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土井平蔵の中庭

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シバの女王

●なんできゃつらはこんなに運河を作りまくったのか…というのは日本人ならちょっと理解できるんじゃないすかね。明治における鉄道史を見ると、わずか40年で全国に鉄道引きまくってる。トンネル掘ったり橋かけたり…。初期の明治政府は極貧状態で鉄道なんて引いてる余裕などなかった筈なんすがね。

●移動の迅速化、大量輸送化というのは鉄道史の事情と一緒でしょうが、古代には古代なりの理由があったと思います。当時旅をする上で最大の脅威とは何だったか考えると、それは野獣だったんじゃないかと。トラもいるしライオンもいるしオオカミもいる。絶滅した肉食獣とかも多かったかもしれません。こちらが集団なら何とかなったでしょうが、1人2人の旅なんてそれこそヘラクレス的冒険です。でも水上なら襲われても対処できる、何とか逃げられる、結果少人数でも移動できるってのがあったんじゃないでしょうかね。

●最新の人類は10万年かそこらで世界中に拡散したという。ならその前の数百万年間は何してたのかという。人間、舟でもないかぎり一山だって越えないと思うんです。舟があるから「行こうかな」という気分になったんで。楽だし、獣に襲われる心配もない。
 で、運河を作ることで世界中どこにでも行ける可能性を見出した。そのあとは日本における鉄道史と同じです。どばーっと、こう…。

●で、なんで運河は無くなってしまったのか。という話はあまり興味ないんですが、色々あると思います。自然現象によるものと、人為的なものによるものです。
 自然現象は、たとえば乾燥化、地盤の隆起、崖崩れ、溶岩の流出、土壌の堆積、風化、水の侵食等々…。なんせ1万年前だし。ほんの600年前に世界最大の人口を擁した大都サライも今は一望の原野です。

●あれだけの大運河だから大量に水を必要としたと思うんです。しかもシマシマ農場の維持にもやはり大量な水が必要になる。それが水源の枯渇を早めてしまったんじゃないか…結果、砂漠化が進行したんじゃないかという。ナスカの地上絵は雨乞いのために描いたという説があります。

●人為的なものというのは…たとえば敵対勢力が運河を自由に使ってしまったらどうなるか。また被治者たる住民が反乱を起こして運河を使用する事もあったかもしれない。だから防衛上の理由で運河を破壊する事もあったろうと。
「全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされた」という言葉が聖書に、「ひとつの言葉を話す人間たちの口から出る言葉を変えさせ、争いをもたらした」という言葉がバビロニアのエンキ神話にあるが、それは何によって可能であるか。運河を破壊することで可能である。

●それでも運河はかなり後年でも残ってたし、使われてたでしょうが、水量がだんだん少なくなって放棄されはじめる。最終的に湿地や窪地になる。地域の住民としてはそういうのがあると往来の不便だし危険だ、という事で埋めて道路や畑にしてしまったのかもしれません。運河の痕跡の大部分が現在は畑になってます。
 まあ運河話はこれぐらいにして…。

●この話の中でギリシア神話ばかり引用してるけど、仕方ないすね。アトランティスに関してもっとも詳細な記録を残しているのがギリシア人だから。でもアトランティス人=ギリシア人とはちょっと違うと思うんです。

●色々ハプログループを漁ってたらハプログループTという系統を見つけ。低頻度ながら3大文明、カナリア諸島、中央アジアにまで及んでる感じです。中国の清朝は80万の満州人で3億の中国人を支配してたというから分布の仕方はこれぐらいでいいのです。これにグループのJとEの要素をくわえると個人的な見解(妄想)に合致します。
 彼らの中心地が地中海のどっかにあったのは間違いないと思うんですが、ある時期にどっかと戦争になったんですよ。それで地中海の覇権を失ってどっかに拠点を移した。それがアフリカのジブチであり、インドの東岸部であろうと…。

