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土井平蔵の中庭

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さざんか

●自分でも何書いてるんだかわからないんですけどね。大意は「アタ族は周王朝の一族であり、周はもともとトルコ系遊牧民だった」という所です。
 でも日本に来た民族は他にたくさんあるのでゴッチャになるわけで…。縄文前期にも来たろうし、百済が滅亡した時にも来たろうし、遼とか契丹が滅んだ時にも来たろうと。そういうのがイラストのレイヤーみたいに重なってるわけで。
 ほんとにアトランティスどこ行った…という所だけど。

●前回アマツミカボシとは「金星だ」という平田篤胤の指摘に対してちょいと難色を示したけど…おいらは違う星を想定してたので。でもまあ金星なのかな…という。
 個人的にはシリウスだと思ってたんですけどね。夜空見てすぐに「あっ」とわかるのはあの星なので。

●シリウスって漢字だと「天狼星」ですよね。でもって突厥の阿史那氏を引用した時は気づかなかったんですがアシナというのはメス狼の名前らしい。有名な「青き狼」ですよ。
 トルコの(未採用で終わった)紋章にも狼と星と月がしっかり描かれてますね。
 じゃあ月とは何か…という。それは後述。

●で、秋田太平山の由来にも「狼平」と書いてたとあり。オイダラというのは巨人だけでなく狼をも意味してるんではないか。ダイダラボッチとは突厥とおなじく狼を崇拝する遊牧民発祥なんじゃないかという話で。

●べつに日本で…狼を神聖視してる話…というのは無いな…と思ったんだけど、よく見たら「名前」がズバリでしたな。オオカミ=大神です。んでもってアイヌ人が狼を神聖視してたというのは有名な話。
 つまり大三王子はオオカミ王子だったわけで(どんな

●まあ…これは秦代の地図なんですけどね。秦のまわりにたくさん異民族が住んでる。
 周が岐山を拠点にしてた事は以前書いたけど、あの地域って古代の基準でいうとほとんど「中原の端っこ」ですよね。すぐ北か西には異民族が住んでる。
 んでもって古公亶父はそれよりもっと西(もしくは北)から移住してきたという。つまり殷のまわりに住んでた遊牧民の一つだったわけで。

●その元居住地あたりを見ると「月氏」って書いてありますね。あの大月氏(ダイゲッシ)です。
 でも漢代の張騫のころはもっと西のイシク湖周辺に住んでたはずで。つまりもともと東寄りの民族だったのが、遊牧民同士の抗争にやぶれて西の方に移動した。

●でも犬戎だの靺鞨だの邪馬台だのとさんざんな表記のされ方をされる異民族の中で「月氏」…なんだか綺麗な書かれ方をしてます。むしろ美称みたいな。なんでしょうねこの差は。
 と思ったら周や秦の発祥地もだいたい月氏の原住地(西涼地方)とかぶる事に気づいたわけで。つまり周・秦からも「同祖同根だ」と思われてたのかもしらない。あるいは通婚を通して血縁的に近かった。だから蛮族として扱わなかったんではないか。

●という事は、月氏は日本のアタ氏とも周を介しての同族という事になりますね。そして両者にはある程度の交流があった…。
 と弥生時代の銅剣の記事見てて思ったんですけど。

●「中国華北や内モンゴルに分布するオルドス式銅剣に似ており」とある。んでもって「中国から日本海ルートで流入した可能性がある」
 中国といっても漠然としすぎてるんですが…じゃあ中国のどこからなのか。という答えは銅鐸の記事に書いてありました。「越」です。

●なんで北方の文化が、南方の越を経由してくるのか…というのは句呉の太伯が関係してくると思うんです。
 つまり越から日本に銅鐸を贈ったのは太伯の末裔、アタ族とは親戚だった貴族。「遠い島に住む親戚へのプレゼント」として銅鐸を贈ったという解釈もできる。
 その越はどこからオルドス式銅剣を取り寄せていたか…。言うまでもなく月氏ですよ。

