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土井平蔵の中庭

古代史雑話

●なんで古代人は山の上に住んでたのか、それもよりによって火山なのか、というのは「温泉があるから」「水源があるから」ぐらいにしか思ってなかったんですがね。
 いやもっと深い理由があったのを最近になって気づいたんですがね。

●山の上に住んでて水とか食料はどうしてたんだろう。なにより「塩」はどうやって供給してたんだろうと。
 海から塩を運ぶルートを確立してた…というなら大したもんですがね。でも山の勢力と海の勢力が敵対関係になったらどうしただろう。それだけで山の勢力は崩壊しますね。武田信玄じゃないけど。

●だから山の上で塩が採れたらそういう心配がなくなる。温泉の水は多量の塩分を含んでる場合が多い。
 個人的に「怪しい」と思われる山上の近くにはたいてい塩泉があります。そういう場所は塩や湯のつく地名が多い。会津の大塩、熱塩、北塩原、那須の塩原、鹿角市の黒又山付近の大湯、長野の井戸尻・尖石遺跡の近くにも温泉が多く存在します。
 近畿や西日本では海洋民族のアタ氏が河川を遡上し、塩の運搬ルートを形成しつつ内陸を開発してる感じなので、温泉はあまり必要なかったんじゃないかと思います。

●以前滋賀の霊仙山の風景を見てて、月山安達太良山、そして九州の九重連山の感じを思い出したんですがね。
 なんとなく…中央アジアの草原地帯もこんな感じだったんじゃないかなと。以前自分たちが住んでた土地に似てるからそこに宮殿を建てたんじゃないか。

●日本に来たばかりの彼らはさっそく巨石建築を建てまくったと思います。それこそマチュピチュみたいな…。
 でも古代日本の「王」ってのは大陸式でいう「王」という概念じゃなく、農地の開拓や物資の輸送はするけど、直接民衆を支配して年貢を取り立てるような支配体制を持たなかったと思います。いわゆる「長者さん」に近い。
 だからいわくのある山岳の麓にはたいてい長者伝説があります。そこでも製塩が絡んでくる。

●でも長年住んでると彼らも気づくんですね。日本は地震が多いじゃないかと。でもって火山もしばしば爆発する。こんな所に住んじゃいられねぇと。
 だから山を下りて麓に「木造」の宮殿を造営する。山上の遺跡は破壊されたまま放棄された。しかし後年でも山岳を崇める修験道として残った。

●安達太良山にマチュピチュのような宮殿があった…というのは空想として楽しいですけどね。でも両者の間にはふしぎな因縁があるんすな。
 明治のころ安達太良山の麓に住んでた人がのちに南米に移住し、色んな経緯の後マチュピチュの初代村長になるんです。
 嘘みたいだけどホントの話です(参照)。
 もうホントに遠い、遠い祖先の因縁で…(あとは妄想
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エンハンサー

●近ごろトンデモ書かないすな。
 書いてたころは、導入も経過もオチも勝手に浮かんできてたので。3者が勝手に頭の中で結晶化してる的な。

●結晶化したままほっとくのも何なので、文章化してた的な。なんか書かされてた感もあり。
 今は導入があってもオチがない、オチはあっても出だしが浮かばないという状態。

●エジプトの王女ネフェルティティって実はフルリ人(ミタンニ人)だったんですよ。という導入。
 でその祖父にあたる人がイフヤという人。馬をたくさん持ってるのでエジプトで重宝されてそのまま王族になった人みたいすな。

●でこのイフヤ系の王族って途中で断絶してるんですが…彼らはどこ行ったと思います。ここからトンデモになるんですがその「経過」が浮かばない。

●エジプトで思い出したけど珍敷塚古墳の壁画ってあったすな。
 あの絵ってどういう意味なんだろうとじーっと眺めてたけど、ひょっとして「地図」なんじゃないかなと。
 つまり当時の筑後川流域を表した地図なんじゃないかと。真ん中にある矢を入れる「ゆぎ」のようなものは干拓地にも見える。

