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土井平蔵の中庭

相生ゆっこ

●伊勢の答志島(とうしじま)って以前から気になってたんですが「答志」ってのは志摩国ほぼ全域の郡名らしいすな。むかしは志摩一帯をトウシと言ってたのかもしらない。

●リチャード・ゴードン・スミスという人が明治ごろに答志島の海女さんの写真撮ってますね。例の写真です。
 この写真見るたび「巨人族」というフレーズが浮かぶんだが…。ゴードンさんは日本人のことはあまり良く書いてないわりにこの島の人は「すばらしい人々」と絶賛してますね。体が大きい者同士で波長が合ったんだろうか。
 この島の人たちは内陸の人から恐ろしく尊敬されてたんです。困ったことがあると答志島の人に相談するほど。

●でもなんで答志なのか…。まあAT・ASじゃないからいいかとスルーしてたんですが、伊射波神社の由来を見てたら、むかしは吾田節(あたふし)と言ってたらしいすな。あ、ATじゃん…と。
 アタフシのアがとれてタフシになりトウシになったのかなと。

●で伊射波神社の祭神は稚日女尊(わかひめのみこと)というそうすな。和歌山のワカもこの人から採ってるという説もあり。
 ひょっとしたら全国にある若宮神社ってのは…。おいらてっきり弟三王子(テイサンオウジ)のことかと思ってたけどね。
 でも稚日女尊はアマテラスの妹だという説もある。つまり新島兄弟ならぬ「新島姉妹」だった可能性もあるので。巨人姉妹。

●稚日女尊という女神様は「織姫」だったらしく、スサノオに脅かされて「梭(ひ)で身を突いて死んでしまった」という。古事記だとアソコに…まあいいけど。
 AS・ATの多いところって何でか織姫伝説があるんですよ。両毛から筑波山にかけての地域。紀元前あすこらへんは海岸線だったわけで。
 両毛は毛野(けの)から来てるんだろうけど、本来は「キヌ」であり。その近くに鬼怒川が流れてますね。現在でも桐生から結城にかけて織物業が盛んであり。その唸るような財力で総理大臣を何人も…。
 まあ絹の話はこれぐらいで…。

●AS・ATってのは世界中にあるので、なんとなく気になる所にあるので、意味がわからないなりに調べてたんですけどね。そこには何もなくてもその周辺に意味深な遺跡があったりするので。まあせいぜい基準ぐらいな気分で。

●んでもって日本の事はあまり調べないようにしてたんです。「闇の古代史」とかいうワリに細かいヒントがごっちゃりありすぎるし。収拾がつかなくなるだろうと。
 んでもって「ほらやっぱり日本は特別だ!」とかいう自大的な流れになるのがイヤなので。んな証拠なんて世界中にあるのにね。インドの方がよっぽど特別だ。

●でもまあやっぱり面白いんでね古代日本。ほんとに色んな所から人が来てる。まるで紀元前において「日本ブーム」でもあったかのように。
 また大陸で失敗したら亡命先に「蓬莱へ!」という固定観念でもあったのか。孔子様も「東海に船を浮かべて」とか言ってるし。

子路「そんときゃワシもお伴しますわい!(ガハハ)」
孔子「ああ、お前みたいな野人なら向こうでも大丈夫だ」
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イェニ・ルーム

●そいえば前回のマップにもう1コ矢印足すの忘れてましたな。北方のツングースルート。
 この人たちが中期縄文人だと思ってるんですがね。

●じゃあこの人たちはどういう文化を持ってたか、どんな事考えてたのか…というのは発掘物から判断するしかないすな。火焔式土器だの土偶だの。見ててますますわからなくなる。
 でも2人だけ名前がわかってる縄文人がいるんです。神奈川県に。

●アルカヒコノミコトとアルカヒメノミコトという男女一対の…なんだろな。王様なのかな。祭司長なのかな。夫婦なのか。兄妹なのか。なんだかわからない。
 ともあれ有鹿神社という神社の祭神であらせられる御二方。

●なんで縄文中期の人だってわかるのかって…神社の境内からその時代の祭祀遺跡が発掘されてるからです。つまり縄文時代からそこは何らかの宗教儀式の場だったので。
 でこの男女神は古事記に載ってない…つまり記されざる太古の神々です。

●色々記事を見てみるとアルカ様はどうも「蛇神」を祭ってたらしいすな。蛇、つまり水に関わる神様。
 で、Wikipedia先生見てて何となく気になったのは、その遺跡から「ヘラジカの骨が出土しており、それが名前の由来になった可能性もある」…とある。
 ヘ ラ ジ カ ?