●トルコのアナトリアで誕生したという青銅は、中央アジアの騎馬民族を通じて大月氏→中国→越→日本にもたらされた。となるわけで。
 で、青銅って銅と錫を合成することで精製される。
 無錫市というのもかつては「錫がたくさん採れる場所」という意味で有錫といったそうだけど、採りすぎて枯渇したので無錫になったという。あの無錫も呉越の地域です。
 という事は北陸の越(こし)というのも越(えつ)に関係するのかな…。関係ないって書いちゃったけど。まあ…そこはまだ考察の余地ありで。

●イシク湖畔にいた大月氏はさらに西へ逃れ、クシャーナ朝、ギダラ朝などを建国したあと、ササン朝ペルシアに吸収されて…その後どうなったかわからない。でも今のトルコ人はちゃんと国旗に「月と星」を描いてます。星とはつまり…月とはつまり…書くまでもなし。
 日本や中国はもう大月氏という民族を忘れちゃったけど、向こうはちゃんと憶えてるんですよ。感動的ですね。

●「月と星」この信仰は日本にも伝わって星神(カガ)という大酋長的な存在を生んだんではないかと。でもって「妙見信仰」として残ったんではないかと。
 これを紋章にしてた大名いましたね。千葉氏です。平将門の末裔を称する人たちです。
 つまり将門伝説ってのは…ふむふむ(何を

●でも狼がいませんね。そのかわり「千葉」で「犬」が出てくる話があります。あの八犬伝です。
 馬琴さんは「夢の啓示」であんなこと書いた…といってるけど。何か知ってんじゃないのと。どうなの。どうなの馬琴さんと。
参照:南総里見八犬伝の謎
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ゴトランド

●前回の日記の太平山の記事は削除しました。秋田に太平山っていくつもあるのでゴッチャになったんすな。
 むかしは「おいだらやま」と読んだという事だけ書いときたかったので。

●ぶっちゃけていえば太平山=大三王子=ダイダラボッチです。で、大三王子=大物主=大国主=オオナムチだと思ってますけど。
 もう日本中の神社でオオナムチ(力の象徴)とスクナビコナ(知恵の象徴)がセットで祀られてます。二王子です。

●この二王子信仰というのも古代では一般的だったみたいすな。それがどういうわけか富士浅間(ふじせんげん)信仰と結びついてる。
 というところで思い出したのが「縄文時代の富士山は2つの連山だった」という話です。ブラタモリでやってたんですが(ぇ
 つまり筑波山みたいな形してたわけで。二つ山です。

●で現在の富士には何が祀られてるか…というとコノハナサクヤ姫ですね。でこの女神様はアタ系(周)の人ですね。
 でも何でかカモ系(秦)の神社でもこの女神様を珍重してるフシがある。じゃあカモ系の女神様なのか…。ごちゃごちゃ…。

●弥生時代のアタ・カモによる抗争は…たぶんカモ族優勢だったと思うんです。で、やっつけたアタ族の神を根絶してしまうか…というと古い住民が反発するでしょうね。いくら農地を獲得しても住民がいなければお米とれないので。だからアタ族を懐柔する。
 という過程で「アタ・カモ習合」という事が行なわれたんではないかと。

●これは飛鳥時代以降における神仏習合とほとんど事情は同じです。またそれ以前にもカモ氏による賀茂信仰と仏教が習合して修験道が生まれた…と思ってますけどね。
 大和朝廷はカモ系の氏族でありながら古いカモ系の豪族を排斥したかったんです。だから仏教を取り入れた。
 排斥された側のカモ氏も生き残りのために仏教観を取り入れて修験道を生み出した…という流れかと。それが役小角であり空海だったかもしらない。

●…と似たような事をネチネチと考えつづけてた人が秋田太平山の麓にいたんすな。何かの因縁というか…。平田篤胤という人。
 この人はどういうわけかアタ・アサに関わる場所を好んで遊歴してる。でもって師匠が紀伊の本居大平(本居宣長の養子)という人。んでもって「大平」の号をお師匠さんから頂戴してます。
 太平=アタ・アサという事に、無意識的なレベルで気づいてたフシがあるすな。辞世の句にも「あたら」という字を入れてるし。気づいてたな…という。

