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土井平助の中庭

隅田川貨物駅

全部パウーの再録。備忘用です。

【歴史よもやま】小川太郎宗弘のお屋敷跡

東京のあきる野市にある史跡。ググルマップで見つけ。

なにげなく開いて…誰だ小川太郎さんって思ったら平安~鎌倉時代の人だと。

承久の乱で功を挙げて「薩摩国甑島(こしきじま)に領地を得、土着」して戦国時代まで栄えて子孫は現存してるらしい。

ずいぶん遠いトコに…。
あの島の「里地区」に亀城跡ってあるけどあのお城作った一族らしい。あらま(地図で見たことあり

亀城跡(Google Map)

なんかバーンと瞬間移動させられたような夜。あきる野から甑島やぜ…。

先祖代々西東京に住んでる人は…甑島行ったら遠い親戚に会いにいくような気分でどうぞ(ぇ

【歴史よもやま】可哀想な佐竹氏

色々理由は考えられるだろうけど…一番の原因は江戸に近すぎたせいじゃないかな。
しかも江戸の鬼門の方角に巨大な外様大名がいるという。家康が上洛した時とかに留守を突かれてしまう。源頼朝の時とまったく事情おなじ。

なので家康さんが江戸に移転してからすぐにやったのが対佐竹防衛ラインの構築だったという。
だから何かかんかケチつけて追っ払ったんでないすかね。そのあとさっさと自分の息子(武田信吉)を水戸に据えてるし。

だから佐竹氏転封の最大の主因を作ったのは家康を東国に追っ払った秀吉さんじゃないかと思ったりもし。

*その前に佐竹氏は南方33館の城主を酒宴にかこつけて謀殺してるので…家康よりヒドいことしてたという話。
33館の残党が家康側に仕えてた可能性…。

【鉄道よもやま】TXの停車駅

うーん…新御徒町通過しちゃったら…新宿とか両国行く時にちょいと面倒という。

でも新宿・両国ともに秋葉原まで行って総武各停乗ればいいんだけどね。
そんな両国に需要があるか知らんけど(相撲需要

逆に浅草・南千住は通過でよくねと思ったりもするけど。TX浅草駅って他の路線と接続悪く。
ただ田原町(徒歩10分弱)まで歩けば銀座線あるので渋谷とか行く時に便利だったりし。

南千住…はなんでだろね。日比谷線&常磐線…なら北千住で乗り換えられるし。都電用?

「えーぇ面倒だ、全部停めちゃれ!」というオチかね(^^;

*都心での降車場所を分散してる意味もあるのかな…秋葉原ばっかり集中しないように

もーえーるー…むーねーはー…あーついいたみぃでぇすぅぅ(ダダダダemoji



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府中競馬正門前

【地理よもやま】昔の利根川

久喜市…ってだいぶ南のほう流れてたんすな…って思ったら星川?

そしたら久喜の南の白岡のほう流れてたんすな…想像以上に南。
ほんと古代は「乱流」といっていい感じ。大雨降るたびに川筋変わってたような勢い。

明治のころまで今みたいに水門&スーパー堤防とかなかったので…増水するたビシャビシャだったろうね。
田んぼ=遊水地みたいな。
でも当時の人は平気で川ぞいに河岸&船宿とか作ってんのよね。

なんか特別な避難方法でもあったのか…あるいは洪水なんて日常茶飯事的に気にしなかったのか…と思ったりするけど昔の写真見るとふつうに「被災」してんのよね。
命がけがふつうな時代。

【地理・歴史よもやま】川和の貝の坂(パウー再録)

どこだろと思ったら横浜(鴨居)のららぽーとの裏。全然知らんトコだけどね。

でも前にあすこらへんの歴史調べてた気がするけど…印融法印っていうエラいお坊さん関連で(何調べて
いや日本人が知っとくべき室町最高のインテリジェンスですよ…南方熊楠そこのけの。

あと宅間上杉氏の本拠地だった榎下城ってのが(略

貝の坂ってなんだべなと思ったら日野往還の古道跡。横浜から東京の日野まで通ってた道。
明治末年ごろの地図見たらすでに貝の坂って廃棄されて…わきに新しい道ひかれてるので…ほんとに「旧道」なんすな。
であの…って長くなる…あっ終わらなくなる(克己で終了

ああいうトコはほんと夏場はやめときましょう。

【地理・鉄道よもやま】府中の欠点(パウーの再録)

ほんとあすこらへんの駅って微妙に近接してるすな。歩いて行けそうな。

むかしは南武線と京王だけだったので…へんな交差してるなってだけで多少我慢できたのかもしらず。
そこに武蔵野線が引かれたことで混乱要素増。さらに競馬場線の要素もあり。

