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土井平助の中庭

猫ランド

【鉄道よもやま】小田原発あずさ

そんなの…あったんだねぇという。なんかぼんやり記憶あるけど。昔の土井さんそんな鉄道好きでもなく。

今は千葉発あずさってあるけどね…朝の7時代に。
需要あるのかなと思ったりもするが…総武各停経由で新宿いく特急って今時めずらしいので…新宿行く人が使ってるのかもしらず。

昔あったのって…あやめとか…快速ラビットとかアーバンとかね。あと東海道線だと湘南ライナーとかおはようライナーとかあったすな。湘南はまだあるのかね。
常磐線のときわはまだあるすな。むかし急行だったけど1回なくなって…また復活したのねあの列車名。

あったなと思ったら今無くて…無くなったなと思ったらリバイバルしてて…常時時刻表に接してないと理解がおっつかないすな。ムリです(ぇ

【えっくす拾いもの】猫県

むかし茨城の地図見てた母親が「仔犬が見える」「仔犬が見える」いうので…どこが仔犬だよと思ったけど…ああやって画像化されるとよくわかるすな。
猫だけどねあの画像。なんか前足をきちっと揃えて座ってる仔犬…というか猫というか。大きな耳もあって。

…まだ納得してない自分がいるけど(笑

秋田と茨城ね。なんの関連性がという…佐竹氏つながりという…無理くりな結びつけ。

と思ったらこんな画像もあり。

猫地図

日本って猫ランドだったんだね。ステキです(ぇ

【歴史よもやま】あのお坊さん

まあ明智左馬之助光春(秀満)…なんか確定的みたいに(^^;

ずっと前にこの坊さんのことずーっと考えてたことあるけど…結局モヤモヤしてて何もわからず。
会津の蘆名氏の一族だとかなんとか…。

天海さんが住持をしてた江戸崎不動院ってトコ行ったことあるけど…建物に明智氏の「桔梗紋」があってびっくりした記憶。
でもよく考えたら江戸崎の領主は土岐原氏で…家紋が桔梗紋だったのよね。

その土岐原氏が滅んだあと…会津の蘆名氏が江戸崎に移ってきて…その時に天海(随風)も一緒にきたらしい。
それゆえ天海=蘆名氏という説が有力になっており。

そのあと天海さんは川越の喜多院にうつる。やっぱし喜多院にも「桔梗紋」がある。なんで!?という。
でも太田道灌も「丸に桔梗」で…その家紋から来てるんじゃないかという。

モヤモヤモヤっとする。

どなたかが考察してたけど…随風と天海ってのはじつは別人で…どっかで入れ替わってるんじゃないかと言ってたすな。説得力ある。

日光に「明智平」って場所があるとか…近江坂本になぜか天海さんの霊廟があるとか…明智家の家老の娘である春日局が異様な権勢をほこるとか…。
明智家の存在無くしては説明できないことばかし。まあ終わらない話でもある。

そいえば坂本龍馬は明智左馬之助の子孫を自称してたすな。家紋も桔梗紋。

江戸の基礎を天海がつくり…その江戸の世を龍馬が終わらせる。なんの因縁かね。

おわり!emoji
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市川ママ

人が読んでもそんなオモロいことは書いておらず。

脳内&ぱうー整理用。おかげでぱうーがだいぶスッキリしたように思い。


【えっくす拾い虫】スナック虫

なん…だかねという。あの目のあたりイヤホンみたい。
たぶん製造中の工程でまぎれこんだ虫か…と思ったらイワシにぺたっとくっついてる虫らしい。
イワシノコバンとかウオノコバンっていうのね…イルカに乗った少年みたいな(ぇ

くっついてれば勝手に生息域を広げることもできるし…イワシにもなんかメリットがあるのと思われ。

食べると美味い…へぇ。コオロギよりああいうのを粉にすればよっぽど滋養があったんじゃないかと思ったりし。
でも海中の虫ってのもキモチ悪いけどね…フナムシ的なの。ゴカイとか。食いたかなし。

エビとかカニとかもそれに類するんだろうけど…エビカニみたいな甲殻類はあまりキモチ悪さ無いすな。なんでだろ。


【地理よもやま】本八幡

誤記なのか…あれが正式名称なのか…。地元の人はモトヤワタだけどね。どっちが正しいのか。
知らないとホンヤワタ、モトハチマン、ホンハチマン…。ヤバタ、ハバ、バハン…色んな読み方があり。
京王にも八幡山(ハチマンヤマ)ってあったすな。

前も書いたけどあれは応神天皇が…って長くなるので略。北九州の八幡(ヤハタ)が発祥地だと思われ。

千葉の本八幡は「葛飾八幡」が由来だっていうけどね。赤ん坊のころの記憶がある神社(ぇ
誰かにおぶられてて…両サイドに縁日の屋台があって…古い建物があって…という。
親に聞いても「あすこだったような…別なトコだったような」と曖昧だけど。柴又帝釈天説も濃厚。

