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土井平蔵の中庭

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豊旗雲

●なんだか紀元前後の話ばかりでアトランティス関係なさそうに思われるんだが…。
 以前にアトランティスはエジプトの三角州にあった小島であり、その後干拓してしまったので今は無い。という話を見てからアトランティス興味失ったんですがね。
 ファロス島という。世界七不思議のひとつファロスの大灯台とは別な島です。エジプトが干拓される前の話だから、たぶん当時はピラミッドも無い。と思ってますがね。ピラミッドは干拓時の「絡み」で造ったものだから。

●その小島に海の老人(プローテウス)というのが住んでたらしい。
「海の老人」という観念はギリシア神話のポセイドンやネーレウス、日本ではコトシロヌシとかオオヤマツミという神で出てきますな。東西で似てる。

●この東西の類似性というのは共時性というのかな。でもそういう現象とは別に、東西の橋渡しになった人々がいたんじゃないかと。
 それが中央アジアの遊牧民であり。あるいは遊牧民発祥だと思ってるところの「周」だったのかもしらない。

●遊牧民というのは独自の文明は生まない代わりに、文明圏の北辺にあって東西を右往左往してますね。だから中国文明、インダス文明、メソポタミア文明とも接触する。それで文化、言語、宗教、時には遺伝子をも運搬するわけで。
 例のクルガンという古墳文化もメソポタミアのジッグラトを模倣したものかもしらないし。あるいは遠くエジプトのピラミッドの文化も伝わってたかもしらない。

●言語といえばシュメールのディンギル(神)という言葉が、モンゴルではテングリになり、中国では天になってる。日本にはどういうわけか天狗という異形の存在で伝わってる。
 でも修験者みたいな格好して山の上に住んでるわけだから「天に近い」存在ではあるけども。

●山もそうだったけな…。トルコ語ではダギ、中央アジアではダグ。んでもって日本でも岳をタケとかタキとかいいますね。アタゴのタゴも山という意味かもしらないし。マタギも山の人だし。んでもって沖縄でも御嶽(ウタキ)という。

●周の太伯がまず「句呉」に移住したことを思い出す。句呉というのがどこにあったか正確にはわからないけど、たぶん長江の河口付近だろうと。そこから台湾、沖縄をへて、鹿児島半島にやってきた…と考えれば「タキ」の由来がおのずかわ分かるんじゃなかろうかと。
 周というのは山と蛇(龍神)を崇拝する民族だったんですよ。龍神=皇帝という観念はずっと中国文明に残ってますね。だから蛇を崇拝することは別に怪しげ(?)なものじゃない。

●そういえばアシュケナズの話書いた時に「ヤペテの子」と書いてしまったけど、正確にはヤペテの孫でしたな。訂正。
 このヤペテの末裔について調べたいけど日本語ではほとんど説明薄なんすな。英語版ではじめて家系図がわかる。

●でヤペテの子にJavanとい人がいるのを見て「ん?」となったんですけどね。ジャバン? ジャパン? いやいや…話うますぎるだろと。
 正確にはヤワンというそうだけど。

●でもヤワン…ん? と。日本にも同じ言葉あったよな。八幡。はちまん。やわた。やはた。やばん。
 …まあ偶然かもしらないですけどね。でもこの八幡神の幟(ばはん)をかかげた日本の海賊(倭寇)が東シナ海を暴れまわり、それが西洋人の耳に伝わってバハン→ヤパン→ジャパンになったのかな。などと。これは室町時代の話ですけどね。

●でも日本がいくら「ニホンニホン」いっても西洋人はJapanの呼称を通してますね。なんかもっと深いこだわりというか宗教的な理由でそう呼んでるじゃなかろうかと。聖ヨハネ国とかプレスタージョンに通じる話とか。

●聖ヨハネ国というのはあくまで伝説の話で、その話をするとからかわれたそうだけど、本気で信じてた人もあったみたいすな。シュリーマンなんかも本気で信じてて、わざわざ中国や日本にきて詳細な旅行記残してます。まだ幕末のころですよ。
 日本にくるイタリアの宣教師にも頭のどこかに「聖ヨハネ国」のことがあって、それで万里の波濤を物ともしなかったのかもしらない。信仰心というより好奇心で。
 それはいいんですけどね。観光資源的に…。

●でちょっと「え?」となったのがJavanと呼ばれた人々が古代にいるんですよ。イオニア人。つまりギリシア人のことです。
 イオニアはサンスクリット語ではYavanaといい、ヤペテの子「Javan」もイオニア人のことを指してるんじゃないかと。なんかそんな感じ臭い。

●でJavanが住んでた場所はギリシア…じゃなくてトルコとイランの国境付近、ヴァンという地方らしい。近くにヴァン湖があり、エレバンがあり、…ん? アララト山?
 古代にはウラルトゥという国が栄えており。
 北欧神話に、アース神族に敵対するヴァン神族っているけど、ここと関係あるのかな。
 ともかく中東の人たちはこの付近の人たちとギリシア人を同一視してたみたいすな。

●イオニア人は「バルカン半島を南下して」ギリシア文明を築いたみたいに一般には書かれてるけど、上の話を総合するとアナトリア半島を西進してきた感じになるすな。
 ヴァンの近くにはカスピ海があり、交通の要衝テヘランがあり、そのむこうには広大な中央アジアのステップが広がる…。内陸にありながら四通八達の場所という。

●でウラルトゥの「トゥ」ってよくわかないですが、中央アジアにあるアルマトイとかアルタイのトイ・タイに通じる言葉なんじゃないかと。国とか地方って意味なのかな。
 んでもって日本でもヤマタイという国があったすな。八幡はヤマンとも読める。ヤマンタイ。八幡タイ。
 まあいいでしょう(ぉ

●まあアナトリアの内陸に、東西交易にきわめて重要な交通路があり、それが東西の共時性というか類似性を生んだ原因になってるんじゃないか。ギリシア人と日本人が「Javan」「Japan」などと似たような呼ばれ方をしてるのもそこに根源があるんじゃないか。
 という雲をつかむような結論。
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