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土井平蔵の中庭

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額取山

●こうしてみると地名ってのは恐ろしく古い歴史があるのが見えてきます。アトランティス由来なら1万年の歴史がある。それを後世の人間はその時代時代の解釈で表記する。でその由来を聞かれると「わからない」となる。
 でも日本に残るアトランティスの痕跡ってそんな古いもんじゃないと思うんです。といっても大洪水以前・以後という意味での古いという意味ですが。

●アレクサンドル・ゴルボフスキーという人の本だと大洪水の被害というのはヨーロッパ、西アジア、アフリカなどで甚大であり、中国や日本ではそんなでもなかったという。アジアに残る洪水伝説は、たとえあったにしてもごくサラッと書いているか、もしくは存在すらしてない場所もある。
 ひょっとしたら洪水以前はアトランティス人は日本に来ていなかったかもしれず、洪水後に避難するように移住してきたアトランティス人がいたんではないかとも考えられ。だから日本に「新しい干拓地」が多いという証明にもなります。そういう所にアサだのアタだのという地名を残す。

●そういえばカナコさんの苗字も朝隈でしたな…。でもあれは越前朝倉氏+鞍谷公方をモデルにしてるんでアトランティス関係ありません。
 でも朝倉氏も…なんでアサのクラなのか…という。だいたい「朝だけ時間限定の倉庫」って意味わからんでしょ。クラ=偉い人が座ってる場所だから「アトランティスの偉い人が座ってる場所」という解釈もできる。

朝倉氏の発祥地ってどこなのかと思ったら…前回出てきた朝来市の隣にある養父(やぶ)市だという。養父市も例の運河(円山川)沿いにありそこに朝倉天満宮がある。もうほんとに1%なのという。
 朝倉氏は日下部(くさかべ)というのが元の姓らしい。その由来を調べるとナニナニ王、ナニナニ王と一定してないすな。由来というのはたいてい朦朧として一定してない。在地の土着豪族が王権との結びつきが深いことを示すために王の末裔を自称する例は数多くあります。

●前回、北アフリカの地名でアクカだのアクカネシティだのと、AS・ATじゃない地名を列挙してしまったけど、あれはアサ、アサッカときて「アクカ」だったので、流れで書いてしまった結果です。「あれ、アサ、アクカ…まあいいや」的な。だんだん混線してくるんですよ。
 ただ北アフリカはアトランティスにとって極めて重要な土地であり、その超技術が遺憾なく発揮された場所だと思うんです。一時期そこに都を置いていたような印象も受けます。もちろん水が潤沢にあり緑が豊かな時代のころです。カルタゴの繁栄もその遺産の恩恵の上に立っていた結果ではないかという気もします。

●で、磐梯熱海のこと書いてた時は失念してたんですが、そういえばあそこらへんに安積疏水というのがあったのを思い出し。やっぱりアサカです。3代目じゃありません。光代さんでもありません。
 江戸時代まで郡山市の西郊には安積原野という荒蕪地が広がっていたが、猪苗代湖から農業用水をひっぱることで田園地帯にしたという。

●でも安積はそのまま読むと「あづみ」だろうと。いかにも当て字っぽいです。
 と思ったら奈良時代は「阿尺」と書かれてたらしい。アシャクなのかアサクなのか。一般に関東以北は語尾の母音を発音しない(もしくは発音しなくても平気な)のが特徴であり、asakだったのかもしらない。でも平気じゃない関西人はアサクゥ、アサカァと母音を強調する。

●なんでいきなり関西人が出てきたのか。奈良時代のころこの阿尺に葛城王(橘諸兄)という大和朝廷の貴族が赴任してくる。たぶんこの人が「今日からこの土地はアサカァにしなはれ」とか言ったのかもしらない。
 で、葛城王はこの土地を干拓し、ついでに土地の美女(春姫)を都に連れて帰っていった…という事になってます。
 でも橘諸兄の略歴に安積を開発したという経歴が書いてないすな。特筆して書かれるべき大事業だと思うんですが。しかもこの時代はまだ蝦夷の勢力が強くて、ゆっくり干拓してる余裕なんてあったのかな。田村麻呂やアテルイがまだ生まれてない頃の話です。
 なんだか大和朝廷が来る以前からこの土地はある程度干拓されてたんじゃないかという感じもします。そういう伝承もありますが後述。