●高密度な地域をごくざっと見ただけで、アトクル、アサンソール、アスワプラン、アサイータ、アッサブ、アスマラという地名が出てくる。アレクサンダー大王が自分の名を冠した町をあちこちに建設したノリに似てます。
 とりわけジブチのアッサル湖付近は「島が沈んだ際にできた浅い泥によって妨げられ、今なお航海も探索もできなくなっている」というプラトンさんの記述どおりです。湖底にも建物の痕跡が見てとれます。というかプント国関連で前々から気になってた場所なんすがね。
 まあこれも一つの候補地として…。
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大宛の誓い

●ユーラシア横断運河…と、ここまでくると荒唐無稽なんですが、でも調べると「オレ、運河だよ!」「人工物だぜ!」といわんばかりの痕跡がボロボロ出てくるので、書いてみた始末。シルクロードってのはつまり古代の運河跡だったのです(だっふんだ

●で、まずは西側の入口から…。黒海からカスピ海から通るルートは前述したので省略して、カスピ海側の玄関口です。こうしてカスピ海の東岸を見てみると…たくさん候補がありすぎて迷います。全部該当するのが困りものです。

●じゃあ真ん中のカラボガスゴル湾から…。湾の口がラグーン状になってますが、あれ干拓しようとして埋めたんだと思います。あるいは干拓地だったのか…。干拓地のわかりやすい例はエジプトのデルタ地帯があります。やっぱり沿岸部がラグーン状になってます。これについては追々。

●それはさておきガラパンゴリラ湾の奥に水の流れたような跡、あるいは湖沼の跡があり、それをたどってくとアラル海に辿りつきます。現在のアラル海はあんな感じですが、ちょっと前まで広大だった事を知ってるのは土地の古老じゃなくとも地図見ればわかります。

●そのアラル海からアムダリア川・シルダリア川の2つの河川が東方にむかって流れてます。その両河川に挟まれた地域はいわゆる先史時代版の「肥沃な三日月地帯」というべき地であり、中・新石器時代の遺跡が点在してます。ここにアトランティス人にとって重要な拠点があったことは想像に難くありません。

●石器時代といっても「金属器を持っていなかった」というだけで、他の面では後年以上に優れていたかもしれませんよ。「金属器をもつ必要がなかった」という事です。たとえ精巧な桐のタンスとかあっても桐は有機物だから「炭化した木片」にされてしまうのです。といちおう付記。

●シルダリア川の上流にはシャーダラー貯水池があり、東のベカバードでちょうどよく谷が切られてます。ほんとにプチンと切った感じです。その谷をすぎるとホジェンドのカイラカム貯水池にいたります。そこからフェルガナ(いわゆる大宛)まで広大な盆地になってますが、フェルガナの中心に湖の痕跡があります。そこも湖だったんでしょう。

●で…そっからが大変すな。南には峻嶮な山々がそびえてますが、山越えのルートがあみだくじみたいに走ってます。どれ選んでも途中で行き止まりになってしまうんですが、なんとか頑張って山向こうのヴァフシュ川に到達してください。
 ヴァフシュ川の南にカラクールという広大な湖がありますが、あれで運河の水位を調整してたんだろうと思います。アトランティス人が「水源の管理者」としての性質を持っていたことを御想起ください。

●川をずーーっと東に辿ってくと自然に(?)タクラマカンの広大な砂漠が開けます。ここにも巨大すぎる古代湖があったそうな。砂漠が全部海だったんです。全アジア人共通の発祥地といわれてる母なる海です。で楼蘭まではずーーっと湖上の旅です。そうです楼蘭は「湖畔の町」だったんです(だっふんだ

●楼蘭から東にむかって直線状のナニヤラが走ってます。直線の南にはこれまたシマシマ状のナニヤラが…。もうシマシマ農場にしてくれ!といわんばかりのナニヤラです。おわかりですね。
 その直線は途中にある山々をぶったぎって東進してます。アトランティス人の腕の見せどころです。「こんなこと、お前ら(現代人)にもできんだろ!」と言わんばかりの豪快さです。もって瞑すべしです。