●周囲に書いてある盾をもった人、カエル、熊、鳥にもちゃんと意味があります。
 盾をもった人(武人)というのはそこに「軍事的な施設」があったという意味です。杷木神籠石(はきこうごいし)がそれです。
 カエルというのは古代ではヒキ、ビキであり、杷木(はき)という地名の由来が推測される。
 熊は東隈上、西隈上などの地名に残っている。
 鳥はそのまま鳥船塚古墳やら、浮羽(うきは)などの地名を連想する。

●んでもって壁画の左側に「◎」の太陽がありますね。実はあの◎の形をした建造物が当時の海の上にあったんですよ。
 …まあ興味のある人は色々調べてくんさい(おいらはやらない

●ついったの拾いもの1。さわやか
 なんで分類が…こう…昔の国制にのっとってるのか。遠江とか駿河とか。

●ぶっちゃけ浜松発祥なだけじゃないすか。

●その2。
 いっそ宦官の制度も復活(いっその意味が

●いやおいらは以前からあすこは「帝国」だと思ってたので、あまりムカつくことはない。世界中の国家もたいていそう。なんか皮をかぶってるだけで。何かやっても「なるほどな」と。
 根っこを知れば怒り少なし。

●その3。ペンギン
 紙の下から磁石あてた砂鉄みたいな動きだな。かわいい。

●ただ若干名、興味ないペンさんもあり。かわいい。

●その4。ノイ寿司
 近ごろWave編集ツール開いてないすな。かれこれ2年ぐらい。

●おなかいっぱいだけど無理やり寿司を詰め込むのをコンプレッサーと言います。

マサオ君

テレゲン族が日本人のルーツの重要な部分を構成してる。としたら日本とテレゲンの間には何らかの交流が続いたはずです。
 でもWikipedia先生で見ると…テレゲン族ってだいぶ「流離」してる感じすな。

●まずテレゲン族の南部で匈奴が拡大し、その後に鮮卑というのが出てくる。そういう2大国の出現によって日本とはほとんど音信不通になったんじゃないかな。日本でも、
「本国から何の連絡もないし…ひょっとしたら独立しちゃってもいいのかな」
 と独立しちゃったフシがある。

●んでもって3世紀のころにはバイカル湖からはるか離れた西方の地に移住してまつな。歴史には書いてないけどよほど酷い目にあった末のことだろうと。そのころにはテレゲン族も日本もお互いのこと忘れてたんじゃないかと。

●…ということは以前テレゲン族のこと書いた時にも考えてたんですが、まあ蛇足になるだろうと思って書かなかったんです。
 でもネット上で「ホピ族は穂日だ」という記事を見かけて、なんとなく書く気になったので。
 穂日とはアメノホヒのことです。ニニギノミコトの叔父さんにあたる神様。

ホピ族ってのは…というのは説明めんどう臭いのでWikipedia先生でどうぞ。まあ終末予言で有名なインディアンです。
 この部族は途中で分かれ分かれになった「白い兄」と、「長い旅」の末にアリゾナまで辿りついた部族伝説があるすな。あとマサウという絶対神がいる。
 アメノホヒにもお兄さんがいるんです。それがオシホミミという神。ニニギの父神でありすなわち「皇室の高祖」である神です。

●このホピ族のルーツがテレゲン族だったとしたら…とちょっと考えたわけです。古代にシベリアで暮らしていた彼らは何らかの事情(匈奴・鮮卑の攻撃?)でその地を離れざるを得なくなり、「長い旅」の末にアメリカ大陸へ渡った。それがホピ族であり、さらに彼らのすぐ南に存在したアステカ王国である! …自分でも惚れぼれしますね。

●いやホピ族が使ってる言葉のナ・デネ語族というのを見ると面白いことがわかります。
「エニセイ語族とナ・デネ語族が同系統であるとの研究が発表された」
 エニセイ語族ってのはバイカル湖周辺に住んでた人々です。バイカル湖といったらテレゲン族でしょと。間違いないでしょと。

●まあ色々説明するより100年前までホピ族の女の子が結ってた髪形を見たほうが手っとり早いんですがね。「みずら」ですよ。おいらのかぼそい記憶では日本の他でみずらって見たことないんですが。
 あと彼らが作ってるカチナドールも何か思い出しませんかね。そう日本全国の自治体が血眼になって作ってるユルキャラ(略