●よくわからないですがヘラジカって日本にいたのかな。分布図を見てもシベリアとかカナダとか北極圏の動物すな。

●家畜だったのか、儀式用の生贄にしてたのか、あるいは神様のお使いとして大事にされてたのか。食ってたのか(ぉ
 ただヘラジカは水場を好み、水草を食うともある。つまりこれも水に関係する動物すな。

●で、何気なくヘラジカの英語表記を見ると「エルク(elk)」とあり、さらに「ラテン語 alces もおそらくゲルマン語からの借用である」とある。ガリア戦記に載ってるらしい。
 有鹿、alces、elk…。これって…偶然なのと。

●ゲルマン人ってもともとカスピ海の北あたりにいた遊牧民でしたな。それが西に向かってゲルマン人になり、南に行ってインド人になったので。
 が東に行った連中もいたんではないかと…。いわゆる古代シベリア文化というやつ。
 ギリシア神話では鹿はアルテミスに仕える聖獣だそうすな。つまり東西で鹿を神聖視してたんですよ。

●そういえばアルカはアクアにも通じるすな。全国にある荒とか赤とかがつく地名もひょっとしたらアルカ(水)が語源なのかもしらず。荒川もアルカ川なのかもしらず。赤坂もヘラジカ坂なのかもしらず。
 おいら何も知らず(ぉ

●でもなんで茨城の鹿嶋は鹿なのか、なんで奈良に鹿が多いのか、なんでもののけ姫にシシ神様とか出てくるのか、調べると何となくわかってくると思うんですがね。

脳内整理

●そっかカツオブシかぁ…と最近感心すること多し。

あの分布を調べると古代王権の何事かがわかりそうすな。

●つまり房総、伊豆、紀州、土佐、薩摩…。太平洋岸。
 個人的な予想では中国江南と台湾あたりにいた海洋民族だと思います。越とかビンとかいう人たち。

●紀元前2500年ごろにこの人たちが太平洋に拡散してポリネシア人になったという話もあり。
 今の中国人と顔が違うじゃんと思われるかもしらないが、むかしの中国沿海にはタヒチ人とかトンガ人みたいな人が住んでたんですよ。北方からきた漢民族に追っ払われたわけで。

●なら古代王権は太平洋岸だけ支配してたのか。いや全国に網羅してたと思います。これが後期縄文人というやつで。
 そのころ日本では海位の上昇によってそれまで魚貝を獲って暮らしてた原住民の数が激減してた。ほとんど無人に等しかった。そこへ簡単な農法をもった人たちがやってきたわけで。だから現地人からは熱烈に歓迎されたと思いますよ。神様にされちゃうほど。

●でも途中から「コシ」という人たちがやってきて日本海側を支配してしまった。このころから弥生時代が始まるわけで。
 この人たちは中国山東省あたりにいた漢民族で、いわゆる斉人。漢字では「越」の字があてられてるけど、中国の越とは関係ないと思います。

●むかしはたんにコシとか古志とか呼ばれてた地域に越(こし)という字を当ててたんでしょうな。新潟の長岡あたりに中心地があった気配。
 会津磐梯山麓にあった条里制の都みたいな痕跡はこの漢民族が残したもんだろうと。

●この後期縄文人(国津系)と弥生人(天津系)が時折対立し、あるいは融和しながら共存してたのが弥生時代であり、その影響は蘇我氏と物部氏の対立、平将門の乱、前九年・後三年の役、源平合戦、朝廷と武家の関係、南北朝時代、はては藩閥と自由民権運動の関係にまで及んでおり、ぶっちゃけ日本史は国津系と天津系の関係で説明できたりする。

●ほとんどアトランティス関係ない…いやいや国津系・天津系どっちも元はチベット人という事です。アッサム人です。
 アッサムから北方に行った人たち(漢民族)と、南から海をめぐってやってきた人たち(長江・江南人)が東シナ海沿海で出会ったわけです。そこで目くるめく歴史ドラマが生まれ…。
 もういいか疲れた。

ほうらい大王

●おねショタの神様がどっか行っちゃったのでしばらくイラスト休み。

ツベで見つけた徐福動画
 そっか…徐福かぁ…。思いもしませんでしたな。いやちょっとはそうかなという気分はあったけど。時代が近すぎるんでね。
 このおっちゃんは小田原ルートだけど、おいらは伊豆賀茂→三島→足柄ルートなので。
 まあどっちにしても日本人伊豆発祥説には違いないが。

●でも黒潮にのって北上すれば高確率で伊豆諸島に辿りつくだろうと思うので。徐福だけじゃないと思うので。
 たとえば周の太伯という人も日本に移り住んだという伝説があるし。もちろん新島兄弟が太伯と関係してるとは言わないけど。

●それにですよ。司馬遷が史記を書いたころ中国ですでに「徐福伝説」があったのに違いなく、いつの時代の事かよくわからないので始皇帝のころの話だろうという事にしたのかと。実はベラボウに大昔の話なのかもしらないので。夏とか殷とか。いやもっと昔の…。そういうのを辿ってくと浦島伝説と…結びつき…。