●その直線の終着点にこんな水たまりがあります。ここもけっこう重要な地点だったんじゃないかと思います。なぜなら目の前に川(弱水)が流れてて、この川を北へくだるとアムール川に出るからです。つまり海に出ます。

●その東のゴビ砂漠上にはワジ(枯れ川)があり、それをああしてこうして辿ってくと鳥海という町に出ます。ちょっとズームアウトして周辺の砂漠を確認するとかなり大規模なシマシマ農場がある事に気づきます。
 あとは黄河をくだるだけで海に出ます。ちなみに長江の上流域がすぐそばにあるというので、それとも繋がってたかもしれません。つまり2ウェイで海に行けたのです。
 終わりです。

●山削ったり谷掘ったりして、とても人間技とは思えないし、それで自然物(断層、岩脈、氷食、方状節理などの現象)で片付けられてしまうんでしょうが「運河」というテーマで見ていくと、これらの構造物は関連性があることに気づきます。何もない所にポンと造ったわけじゃなくて、元からあるものをうまく活用してる的な…。それでもヘラクレス的物理的作用が必要になりますが。
 でもヘラクレスよりもっとスケールの大きな人がいますね。「我に支点を与えよ、さすれば地球をも動かさん」といったシチリア島のアルキメデスです。ここに何やら「アトランティス魂」のようなものを垣間見る気がします。

アドルクリスティン

●説明不足はWIKI先生やググルマップ等でおぎなってくんさい。

●ナイル・紅海ルート
 今でもスエズ運河使わずに水路づたいでエジプトから紅海行けるみたいすな。
 ここの水路を東にずっと辿ってくとスエズ運河とおらずに紅海側に辿りつきます。
 ただしゴール地点は封鎖されています。昔は行けたんだろうけど。

●これは一例であって、エジプト東部のガララキブリヤ山地には、紅海とナイル川の支流を結ぶようにたくさん斜線が走ってます。
 でもエジプト諸王朝がこれらを造ったとは思えません。というか存在すら知らなったんじゃないかと思います。それでヌビアやエチオピアに遠征する時も、わざわざナイル川を遡上して、危険な砂漠を超えていったんですね。

●シリア・ペルシャ湾ルート
 これも地中海からインド洋側に抜けるルートです。たくさんあったと思いますが、一例をあげると、ここのハタイという海岸に河口が存在していたような痕跡があります。
 ここから北東にすすむとかつて湖があったような盆地がいくつか存在し(アレッポ、ハラブ周辺)、その向こうにはアサド湖があります。このダム湖の湖底には人類がはじめて農業をしたとされるテル・アブ・フレイラが沈んでます。紀元前90世紀というから、かの「大洪水」が起こってから数千年後の遺跡かと思われます。
 この湖をすぎるともうユーフラテス川であり、そこから海へは一本道です。

●ヨーロッパ運河群
 これもね…たくさんあったと思います。というか大西洋側の河川と、地中海側の河川を結ぶだけで大洋間運河のできあがりです。現にそういう運河が今でもたくさんある。
 ブルターニュ半島の尖端から、パリの内陸にむかっていくつか運河の痕跡があるが、こういうのを見ると海中に沈んだ都市イスの伝説を思い出す。

●このアルカション湾にも運河の痕跡があるんだが、ここの海底をそーっと覗いてごらんなさい。建物の遺構がはっきり残ってます。やっぱりイスはあったのかな…という。
 黒いシマシマ状のやつは地元の人が養殖でもしてるんだと思う。

●インド運河群
 これもね…たっくさん(略) 面倒臭いんだよ! 無いわけないさ!

●サハラ運河群
 あったさ! ああ、あったさ! 無いわけないさ!