全部引き直したらいいと思うんだけど…そんなA列車みたいに行かないのかね。

鉄道がへんな風になるのも土地の因縁とかあるのかな。古い町にありがちな現象。

新府中駅(構想)

こうなるのね(^^;

3つに分かれてたのが1つになるんだから大ターミナル化必至。

府中本町にある競馬場の通路(フジビューウォーク)も長大化必至。どうすんだべな。

グ リ コ ノ オ マ ケ emoji

持節鎮狄将軍

【地理よもやま】沢情報(パウーの再録)

ミシシッピの支流もすさまじかったけど…日本も大概すな。
ていうかミシシッピも細かい沢とかあわせたらトテツもない事になるんだろうけど。

淡水が地球上の水の2.5%ってホントなんかねぇという。でもその7割は南極・北極の氷なんだと。じゃあ0.75%か。
だから南極の氷を利用すれば水不足ってだいぶ解消するんでないかと思ったりもし…余談。

ちょっとした水路に設置する簡易水力発電ってあったけどね。中で渦になるやつ。
それだけで田舎の1集落分の電力まかなえるという…。
ナントカパネルみたいに面積取らないし撤去も容易。温暖化とは完全無縁。

あの沢情報を見ればどこに設置したらいいか分かりやすくなると思うけどね。

簡易水力発電(Youtube)

【歴史よもやま】織田上総守

公家「ほっほっほ尾張の田舎侍、なんも知らんな」

まあ親王任国ね…上総・上野・常陸という。
親王以外「太守」になれない国…なので武家はその副官の「介」が最上位という。

なんでそうなのかな…って古代にそれらの国々に最前線基地が置かれて…親王級の人が司令官に任命されてた時期の名残じゃないかな。
香取・鹿嶋神宮なんかがその前線基地だったのかと思われ。だからどっちも「武神」であり。

のちに前線が北方に移って多賀城(鎮守府)になったけどね。
そのころは別に親王じゃなくても前線の司令官になれたけど。いわゆる征夷大将軍。

だから上総守ってのは征夷大将軍よりも上位なんすよ。それを欲した信長…たんなる無知ゆえなのか(仮定です

*足利義昭を京から追放するのに将軍以上の肩書が必要だったんでないかという仮定

【歴史よもやま】「縄文時代は平和だった」は大間違い?

ひとつの事象だけ挙げて大間違い!というのも何かなと。
でも「ずっと平和だった」とする説にも違和感あるけどね。万年の長きにわたればムラ同士の抗争もあったろうし。

当時日本列島にあまり人も住んでなかったとすれば…そんな争いも起こらなかったんでないかな。
最盛期で30万人だとかいう…人と人の距離が遠いという。

あの千葉の下太田だか…って記事に書いてあり。身分制度も多少はあったらしい。
といっても高度な社会制度にもとづいたソレじゃなくて…もとからムラにいる土着集団と…ヨソからきてムラのヘリとかに住んでた新参者の違いじゃないかな。
土着集団は一族・仲間がいるので死んだら厚く埋葬されるけど後者は…という。

地元の農家はお城みたいな家に住んで立派な墓石とか建てるけど…ニュータウンの住民はチマチマ住んでるみたいな。その両者がごく近いトコに住んでる。
1万年後の人が発掘してそういう跡を見たら「あぁ当時も身分制度が…」とか思うのかね。

チューウ チュウ チュチュemoji

マーワラーアンナフル

上2つの記事はパウーからの再録

【地理・歴史よもやま】石川県人口1位(パウー再録)

明治のころはまだそうだったのね。やっぱし加賀百万石の影響…。

というか昔は富山とくっついてて「石川県」だったのでだいぶ広大すな。

明治のころはあまり都市部に人口が偏ることがなくて…まんべんなく住んでた感じなので…面積と人口がある程度比例しており。
なので可住地面積が広いほど有利という。

それが変わったのは大正になって工業が盛んになって都市部に人が集中してからだろうね。

そのころメトロポリスみたいなディストピア映画が上映されてるので…世界的な潮流だったのかな。

【歴史よもやま】トルコ人は蒙古の「ターター(Tartar)」族(パウー再録)

もとはモンゴルにいた突厥とか韃靼だろうけど。トッケツ、トゥルク、トルキッシュ、タルタル、ターキーという。

その人らが中央アジアに移動して…アナトリア半島へ流入して…セルジュークとかオスマンといった帝国を築く。
なのでもとはアジア系なんすよあの人ら。現地人と混血して西洋人みたいな顔してるけど。