●というのは冗談ですが、カチナ(精霊)という名前です。んでもって最高神はマサウ。これをくっつけると「マサウカチナ」になります。
 んでもってオシホミミの本名も「マサカツ・アカツ」です。マサウ・カチナ(最高神の霊)です。アカツの方は意味わからないけど。

●このマサカツを自分の名前にしてた人いましたね。蜂須賀正勝です。んでもって日枝信仰と縁のふかい木下藤吉郎と一緒になって何かやってた。なんか修験道というか古代信仰の匂いがプンプンしますね秀吉関連は。近くに熱田神宮もあるし。織田氏は剣神社の末裔だし。徳川氏は賀茂一族だし。
 というか古代神族に縁のある一族がずっと地域で力を保ちつづけて、後世でも県主とか地頭とか大名として残り続けたんじゃないか、戦国時代とはつまり古代史の再現なんじゃないかという話に…。きりがないすな。

●ホピ族の「ホピ」って平和って意味だそうすな。マサカツ・アカツの精神から生まれた合気道もその理念は「平和」の道だそうな。
 …平和が一番すな(どんなオチ

カチナドール

●記事の分類アトランティスになってるけど、どうしようかね。「トンデモ」にしようかね。
 あんまり増やしたくないんだけどね。

●各地のダイダラボッチの伝説見てると、たいてい貝塚が絡んできますね。
 貝塚=縄文人。だからダイダラボッチとは縄文人なのか?と。

●でも巨人伝説には「製鉄」の話もつきまといます。鉄…そういえば日本ではじめて鉄鉱が採れたのって6世紀以後じゃなかったっけと。それまでは任那から輸入してたので。
 じゃあダイダラボッチとは古墳時代の人なのか??と。

●あとダイダラボッチ伝説って関東や東北に多いですね。古代の東北・関東は蝦夷が支配的だったはずですが。
 ならダイダラボッチとは蝦夷人なのか????と。
 ?がどんどん増えていきます。

●以前、アマテラスの命を受けて天から下ったタケミカヅチとフツヌシの話を書きましたね。で、アマテラスはどうもバイカル湖あたりにいたテレゲン族だったかもしらないと。
 じゃあどうやって来たのか。ふつうなら朝鮮半島ルート…と考えるけど、もしテレゲン族が朝鮮半島を縦断しようとしたら、同地に存在した扶余やら古朝鮮の国々と戦闘になりますね。そんな軍事行動を起こしたら中国の歴史書にも書かれてたかもしらない。
 朝鮮半島と接触せず、しかも中国の可視圏に入らない…。

●まあ大雑把にいうとこんなルートです。

(Google Map)
 アムール川を舟で下るとかなり内陸部からでも太平洋側に出る事は容易です。

 んなバカなと思われるかもしらないが、このルートってけっこう重要なのです。
 蒙古襲来の10年前、モンゴル軍はこのルートから樺太に襲来しました(樺太侵攻)。北海道アイヌと安東氏の連合軍はやっぱりこのルートでキジ湖あたりまで反撃に出てます。
 後年北海道アイヌはこのルートから中国の錦(蝦夷錦)を入手してたし、間宮林蔵のアムール川調査もこのルートです。つまり地元オホーツクの人間からしたら古来よりよく知られた交通路なのです。
 つまりタケミカヅチ・フツヌシの神は北から来たのです。洒落じゃなく。

●でもってこの2柱の神は、関東地方を支配していたアマツミカボシという神を征伐して、それぞれ鹿島と香取の2社に鎮座したという。そのあと高天原からニニギが派遣されて下界(日本)を支配したという。
 ならその後タケミカヅチ・フツヌシの神はどうなったのかという。

●これは日本と環境的に似た海南島の珠崖郡の記事ですが。
 その「珠崖郡(雷州半島)」の記事を見ると「三国呉の孫権が将軍の聶友と校尉の陸凱に3万の兵を与えて珠崖・セン耳の地を討たせた。このとき珠崖郡が再び設置された」
 とありますね。この孫権をアマテラスに、聶友と陸凱をタケミカヅチとフツヌシに、珠崖郡をニニギにすると、およそ当時の日本の状況に似てくるんじゃないかと思ってるんですがね。