●まあいちおう書いてみると、アフリカ(とりわけサハラ砂漠)はたぶん世界で一番運河が多かった地域でしょうな。
 アフリカ西岸地域から地中海のチュニス方面にむかって白くて太い線のようなものが走ってます。サハラはかつて緑豊かな地域であり、その中心部には巨大な内海があったそうな。もうおわかりですね。

●黒海・カスピ海ルート
 かのシマシマ農場があった地域すな。あの農場が、あるいはインド・ヨーロッパ語族の発祥地だと思ってるんですけどね。つまりインド人と西洋人の祖先はあそこで仲良く住んでたんですよ。で、何かあって分かれ分かれになったんですよ。

●カスピ海西岸のアストラハンも運河の候補地(というか現在でもヴォルガ・ドン運河がある)なんですが、ここよく見るとかのシマシマ農場を今でも使ってる感じすな。そうそう、こういうのを言いたかったんで…。
 シマシマ農場と生きる町。

●カスピ海の南にあるアスタラという所も運河がペルシャ湾側に走ってた感じなんだが。途中にあるオルーミーイェ湖が中継地です。でそのすぐそばにはアララト山がある…。ノアはたぶんこの地域の人なんだと思ってますけどね。

●というか運河のあった地域には「アト」だの「アタ」だの「アス」とか付く地名が多いすな。At は Ath になるのでアスになるんだろうけど。
 アッシリアとかアスワンとかアトス山とかもアトランティス由来なのかな。日本にも足羽(あすわ)とか浅間(富士山の古名)とか熱海とかありますな。どれも気になる土地です。

●次回はユーラシア大陸横断ルートというのを…。電波○年かっちゅうね…。

ヤノマミ

●大洋と大洋をむすぶ運河というのはあくまで50%ぐらいの想定で「あったんではないか」という話なので、まあ眉唾で見てくんさい。

●アメリカ横断ルート
 これは大西洋側のセントローレンス川から、五大湖→ミズーリ川→ボンネビル湖をへて太平洋に通じるルートです。ボンネビル湖というのは(前述した)現存しない古代湖です。
 五大湖とミズーリ川の中間には湖沼が散在しているため、ここにも巨大な湖があった可能性があります。
 他にもミシシッピ川ルート、リオブラボデルノルテ川ルートなど複数のパターンも考えられます。

●メキシコルート
 メキシコ湾のコアツァコアルコスから、太平洋のサリナクルスへ通じるルート。テワンテペク地峡というそうなが。
 コアツァコアルコスの南部にはかつて内海があったような低地があり、中間の山岳地帯にも地面を切ったような跡がいくつも見られる。コアツァコアルコスはオルメカ文明の都であり、よくモアイ像で引き合いに出される巨石人頭像が有名です。
 またユカタン半島は概して平べったい半島ですが、そこにも縦横に運河が走っていた形跡があり、その周辺にチチェンイッツァなど有名な遺跡が乱立してます。

●ニカラグアルート
 カリブ海側のサンファン川から遡上してニカラグア湖→マナグア湖をへて太平洋にいたるルート。
 ここが一番存在していた確率の高いルートです。現にマナグア湖からカリブ海までは河川でつながってます。ひょっとしたら古代はニカラグア湖とマナグア湖はひとつの湖だったかもしれません。
 ちなみにサンファン川の河口付近は「アトランティコ」という地域だそうな。

●コロンビアルート
 カリブ海側のアトラト川から、太平洋側のサン・ファン川(前述のサンファン川とは別の川)を結ぶルート。
 この地域の地図は解像度が粗くてよくわからないのですが、この2つの河川はどうも上流部分でつながってる?感じです。WIKI先生には「パナマ地峡を通る運河の中継地にする計画が一時期あったが」とある。
 アトラト、と来てその河口付近にはやっぱり「アトランティコ」という県がある。偶然だろうけどね。

●オリノコ川、またはアマゾン川ルート
 これらはわかりやすいので割愛。

●パタゴニアルート
 これは現在しています。ちょうどよくスパッと切れたような感じです。
 なんだこれだけじゃんけと思うでしょうが、その切り口の幅は4キロもあります。しかもこの海峡がなかったら船舶は大まわりして危険な外洋を航行しなければなりません。逆をいえばこの海峡があるおかげで船はずっと安全な内海を航行できるのです。やっぱり「音戸の瀬戸」的な意図的なものを感じるのです。

