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土井平蔵の中庭

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七霧の里

●ATもしくはASではじまる地名ってどのぐらいの割合であるのかと思って調べたら全体の1%ぐらいですね。10%ぐらいあるのかと思ったけど。
 語頭のAは、U、E、HAに変化する場合もあり、エト、ウト、ハトとなる。Hは発音しない場合がある。ギルガメシュ叙事詩に出てくる「ウトナピシュティム」もあるいは「アトナピシュティム」なのかもしらず、そうするとアトラ・ハシースに語感が近づいてくる。創世記のノアに相当する人です。

●こういうのは「アル~」とつくとああイスラムなんだな、「サン~」「セント~」とつくとキリスト教なんだなとわかるのに似てます。とにかく「あ、ここあいつらが好きそうな場所だな。好きそうな岩場だな」という場所にはATかASがついてる。「居てました!」と言わんばかりに。その傾向を列挙すると

・山が切ってあるような場所
・岩がむき出しになってる場所(石切場?
・現在ダム湖になってる場所(むかしも人工湖だった可能性あり
・干潟(古代干拓地?
・扇状地、谷のすぼまった部分

 あとすんごい山奥に運河の中継地みたいな村を作ってた感じすな。そういう所に山越えの人足をたくさん置いてたんでしょう。左肩がごっつ盛りあがった男とか。

●あとマル、アマ、カル、クシとかも多い気もするが。遺跡らしき所にATやASがない場合この地名がついてます。クシは中央アジア(トルコ系)で「赤い」という意味らしく、クシュ、クジュ、キジル、クズルなどに変化します。クシャーナ朝にクジュラ・カドフィセスという王様いるけどクシャーナとクジュラもそうなんかな。トルコにもクズルウルマク川があるすな。天は赤い河のほとりの赤い河だろうけど。
 なんか「赤い」という意味には他に深い意味がある気がするね。赤心という言葉もあるし、仁丹とか臍下丹田の丹も赤です。太陽とか生命といった。

●日本の(くすり)という語源調べると「奇すし」だの「草」だのと一定してないけど、あれも中国の「丹」から来てるんだろうと。丹=赤い=クスという風に。クス玉もそうだったりして…。
 地名だと久慈、串木野、九頭竜(くずりゅう)川、九重(くじゅう)連山とかあるけども…さすがにね。でも中央アジア全域で使われてる言葉が日本だけ例外というのも何だけどな。
 赤い川…いろいろ写真とか見たけど九頭竜川はべつに赤くないすな。ただ福井の山奥は柘榴石の産地だというのでそれと関係するのかな。赤い宝石の川…。ここで問題になるのは赤いのは宝石なのか川なのかという(どうでもえ
 まあこの話は置いといて…。

●この北アフリカのゲルミン・エス・スマラ地方には東西にたくさん岩脈状の山脈が横たわってますが、山が切られた場所にはたいていその名がついてます。アサ、アクカ、アクカネシティ、アグラカル、アディス、アッサカ、エスメラ…他探すともっとあるかもしらない。おかしいでしょ1%なのに。
 あとタタ、ティサンという地名もあり。タタやティサンはティターン族を連想します。プラトンさんもアトランティス人は北アフリカの「アトラス山脈のはじっこ」に住んでるとか書いてるし。新島の大三王子と弟三王子もティターンが語源だったりして。2人とも北アフリカ人だったのかな…。

大三王子「アハハ、バカ言ッテンジャネーヨ」 弟三王子「フジャッケンナヨ」

●地名といえば日本もそうだったな…。この旭市周辺にはかつて椿海(つばきうみ)という内海があったが、江戸時代に干拓されて今の姿になってます。それにしては周りの丘がきれー…に、定規でひいたように直線状に切られてます。丘むこうの小見川周辺もきれー…な箱状になってます。
 それはいいんだけど、干拓前にはやっぱりラグーンがあったらしい。ラグーン…つまり椿海は水没した古代干拓地、だったのかな。江戸時代の人も「あ、これは埋め立てやすそうだな」と思って埋めたんだろうし。
 ああアサヒ市だからアレか、アトランティスかと思われるかもしらないが違います。中洲があったと思われる場所に「網戸」という地区があるが、そこは江戸時代まで阿知戸と呼ばれてたそうな。その丘向こうにも貝塚で有名な阿玉台があります。やっぱりアチでありアタです。