むかしの葛飾八幡は海岸ぞいにあって…神社の前から船が…ってこれも割愛。

あのへんは京成とJRが並走してて…どっちも似たような駅名が並んでるのでより混乱要素。
土地の人間じゃないかぎり記憶の混線も起こりやすいすな。


【鉄道よもやま】我孫子支線

そんな人気あるの…。たしかにロマンがある路線だけど…それは常磐線民だけの現象かと…。

なんでロマンがあるか…って滅多に行かない路線なので。沿線にそんな観光スポットもないし…商業施設もなく。
「我孫子支線乗るぞ!」という強烈な意志がないとね。

乗ると…なんか平行宇宙に来たようなかるいカルチャーショックをおぼえ…。
我孫子駅から常磐線を離れて…どんどん丘の上にのぼってく感じは毎回ドキドキします。あれは何度味わってもよいものです。
風切り音とガタピシ音をたてながら広大な田園風景を爆走してく感じも「旅情感」満載だけどね。今の車両はそんな音するか知らんけど。

オススメはよく晴れた冬の日の昼間です。車内にだーれもいなくてスコーンとした気分になれます。

成田空港&成田山行く時とか…ちょっと時間があまってる時とかあえて我孫子支線経由で行くといいかもね。品川・上野から出てます。
行きはそれでいいけど…帰りまで我孫子支線だと日が暮れるし大変なので…京成か総武線で帰りましょう。


おわりemoji

琵琶湖疎水

【記事拾い物】カケフ君の現在(エンタメスナップ)

そいえばいたなぁ…という。なんか出まくってたすな当時。
今は…なんか貫禄ついちゃって当時の面影はあまりなく。
往時茫々という感じ。

と思ったけど…

現在の掛布さん

あれ…という(-_-; どっちが掛布でカケフだかという。

カケフ君も現在進行形でカケフ君。


【地図よもやま】どこの町

恒例どこあてクイズ。

ヒントが…真珠の島しかない…けどわかったすな。波のぉぉ谷間にぃぃ…という町(どんな

ミ、ミキ、ミキミキミキ…幸吉さんがいた町。

明治ごろ外国の旅行家があすこらへんの海女さんを撮影してたけど…なんか別人種という感じだったすな。
なにしろそのガイジンさんと体格が変わらないという。巨人族の末裔。

現在の伊勢の海女さんの画像あったけどちゃんと(?)日本人だった。
明治期の海女さんと同じ民族なんだろうけど…その間になにがあったのかね。


【地図よもやま】どこの町2

こんなのわかるわけが…って一瞬でわかり。
わかるっしょ(^^;

あの町の区割りとか…右側にちょろっと伸びてる道とか。あれは橋かな…なんなのかなという。

主要の市街地とは別に…東側にも市街地が拡がってるという…ちょっと特徴的な形態かもしらんね。
ニュータウンとは違うんだね…東側の市街地もそうとう「古い」区域だし。もう千年以上…。

町がああいう風に分離してるトコって…他にあったっけ。西舞鶴・東舞鶴とかかね。


【地図よもやま】どこの町3

こんなのわかr…って画像にちゃんとヒント書いてあり。
相模原宮下…橋本三谷線…宮上横山線…って橋本と多摩境の間あたりかね。なかなか盲点な地域。

にしてもあのへんは住宅地と基地と工場が入り乱れて…なんか基板を見てるような感じ。
あの空地にCPUでも置いてあったかのような…。

あの空地には工場があったそうだけど…工場が閉鎖してから用途がわからぬまま放置されてる感じ。

近くに基地があるのでそれ関連かと思ったけど…なんか違うすな。
橋本駅周辺でリニア線の工事してるのでそれ関連かなと思ったけど…これも違うっぽい。ちょっと位置的に離れてる。

ひょっとして…リニア線の開通にともなって橋本駅が発展するのを見越して…商業施設でも作る予定なのか知らず。

結局なんもわからず(笑


Ende

花月総持寺

【鉄道よもやま】一駅の距離

高尾から相模湖まで歩くかーって…ほとんど登山レベルだけどね。時期によっちゃタヒぬ。
川崎-横浜ったら京急なら何駅分かという。川崎-鶴見だって歩いたらけっこう遠いんでないかな…。

1駅といっても千差万別という。東京-有楽町とか…鷺ノ宮-都立家政とかね…隣の駅が見えてる状態。
都心から遠ざかって県境越えるごとに駅間が広くなる気がする。都内は1kmぐらいで…千葉だと2kmぐらいで…茨城になると4km以上当たり前という。
東北・北海道になると雲煙彼方という。異郷に行くがごとし。

以前北千住から上野まで歩いて「なんだこんなもんかー」って思ってたら…土地の人からものっすごいヘンな顔されたすな。
でもほんと「すぐそこ」って感じしたけどね。歩いてどこでも行けるのになんでこんな交通機関ばっかり発達してるのかという。
という田舎モンの体感は置いといて…。