●あくまで可能性の話なので、一個もなかったかもしれないし、逆に無数にあったかもしれません。かのルイジアナの大運河群を建造した連中がこういうのを造れない筈がないという類推でやってます。
「登るのが面倒な高い山脈を叩き割って大陸であった場所に海峡を作り」というヘラクレスの伝説を信じるしかありません。

●とここまではアメリカ大陸だけです。他の地域については…指の筋力が許すかぎり(ぇ
 こういうのを見ると、メソアメリカ文明と先ポリネシア文明の結びつき、エジプトと中米にピラミッドがある理由、縄文土器がエクアドルで発見される理由などが、何となく見えてくると思います。また大運河が存在していた地域には高確率で文明が発生しています。
 パタゴニア…は知らんけど。色々超越してるけど。

貞山堀

●ルイジアナの運河群は、はじめ「ここに町があるからこんな運河作ってるんだろうな」と思ってスルーしてたんですが、よく見ると町なんか無いわけで。一望の大湿地です。
 それでも「水運の利のために掘ったんだろうな。アメリカさんは金があるな」と思ってやっぱりスルーしてたんですよ。

●でもツベで「うおっこれ古代遺跡じゃねーの」と驚いてるUSAのおっさんの動画見て「あれ?」と思ったわけで。アメリカ人自身知らないんじゃないかと。
 で、調べたらやっぱりマジメに考察してるページがあって、やっぱり遺跡なのかもしらんという。

●中にはキレイな直線状運河もあって、現代の(石油探査運河?)とゴッチャになってるんですが、やっぱりおかしな部分もある。水没してる所、封鎖してる所、海底の形状、建物の土台跡などです。
 キューバ危機の時にアメリカが国防上の理由で掘った…という大事なことなら教科書に載せとけよ!と。そんなことどこにも載ってないわけで。
 ネットなら何かわかるだろうとググると「古代遺跡だ!」とアメリカさん自身が書いてるわけで。

●まあ…80%遺跡でしょうね。見たところ100万以上の人口があったように思えます。これは少なく見積もってです。下手したら1千万人はいたかもしれない。
 じゃあ誰が住んでたのか…とルイジアナの先住民族の遺跡見てみたけど、あきらかに規模も質も違います。土器文化・部族国家以上の遺跡を残していない。部族国家があんな大運河群を掘りまくったという…それこそトンデモに思える。

●たとえば隋は京杭大運河というのを修復しただけで反乱が起こって崩壊しました。長大ですけど幅20mもない細い運河です。それだけで巨大な負担だった。
 北米「最古」といわれる19世紀のリドー運河も見てのとおりほっそい水路です。それですら世界遺産になってる。

●江戸幕府は世界でも稀にみる「運河大好き」政権だったと思うんですが、その幕府ですら印旛沼運河(ほっそいやつ)を造ろうとしたけど結局失敗してます。
 明治政府も利根運河を造ろうとして「財政のムダだ」と猛反発を食らった経緯があります。
 運河を掘るということが(近世においても)どれだけ大変だったかという事です。

●なのに…やつらは…掘りまくってやがる! まるで運河開削用ロボット「運河くん」でも存在してたのように!
 まあ現代人にはわからない、彼ら独自のコツでもあったんでしょうかね。「掘るんじゃないんだよ、刻むんだよ」的な。ズボンはいたままパンツ脱ぐ的な。…よくわからないですが。

●もしこれを遺跡だとしたらアメリカはこの運河(あるいは干拓地)の恩恵を今でもバンバン受けてる感じであり、つまりアメリカはアトランティスの遺産の上に立っている事になる。そうすると色々納得がいきます。

●…とこの運河を見てて思ったんだが、これほどザクザク地面掘れるんならパナマ運河、スエズ運河に類するものも既に持ってたんじゃないかと。つまり大洋と大洋を結ぶ運河、アトランティス人が世界の制海権を握ることのできた原動力です。
 太平洋と大西洋を結ぶ運河は今パナマ運河一本だけですが、彼らは複数本持ってたんじゃないか…という。
 まあ探せば色々見つかるんですが、指が疲れたのでこの辺で。