●干拓…というと郡山には干上がらせるべき湖沼があったのか。たぶんあったんでしょうね。郡山市には無数の溜池があるが、あれは古代湖の痕跡だと思います。そうとう広大な湖だったかと思われ。
 というより日本にある盆地のほとんどに古代湖があった気がします。横手盆地にもあったというし、奈良盆地も内海の痕跡であり、山形盆地にも藻が湖(もがうみ)という巨大湖がありました。もがうみは最上(もがみ)の語源だという。
 それぐらい古代は内陸の水量が潤沢だったという事であり、それを考慮に入れないと古代運河の話もちょっとピンと来ないかもしれません。

●で、それを証明するかのように郡山市の西郊に菅船神社というのがある。こんな内陸にあるのに船というのもおかしいですね。でもこの神社の前まで湖が迫っていたら…と思うと納得できます。
 菅というと菅原道真=天満宮なのかと思ったら関係ないらしい。そのまま菅でつくった船という意味にもとれる。目からウロコですね。古代の船は「菅舟」が普通だったのです。

●菅舟じゃわかりづらいかもしらないけど、葦舟を想像するとわかりやすいかもしれません。古代エジプトにも「ナイルをくだる葦舟」というイメージがあり、先アメリカ文明でも葦舟です。でっかい葦の浮島をつくって家建てて住んでたりする。
 日本では縄文の丸木舟ばかり出土するけど、丸木舟はかなり高級品であり、たいていの人は葦舟・菅舟に乗ってたんでしょう。葦だから腐土化して残らないわけです。

●なんで丸木舟が高級品かってのは、当時は鉄器がないからです。鉄製のノミもない時代、木を刳りぬくのは大変な手間だったと思うんです。しかも一木造りなので、どんな大木でも小型船以上の船を作ることはできない。
 菅か葦ならそういう手間もなく、軽くて巨大な船の建造も可能です。2人いれば小舟をかついで一山越える事もできたと思われ。
 でも小型の葦舟だと外洋の荒波に耐えるのが難しくなる。アトランティス人が内陸の運河にこだわった理由の一つだと思います。

●菅船神社の近くには王宮伊豆神社がある。「!?」となります。王宮ときて伊豆。しかも祭神の中に三嶋大神の名がある。大三王子と弟三王子の父神であらせられる方です。
 あ、こりゃもう確定だ。安積はアトランティス由来だ。アトランティスの開拓の跡だと。

●でもよく見たら、伊豆の豪族だった工藤氏が、自分トコの神様を持ってきただけみたいすな。なんだ偶然かね…。でもアトランティス由来とおぼしき土地に三嶋大神を持ってくるなんて因縁めいた感じもします。というか工藤氏による勧請の由来も後付け臭いんだけどね。
 ともかく工藤氏が来る以前からその神社に祀られていたのが「草別(くさわけ)大神」という神。どうも最初に「阿尺」を開拓した神らしいんだが、この神についてそれ以外のことはわからない。たまに神社の由来記に、古事記にも日本書紀にも載ってない出自不明の神様が出てくるけど、そういう神々が先史文明と関わってくるんじゃないかと思ってますがね。記されざるもう一つの日本史です。

●草別様…一体どんな方だったのか。ナントカの「草別け」という言葉があるが、そこから来た言葉なのか。それとも草別様から「草別け」という言葉ができたのか。
 と考えてた時にふっと思い出したのが冒頭の「くさかべ」という苗字でした。朝倉=日下部、安積=草別…。おおっ! と。先史時代において日本全国を歩きまわって開拓しまくった一族。クサカベ、クサワケ、おおっ!
 …というイメージがふっと湧いて、消えた。見えそで見えない。わかったよでわからない。妙なひらめき。
 だいたい日本の「先史時代」というのは世界史的に見ても新しすぎて、アトランティスの時代と合わない事が多いのです。なのにアタやアサという地名が残る…うーん。

●アサときてクサなら浅草だ。江戸っ子もアトランティス人だ。という丸投げ的結論。
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