいな神話上の土地を生み出したのか…などと。
 トンデモ話は…やめられんすな(ぉ

●そういえばベルギーのアントウェルベンという町の由来がアンティゴーンという巨人で…。
 これも蛇足臭いので略。