●瀬戸内海の姫路から、日本海側の豊岡にかけて運河にしてもおかしくないような(播但線ぞい)がずーっと続いており、いやまさかな…と辿っていくと朝来(あさご)市がある。「お?」となります。「来てた? アサ来てた?」とこう…。途中の生野銀山の所でこういう風に谷がふさがってる。これさえ無ければ滞りなく行けるのに…まるで誰かが塞いだかのような…。誰が…?
 生野というのはむかし死野といわれてたそうな。生死の境です。んでもって生野には姫宮神社がある。
 なんで姫路なのか。姫とは誰なのか。誰がその路を辿っていったのか。んでもって生死の境に姫宮神社…さ、わかるっしょ。

●実際塞いだかのかは知らないけど、人為的に塞がれた運河も多いかもしれません。長野の仁科三湖もなんだか運河跡っぽいんだが、やっぱり塞がれたような跡がある。3D機能で斜めから見ると直線の堤防状になってるのがわかると思います。この山さえなければ日本海側から諏訪方面に抜けることができます。で諏訪湖には天竜川の上流がある…もうおわかりですね。
 これで敵が運河を利用できない、船で来られないようにしたんだろうかね。まるで太平洋側と日本海側の勢力が戦ってたかのような…。もし武田信玄と上杉謙信が戦ってて、両者の間に通行しやすい運河があったらどうなりますかね。お互い恐怖でしょうね。
 仁科三湖もやっぱり姫川流域です。姫って誰のことなんでしょうね。

●太平洋側の阿武隈川から、日本海側の阿賀野川につながる運河があったら便利そうだな…いやでもまさかな…と思って辿ってくと磐梯熱海という場所がある。毎回こんな感じでATに出くわします。ここから直接西に向かうルート…というのが自然ですが、途中段差があってちょっと怪しくなる。昔はダム湖でもあったのかな。
 あるいは北の安達太良(アダタラ)山の脇を通るルートも考えられます。山の西麓には小川が流れており、それを辿ってくと、あら不思議、磐梯山のどてっぱらに辿りつきます。途中かなり大胆な省略。

●ともかくこの磐梯山にもどなたか住んでた感じなんですけどね。戦場ヶ原で見た例の陸橋の跡もあるし。ちなみにこの山の神社も磐椅(いわはし)神社…。陸橋は天鏡台という隆起につながっており、台のむこうに磐梯山がある。でもって陸橋の南にある森はなんだか条里制のような形状になってる。まるで都でもあったかのような…。条里制の都というのは中国の方式なので、超古代のものじゃないと思うんですけどね。だいたいアトランティス人は対称的な形状を嫌います。
 この磐梯山下を通りすぎると日橋川が流れており、それを辿ってくと会津若松、そして阿賀野川に到達します。江戸時代も会津藩の物流の要となっていた川です。そのあとは日本海です。

●途中かなり怪しかったけど、まあ隠滅したものと仮定して…もしこういう運河があったら相当便利だったと思うんです。でもって磐梯山下の「お宮」のような形状。
「会津磐梯山は宝の山よ」というのは運河の中継貿易で栄えたという意味なのでは…。
 戦国大名の芦名(あしな)氏は相模国芦名が発祥といわれてるが、それは後付けであって、ほんとは古くから会津地方にいた豪族なんでは…。
 その芦名氏から出たという天海僧正、そして江戸の町におけるあの壮大な土木事業…と色々トンデモ妄想が膨らんで困る始末。

●でもこれら運河が後年まで存在していたら江戸時代における西廻り・東廻り航路なども存在してなかったに違いなく、各地の港の繁栄もなかったわけで。何が良いのか悪いのかという話。
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