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土井平蔵の中庭

カチナドール

●記事の分類アトランティスになってるけど、どうしようかね。「トンデモ」にしようかね。
 あんまり増やしたくないんだけどね。

●各地のダイダラボッチの伝説見てると、たいてい貝塚が絡んできますね。
 貝塚=縄文人。だからダイダラボッチとは縄文人なのか?と。

●でも巨人伝説には「製鉄」の話もつきまといます。鉄…そういえば日本ではじめて鉄鉱が採れたのって6世紀以後じゃなかったっけと。それまでは任那から輸入してたので。
 じゃあダイダラボッチとは古墳時代の人なのか??と。

●あとダイダラボッチ伝説って関東や東北に多いですね。古代の東北・関東は蝦夷が支配的だったはずですが。
 ならダイダラボッチとは蝦夷人なのか????と。
 ?がどんどん増えていきます。

●以前、アマテラスの命を受けて天から下ったタケミカヅチとフツヌシの話を書きましたね。で、アマテラスはどうもバイカル湖あたりにいたテレゲン族だったかもしらないと。
 じゃあどうやって来たのか。ふつうなら朝鮮半島ルート…と考えるけど、もしテレゲン族が朝鮮半島を縦断しようとしたら、同地に存在した扶余やら古朝鮮の国々と戦闘になりますね。そんな軍事行動を起こしたら中国の歴史書にも書かれてたかもしらない。
 朝鮮半島と接触せず、しかも中国の可視圏に入らない…。

●まあ大雑把にいうとこんなルートです。

(Google Map)
 アムール川を舟で下るとかなり内陸部からでも太平洋側に出る事は容易です。

 んなバカなと思われるかもしらないが、このルートってけっこう重要なのです。
 蒙古襲来の10年前、モンゴル軍はこのルートから樺太に襲来しました(樺太侵攻)。北海道アイヌと安東氏の連合軍はやっぱりこのルートでキジ湖あたりまで反撃に出てます。
 後年北海道アイヌはこのルートから中国の錦(蝦夷錦)を入手してたし、間宮林蔵のアムール川調査もこのルートです。つまり地元オホーツクの人間からしたら古来よりよく知られた交通路なのです。
 つまりタケミカヅチ・フツヌシの神は北から来たのです。洒落じゃなく。

●でもってこの2柱の神は、関東地方を支配していたアマツミカボシという神を征伐して、それぞれ鹿島と香取の2社に鎮座したという。そのあと高天原からニニギが派遣されて下界(日本)を支配したという。
 ならその後タケミカヅチ・フツヌシの神はどうなったのかという。

●これは日本と環境的に似た海南島の珠崖郡の記事ですが。
 その「珠崖郡(雷州半島)」の記事を見ると「三国呉の孫権が将軍の聶友と校尉の陸凱に3万の兵を与えて珠崖・セン耳の地を討たせた。このとき珠崖郡が再び設置された」
 とありますね。この孫権をアマテラスに、聶友と陸凱をタケミカヅチとフツヌシに、珠崖郡をニニギにすると、およそ当時の日本の状況に似てくるんじゃないかと思ってるんですがね。

●例えばこの聶友と陸凱が呉から独立しちゃったらどうなっただろう。そして珠崖郡の長官と、この独立勢力が並立したらどうなってただろうと。これは仮定ですが。
 そういうことが古代の日本でもあったんじゃないかと。
 軍人であるタケミカヅチとフツヌシは、開発長官として派遣されたニニギの勢力とは独立した勢力となった。つまり蝦夷(カイ、クギ)になったんじゃないか…と。

●この2柱の神って「剣」の神でもありましたね。つまり製鉄技術をもってた。おそらく鉄鉱山も持ってたかもしれない。それが東北・関東地方に数多くのこる「金」のつく地名になってるんじゃないかと。
 しかしニニギ(大和朝廷)の方は持ってた形跡がない。つまり軍事的にいえば初期のニニギ政権は、鉄器を有した蝦夷勢力に圧倒される形だったんじゃないかと。

●そうするとなぜ大和朝廷が任那(鉄の産出地)にこだわったか理由がわかりますね。鉄剣を数多く得ることが、鉄器王権たる蝦夷に対抗する唯一の手段だったからです。
 だから国内で鉄鉱山が発見されると、日本は急速に朝鮮半島への興味を失い、その矛先を蝦夷征伐に向けはじめます。念願だったんでしょうね。

●ヤマトタケルが征伐した東国のまつろわぬ民、坂上田村麻呂が戦った蝦夷のアテルイ…彼らはタケミカヅチ・フツヌシの末裔だったんじゃないか。という結論であり。
 そうするとなぜ蝦夷が大陸遊牧民の性質を帯びてたのかその理由にもなります。

●ならタケミカヅチは反逆側の神として排斥されるはずですが、そうはなりませんでした。なぜなら後に大和朝廷で実権を握る藤原氏の守り神だったからです。藤原氏ってのはもともと鹿島神宮の神官の家柄であり…。説明すると長くなる。
 だから今でもタケミカヅチは神様として大事にされてます。

●でニニギの叔父さんにあたるアメノホヒという人が、なんだかインディアンのホピ族と関わりがあるという話を見たんですが…まあこの話は後日。
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