●例えばこの聶友と陸凱が呉から独立しちゃったらどうなっただろう。そして珠崖郡の長官と、この独立勢力が並立したらどうなってただろうと。これは仮定ですが。
 そういうことが古代の日本でもあったんじゃないかと。
 軍人であるタケミカヅチとフツヌシは、開発長官として派遣されたニニギの勢力とは独立した勢力となった。つまり蝦夷(カイ、クギ)になったんじゃないか…と。

●この2柱の神って「剣」の神でもありましたね。つまり製鉄技術をもってた。おそらく鉄鉱山も持ってたかもしれない。それが東北・関東地方に数多くのこる「金」のつく地名になってるんじゃないかと。
 しかしニニギ(大和朝廷)の方は持ってた形跡がない。つまり軍事的にいえば初期のニニギ政権は、鉄器を有した蝦夷勢力に圧倒される形だったんじゃないかと。

●そうするとなぜ大和朝廷が任那(鉄の産出地)にこだわったか理由がわかりますね。鉄剣を数多く得ることが、鉄器王権たる蝦夷に対抗する唯一の手段だったからです。
 だから国内で鉄鉱山が発見されると、日本は急速に朝鮮半島への興味を失い、その矛先を蝦夷征伐に向けはじめます。念願だったんでしょうね。

●ヤマトタケルが征伐した東国のまつろわぬ民、坂上田村麻呂が戦った蝦夷のアテルイ…彼らはタケミカヅチ・フツヌシの末裔だったんじゃないか。という結論であり。
 そうするとなぜ蝦夷が大陸遊牧民の性質を帯びてたのかその理由にもなります。

●ならタケミカヅチは反逆側の神として排斥されるはずですが、そうはなりませんでした。なぜなら後に大和朝廷で実権を握る藤原氏の守り神だったからです。藤原氏ってのはもともと鹿島神宮の神官の家柄であり…。説明すると長くなる。
 だから今でもタケミカヅチは神様として大事にされてます。

●でニニギの叔父さんにあたるアメノホヒという人が、なんだかインディアンのホピ族と関わりがあるという話を見たんですが…まあこの話は後日。

タンタロス

●まあ…ヒマなので結局トンデモ話しようかね。イラスト話するとエロくなっちまうから。このブログエロ禁止らしいので。
 うまく行かん(ぇ

●テレビ見てたら「ジョージア」の人が相撲で優勝したと聞いて、アメリカ人の力士なんていたのかな、あんまり相撲詳しくないしなと思ってたら「グルジア」のことらしい。いつの間にか国名変わってたのね。
 グルジアっていえば…コーカサスですよ。フルリ人に関係の深い場所。あのあたりにアマゾン族なんて住んでたらしいすけどね。

●で、ジョージアという言葉を聞いてはじめて気づいたんですが、中国の史書に出てくる柔然(じゅうぜん)という名前に似てるなという。蠕蠕(ぜんぜん)とか茹茹(じょじょ)ともいうらしい。
 じゅうぜん、ぜんぜん、じょじょ、ジョージア…。全然似てな(略

●ロシア語名のグルージヤが音韻転写してグルジアになった…というけど、じゃあグルージアとは何だと。ロシアももとはノルマン系ヴァリャーグ発祥であり、中央アジアの河川で河賊みたいな事してたので…。
 まあ柔然どうでもよい。

●この柔然が住んでたというバクトリア。トロイア戦争で滅ぼされたイリアス。そのイリアスの遺民の一部はバクトリアに移住したんじゃないかと思ってるんですけどね。
 トロイア人の一部は西のイタリアに移り住んでローマになった。じゃあ東に行った連中はいなかったのか…と。

●ヒッタイトがイリアスについての記述を残してるから、ヒッタイトが存在してたBC12世紀ごろまでイリアスは存在してただろう。
 で以前イリアス周辺はアスワ(アシュワ)と呼ばれてたと書いたけど、イリアス人はギリシア人からはアシュワ人と呼ばれてたらしい。そこからアジア人(東方に住む人)という呼称が生まれる。

●でイリアスが滅んでから何百年後の古代ギリシアで書かれた歴史書に、ふたたびアシア人が出てくるんですな。
 アシオイとかアシアニとかいう。何かの地図ではそのままアシアン(Asian)でした。
 で、彼らの住んでた場所が前述したバクトリア地方です。