日本は関係なさそうだけど…タケとかツルがつく場所ってターター人らが渡来してきた場所なんでないかと考えてた数年前。
鶴岡、鶴来、敦賀、舞鶴…あとどっか(どっか

髑髏杯といえば信長だけど…あれって匈奴の風習にもあるすな。なんで信長はそんな風習知ってたのかね。

織田家ってもとはどういう家だっけという。越前の劔神社の神主。
ほらツルギ、トゥルク…という。前もどっかに書いたっけな。

*剣をツルギというのもトゥルク由来かもね

【歴史よもやま】古墳から猛毒鉱物

ヤマトモモソ…って卑弥呼といわれてる人の古墳ね。そっから大量の水銀朱。

なんか魔除けだの不老長寿の薬だと思われてたらしくて…大陸の貴族(始皇帝とか)も服用してたみたいだけどね。毒だっちゅの。
日本の「鬼道」ってのも道教思想だろうけどね。

アメリカに移住したピューリタンみたいに…道家の人が日本に大量避難してきた…という事があったのかな紀元前に。

そいえば九州のタブラツ姫のお墓も「雨が降ると古墳から血が流れるという言い伝えがある」って話だけど…あれって朱じゃないのかなと。

田油津媛(Wikipedia)

石室の中を真っ赤に塗ってるので…どっかが崩れて雨水入ると真っ赤な水が流れ…という。

タブラツ姫も卑弥呼説あるのよね。モモ姫とタブラツ姫も魏志倭人伝が書いてるとおりの生活しており。
そのころ日本に一般的にいた祭司長的な女性を卑弥呼(姫巫女)という1人のキャラに集約したような気もし。

王志明emoji

ロベール・ギスカール

全部パウーからの再録&歴史ネタ

【歴史よもやま】毛利季光

頼朝の墓所がある法華堂にお墓あるすなお父さんの大江広元とならんで。
といっても江戸後期に子孫の毛利斉煕公が造営したものらしいけど。

…のはいいんだけどその隣に島津氏初代の島津忠久(頼朝の落胤説あり)のお墓も並んでる。

季光さんと忠久さんの間になんか深い因縁でもあったのかな…と思ったら「たまたま」らしい。

忠久さんの子孫である島津重豪公が…島津氏と頼朝との関係を強調するために忠久さんのお墓を法華堂に造営したらしい。
それがたまたま毛利季光さんのお隣だったという。

重豪公も「へぇ毛利殿の御先祖さんのお隣かぁ」ぐらいに思ってたんだろうけど。
それが幕末になって薩長が連合して…というトコまでは想像もしなかったろうけど。

自分はなんでも「自分の意志でやってる」と思いがちだけど…けっこうご先祖の因縁って強烈すよ。
そういうのは後になってわかる(わからない時もある

【歴史よもやま】西郷従道邸

明治村…って愛知の犬山にある公園ね。
もとは上目黒の西郷山公園に…って書いてあるけど。ていうか前も書いたけど。

明治の地図見ると「西郷邸」ってデカデカと。

明治のころの隆盛・従道兄弟って政敵同士だったけど…従道さんがお屋敷に帰ると隆盛さんが離れの和室でグースカ寝てるという。半居候状態。

隆盛さんの御屋敷って日本橋にあったけど…上目黒の御屋敷までテクテク歩いてきたんだと(ふつう明治の高官は馬車移動

地図にあるように明治のころは田園地帯だったので…田舎の風景が馴染んだのかね。
城山の露と消えるまでの数年前。

【歴史よもやま】無名の大帝国

イスラムのファティマ朝ね。十字軍の侵攻をうけた帝国。
当時のイスラムは学問の分野が発達してヨーロッパなどおよびもつかなかったという。

あの領域で目にとまるのはシチリア島がイスラム勢力下にあることすな。たぶん南イタリアも若干その影響下にあったんでないかな。
ファティマ朝が退潮したあとも同島ではイスラム文化が色濃く残って学問・芸術が大いに栄え…という。

のちにあの島で「世界の驚異」といわれた神聖ローマ皇帝(フリードリヒ2世)が誕生する。
それがルネッサンスとか近代西洋科学のきっかけだと思ってるけどね。

どうでもいいけどイタリアってエキゾチックな伊達男多いけどイスラム時代の影響なのかしらず。

《追記》
個人的に聖書の黙示録ってAD1000年前後の十字軍遠征のこと言ってるんじゃないかなという。
予言はもう千年前に"成就"しちゃってるわけですよ(という見方もあり

じゃあ現代はなんなのか…というと黙示録第20章7の「千年終わりて後サタンはその檻より解き放たれ」の時代。
サタンはどうなったのかというのは黙示録読めばわかる話。

イエス「蝮の子らよ!」

どぷっ…ぶちゅるっ…emoji