駅間といって個人的に好きなのは古河から宇都宮にかけての東北本線かね。
ほぼまっすぐな路線にポン ポン ポンと等間隔に駅があって…小ギレイな新興住宅地が並んでて…なんか理想的な姿という感じ。
小金井…自治医大…石橋…あいいねという。古河…野木…間々田…あキモチがいいねという。
個人的な印象。



【歴史よもやま】乱世の梟雄

松永弾正久秀。色白で品がよさげで頬が赤くて…イメージ違うじゃんと思うかもしらんけど…。

少年期は三好長慶に"寵愛"されてたっていうんだから…その美貌でのしあがった人。森蘭丸みたいな。
それに加えて経理の才もあったみたいだけどね。

なので長慶さんに何かお願いがある人はまず弾正さんにうかがいを立てたという。
それで弾正さん1人に権力が集中し…って中国の宦官みたいだけど。それに類する。

そういう寵愛を受けてたので「俺ってひょっとして…長慶さんの息子みたいなもんかな…三好ファミリーかな」という錯覚をおぼえてもフシギでなく。
「自分こそが長慶の実質的な後継者だ」という。
後年長慶さんの一族を次々に排除したのはそういう感情があったからじゃないかと思ったりし。そこで梟雄イメージがつき…。

そのイメージのせいか…最後は「火薬をつめた平蜘蛛の釜を抱いて爆死」という壮絶な最期を遂げたことになっており。
上記の経歴を見ると「失火で焼け死んだ」という方がしっくりくるように思い。
あわよくば荒木村重みたいにどっかに逃亡して…ほとぼりが冷めたころ戻ってきて…秀吉の御伽衆あたりになってたかもしんない。

佐和山の城

歴史とか鉄道とかの話はこっちで書こうかね。ぱうーだとかさばる感じするのよね。

ちょいと検討中…


【歴史よもやま】家康の滞在地

行って短期間滞在したことのある場所…なら美濃とか近江とかも外せないんじゃないすかね。信濃・甲斐・相模にも行ってたろうし。
北陸は越前ぐらいかね。金ヶ崎の撤退の時の殿(しんがり)を務めたって話あるし。

のはいいんだけど…茨城がないのが遺憾。「家康が来た!」という伝説を聞かされて育った県民としては。

家康が小貝川を渡ろうとした時に…土地の豪農が手助けをしたので…その褒美として羽田の姓を与えたとか。

江戸崎には家康公お手植えの「逆さ銀杏」があるとか。

家康がたまたま立ち寄ったお寺(利根来見寺)に…むかし文字を教わったお坊さんが住んでて「これは奇遇」と昔話に花が咲き…じゃあこのお寺を赤く塗りなさいと(唐突
建物を朱で塗るのは幕府の許可が要ったんです。それがあるだけで権威(ハク)がつく。東大にある赤門はもともと前田家の江戸屋敷にあった門だけど…って長くなるので略。

じゃあなんで家康さん茨城ウロウロしてたのか…というのは千葉とおなじく鷹狩(という名の巡撫)が目的だろうけど。本当の目的は佐竹・伊達に対する備えすな。
江戸の北方に壮大な防衛ラインを築こうとしてたんだろうと。

でも関ヶ原戦後は佐竹・伊達の脅威がなくなったのでその計画も廃棄された模様。

*伊達政宗はバチカンに使者を送ってたけど…あれは西欧の力をかりて天下を狙ってたってことじゃないすかね。実際伊達は「脅威」だったんです。


【歴史よもやま】三成さんの軍師募集

といったらもうあの人しかなかろうと…シマサーコン。

三成さんは4万石の所領のうちの半分を島左近に与え…って話あるけどあれは作り話らしいすな。
実際は佐和山城主になる以前から島左近は家臣団に名を連ねてたっていう。

でもあんまし虚実を詮索しすぎるのもね。史実ってのは淡々としてるんで…あんまし詮索しすぎると歴史に興味を持つ青少年がいなくなる可能性。ちょっとドラマチックな方がいいのだ。という余談。

でも渡辺勘兵衛の話はホントらしいけどね。
三成さんがまだ500石取りの官僚にすぎなかった時に、その500石を全部勘兵衛に与えたって話。

「お前さんみんな勘兵衛にやっちまって、自分はどうするんだね」と秀吉から聞かれた三成さん「じゃあ勘兵衛の居候になります」って答えて秀吉を大笑いさせたという。
その話が島左近の話にすりかわったのかね。よくわからず。

三成さんが17万石の大名になっても勘兵衛は最初の500石のまま、というのも島左近の話と一緒すな。
あのころはそういう気質の武将多かったのかね。禄高の多寡じゃなくて…主君がどれほど自分を買ってくれるかという。
それがわかったら後は自分の命をなげうつまでという。

一種の奇人、傾奇者すな。