●それだけなら単なる偶然なんですが、その一派に「トカロイ」という部族がいるんすな。「パシアノイ」という部族もトロイアの南にあったピナルバシに響きが似てる気がします。ピナルバシというのはずっとトロイアがあったと思われてた地区です。
 このトカロイ族は後にトカラ人と呼ばれます。
 つまり西へ行ったトロイア人はローマ帝国になり、東へ行ったトロイア人は遊牧国家トカラになった…。

●まあこれも妄想の産物に近いんですけどね。このトロイアの末裔は…実は日本にも来てたんじゃないかと。いや妄想じゃなくて。日本書紀にもちゃんと書いてあります。
 ツヌガアラシトという伽耶人です。

●角がある人。だからツヌガアラシト。…ここで歴史詳しい人ならイスカンダル(アレキサンダー大王)の別名を思い出すと思うんですが。
 アレクサンダー双角王(ズルカルナイン)です。角がある人です。
 アラシトという言葉もアレキサンダーに似てる気がする。

●じゃあツヌガアラシトはアレキサンダーなのか、それに関係する人か、とおいらも思ってたんですけど、アレキサンダーを名乗った人は過去にもたくさんいるんすな。だいたいアレクサンダー大王も「3世」だし。
 ウィルサ王アラクシャンドゥという人もいます。この人はかなり有名です。日本でも馴染み深い人です。イリアスに出てくるパリス王子その人なので。

●で、ツヌガアラシトが日本に来た理由が「女性を追ってきた」という。これもパリスの故事に似てますね。
 イリアスではその女性はヘレネーであり、日本神話ではアカルヒメです。名前全然似てないじゃないかと思うけど、ヘレネーは誰の奥さんだったか。ミュケナイの王アガメムノン、の弟メネラーオスです。
 アガメムノン、アカルヒメ…。多くを語らず。

●このツヌガアラシトが上陸したとされる地域の地名を見ると…やっぱりトロイアやトカラに関係する地名多いんすな。
 福井を例にとると福井市には足羽(アスワ)があり、坂井市・酒生(サカラウロイ)があり、大土呂(オオトロ)、王子保(おうしお)とかいう地名もある。九頭竜川もクズルウルマク川を彷彿とします。

●足羽神社には生井神、福井神、綱長井神、阿須波神、波比岐神などといった「井戸」「泉」に関係する神々が祭られている。
 シュリーマンのトロイアの著書にも、乙女たちが衣を洗った泉について書かれてます。温かい泉、冷たい泉とかいう。その泉が遺跡の発見に結びつく的な。

●織田信長の織田家ももとは越前町にある劔神社の神主職でしたね。ツルギ→トゥルクになるわけで。
 んでもって髑髏杯という遊牧民の風を…なんでか信長も持ってた。なんで持ってたんでしょうね。

●他にも色々あるんですが…敦賀市の金ヶ崎周辺、白鳥伝説、泰澄上人、大野市の白山神社関連とか。長門国がかつて穴戸国と呼ばれてたとか。穴戸=アナトリアです。
 このツヌガアラシトは後に朝鮮半島に帰りますが、その間によくこれだけ痕跡を残したなという。
 朝鮮側の資料には書いてないけど、日本側の資料にだけいるツヌガアラシトには何でかイリアスがダブって見えるんすな。

●つまりトロイア→バクトリア→新羅・伽耶→日本というルートがモヤモヤと浮かんでくるんすな。このバクトリアと新羅の間には「秦」があったんじゃないか。と思ってるんですけどね。
 秦はある時期からにわかに強国になり一気に中原を制圧してしまいます。その大きな原因は西方の遊牧民の力を借りたからじゃないか。その中にトカラ人(トロイア人)も含まれてたんじゃないか。
 その秦の滅亡とともにトカラ人は朝鮮に逃げ、そのあと日本に…。でもってその末裔は鬼、温羅(ウラ)と呼ばれる人々になって中国地方に蟠居し、それを桃太郎が…。

●省略したつもりが書きすぎた(笑
 ここに製鉄(たたら)の話を入れるともっと長くなります。実は鉄を中心に書くつもりだったんですがね…最大の物的証拠なので。詳しい人は調べてくんさい。