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土井平蔵の中庭

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アドルクリスティン

●説明不足はWIKI先生やググルマップ等でおぎなってくんさい。

●ナイル・紅海ルート
 今でもスエズ運河使わずに水路づたいでエジプトから紅海行けるみたいすな。
 ここの水路を東にずっと辿ってくとスエズ運河とおらずに紅海側に辿りつきます。
 ただしゴール地点は封鎖されています。昔は行けたんだろうけど。

●これは一例であって、エジプト東部のガララキブリヤ山地には、紅海とナイル川の支流を結ぶようにたくさん斜線が走ってます。
 でもエジプト諸王朝がこれらを造ったとは思えません。というか存在すら知らなったんじゃないかと思います。それでヌビアやエチオピアに遠征する時も、わざわざナイル川を遡上して、危険な砂漠を超えていったんですね。

●シリア・ペルシャ湾ルート
 これも地中海からインド洋側に抜けるルートです。たくさんあったと思いますが、一例をあげると、ここのハタイという海岸に河口が存在していたような痕跡があります。
 ここから北東にすすむとかつて湖があったような盆地がいくつか存在し(アレッポ、ハラブ周辺)、その向こうにはアサド湖があります。このダム湖の湖底には人類がはじめて農業をしたとされるテル・アブ・フレイラが沈んでます。紀元前90世紀というから、かの「大洪水」が起こってから数千年後の遺跡かと思われます。
 この湖をすぎるともうユーフラテス川であり、そこから海へは一本道です。

●ヨーロッパ運河群
 これもね…たくさんあったと思います。というか大西洋側の河川と、地中海側の河川を結ぶだけで大洋間運河のできあがりです。現にそういう運河が今でもたくさんある。
 ブルターニュ半島の尖端から、パリの内陸にむかっていくつか運河の痕跡があるが、こういうのを見ると海中に沈んだ都市イスの伝説を思い出す。

●このアルカション湾にも運河の痕跡があるんだが、ここの海底をそーっと覗いてごらんなさい。建物の遺構がはっきり残ってます。やっぱりイスはあったのかな…という。
 黒いシマシマ状のやつは地元の人が養殖でもしてるんだと思う。

●インド運河群
 これもね…たっくさん(略) 面倒臭いんだよ! 無いわけないさ!

●サハラ運河群
 あったさ! ああ、あったさ! 無いわけないさ!

●まあいちおう書いてみると、アフリカ(とりわけサハラ砂漠)はたぶん世界で一番運河が多かった地域でしょうな。
 アフリカ西岸地域から地中海のチュニス方面にむかって白くて太い線のようなものが走ってます。サハラはかつて緑豊かな地域であり、その中心部には巨大な内海があったそうな。もうおわかりですね。

●黒海・カスピ海ルート
 かのシマシマ農場があった地域すな。あの農場が、あるいはインド・ヨーロッパ語族の発祥地だと思ってるんですけどね。つまりインド人と西洋人の祖先はあそこで仲良く住んでたんですよ。で、何かあって分かれ分かれになったんですよ。

●カスピ海西岸のアストラハンも運河の候補地(というか現在でもヴォルガ・ドン運河がある)なんですが、ここよく見るとかのシマシマ農場を今でも使ってる感じすな。そうそう、こういうのを言いたかったんで…。
 シマシマ農場と生きる町。

●カスピ海の南にあるアスタラという所も運河がペルシャ湾側に走ってた感じなんだが。途中にあるオルーミーイェ湖が中継地です。でそのすぐそばにはアララト山がある…。ノアはたぶんこの地域の人なんだと思ってますけどね。

●というか運河のあった地域には「アト」だの「アタ」だの「アス」とか付く地名が多いすな。At は Ath になるのでアスになるんだろうけど。
 アッシリアとかアスワンとかアトス山とかもアトランティス由来なのかな。日本にも足羽(あすわ)とか浅間(富士山の古名)とか熱海とかありますな。どれも気になる土地です。

●次回はユーラシア大陸横断ルートというのを…。電波○年かっちゅうね…。
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