●まあトンデモだ(ぉ

●ついったの拾いもの1。オウム弁当
 地名のAT・ASを漁ってるとこのオヤジの顔が浮かぶ時があってガッカリする。おめーもかよと。

●アレはペンネームみたいなもんだけどね(ペンネーム

●その2。
 まあ日本人は米で何でも作ってしまう所もあるのでモノカルチャーではなかろうが…。米、豆、塩!(菊千代

●このツイ主のアイコンどこかで見たと思ったら…支部でよく見る人だ。すんごい絵を描く人。

●その3。絵は格闘技
 ほんとにこんなこと言ったのこの人。棟方志功じゃあるまいし。

●おいらの場合、猫背で口ぽかーんとあけて作ってますな。たまに「にゃむっ」と口閉じたりして。それが唯一の動き。

渥美キヨシ

●そういえば「渥美半島」という肝心なの忘れてたな…と思って調べてたが、渥美というのは地名じゃなくて氏族名が由来らしいすな。
 むかし半島の先っぽに阿曇(あずみ)氏という海洋民族が住んでたから「渥美」らしい。

●阿曇氏の根拠地は福岡県の阿曇郷だというけど、ならそれ以前はどこにいたのかという。もう言うまでもないすね。あの新島兄弟の子孫は全国に散らばったんですよ。兄弟船ですよ。

●でも阿曇氏=アトランティス人なのか…という疑問が出てくるわけで。阿曇氏の由来がどこ探しても書いてないので。
 おいらが言うアトランティス人は紀元前50世紀とか60世紀とか…とんでもなく古い時代の人々なので。阿曇氏だと有史以後の話になってしまう。ずいぶん近い時代。

●阿曇氏が残した地名…阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海…。そういえばAS・ATの近くに伊豆田とか泉田って地名多いすな。やっぱり関係あったのかな。ひょっとしたら出雲なんかも阿曇由来だったりして…。
 以前書いた福島県の安積平野もそうなのかな。こっちはアサカだけどね。やっぱりATとASは相互変化するんですよ(確信

●また日本に移住してきた民族は一つや二つではなく、それこそ何十もあったろうから、それらがゴッチャになってワケわからなくなってるので。たとえば…

①三皇五帝に討伐された三苗氏(長江文明)の移民が逃れてきた説
②殷によって滅ぼされた夏(これも長江文明)の民が逃れてきた説
③春秋戦国時代の呉越戦争から逃れてきた江南人説(後期縄文人?)
④秦によって滅ぼされた楚の残党説
⑤韓信によって滅ぼされた田斉の残党
⑤徐福説
⑥陳勝・呉広の乱の残党(古墳の技術者?
⑦呉楚七国の乱で敗れた王家の残党
⑧前漢から後漢に推移する混乱期における避難民
⑨三国時代の混乱期における避難民
⑩白村江の戦い以後における朝鮮半島からの渡来民

●思いつくまま書いてみたけど。どれも大量の移民が発生する可能性は高い。とりわけ⑥の陳勝・呉広の乱をおこした主体は、始皇帝による陵墓・阿房宮造営における労働者集団であり、その数は70万人もいたという。それが一度に逃散したとなると、そのうちのごく少数が日本に渡ってきてもおかしくない。
 そういう集団が日本に「古墳」や「埴輪」の技術をもたらしたのではないか…。つまり始皇帝陵とか兵馬俑を作ってた人々。
 そういう人々が「秦氏」を名乗っていた可能性もある。

●また弥生人の骨格を調べると春秋戦国時代~前漢の斉人(山東半島人)と一致するらしいすな。
 たまに日本人で、中国とは関係なく田(でん)さんという人いるけど、あるいは田斉の末裔だったりして。知らないけど。

●阿曇族がどこに属するのかは知らないけど、想像ではよほど古い一派みたいすな。それこそ縄文時代から居たんではないかと思われ。
 船で日本中を旅してまわり、あちこち開拓して地名を残しつつも、それで日本を一円支配してたという形跡はない。開拓するだけ開拓するとあとは地元の人間にそれを委ね、自分らは海上交易にいそしんでたような気もする。どこか坂本龍馬的であり。
 中国式中央集権的な観点からすると「王」という概念からは遠いが、古代日本的な観点からするとそれが「王」のあり方だったのかもしらない。

●縄文時代まで日本にはカモ族とかアヅミ族とかがいて、それらが仲良く共存してたけど、弥生時代になると兵器を携行した戦闘的な連中が入ってきたようすな。いわゆる天孫系の人々。それで「倭国争乱」となり戦闘で負傷した人骨が多くなる。
 アヅミ族もそういう中央集権的天孫族の王権に組みこまれ後に長野の安曇野に移住したらしい。その後は知らず。
 あるいは漁師さんとか海女さんとかはその末裔なのかな。という想像は楽しい。