●修験道の話を色々見てるうちに、やっぱりオーディンおじさんがモヤモヤと出てくるわけで。隻眼で老人でローブ着てて、槍を杖代わりにして、諸国を遍歴しながら奇瑞を残したりする。…何かに似てませんかね。役小角と空海ですよ。あるいはその後輩であるところの修験者。
 こういうのは日本や北欧にかぎらず、古代のシベリア・ウラル地方の遊牧民・狩猟民の信仰としてあったんではないかと。

●そんな昔じゃなくても戦国時代にも一人いるんすな。山本勘助です。
 この人も正体不明というか、伝説まみれというか…ほんとに実在したかわからない。若いころは諸国を放浪し、戦上手で、しかも隻眼ときてる。オーディンが「戦いの神様」でもあったことを思い出しつつ。

●…というだけならたんなる類推にすぎないんですが、山本勘助の出身だという候補地見てると「うおっ」となります。やっぱり三河国加茂なんですよ勘助さん。
 つまり山本勘助像というのは修験道(賀茂信仰)から生まれたイメージなんではないかと。戦国時代の軍師って修験者に近かったそうだし。

●ほかにも円空だとか左甚五郎だとか菅江真澄の放浪人を追ってるとアタ・カモの影がチラチラするすな。導かれるようにその地を訪れて、なんか作ったり書いたりしてる。菅江さんは顔のような埴輪を発見して「これは古代の鎧だ」とかなんとか書いてる。
 菅江真澄はもとは三河国渥美の人ですが、どういうわけか秋田太平山の麓を気にいってその地で亡くなってます。ほとんど導かれるようにストンとそこに…という。
 ちなみに修験者が「聖山」と崇めてる山岳は、むかし王様の宮殿があった場所だと思ってますけどね。自覚的というよりも潜在的に残ってる記憶からだろうけど。

●で、オーディンで思い出したけどブリュンヒルデですよ(唐突
 そういえば北欧神話に「フナランド」って出てきたよな、フナ=フン人って意味だったよな…と思ってブリュンヒルデの記事見たらしっかり「古エッダではフン族」と書いてあり。しかも兄の名前が「アトリ王」ときたもんだ。
 フン人の有名な王がアッティラであり、突厥の王も阿史那氏でしたな。やっぱりAT・ASだと。

●この阿史那氏の称号である可汗。カガン。チンギスハンのハンです。この称号を用い出したのは5世紀ごろからとあるけど、いやもっと大昔からあったとか何とか。それより語源が書いてない。

●このカガンの称号をもった人が日本にもいたんすな。
 それが星神香香背男(ほしのかがせお)、そして多祁美加々(たけみかが)という人です。
 前者は古代史詳しい人なら知ってるだろうけど、じゃあ後者は誰だ。というと他でもない新島の大三王子の本名です。伊豆下田では多祁美加々=応神天皇だという信仰があるそうで…。

●カガって「輝く」の語源になった言葉だそうですが、ほかに星という意味もあるらしい。平田篤胤は「金星だ」とか言ってたそうだけど…まあ明るい星ならシリウスだのデネブだのたくさんあるんですが…まあ金星にしときましょう。
 あるいは加賀国とか足利(あしかが)という地名、筑波山の歌垣(かがい)という古代の風習も星(カガ)から来てるんではないか…。

●だいたい歌を「カ」と読むのは漢風ですよね。あれは当て字だと。自分たちの祖先神であるところの「星神」が居る祭りという意味で「カガイ」なんではないかと。
 星=可汗の因果関係は全然わからないですけどね。

●…というところでちょうどよく気力が尽きる。

阿島傘

●なんだか連日書いててバカみたいだな…。まあボルテージが尽きる前に書いてしまうという流れで。1日置くとどうでもよくなる事多し。

●大洗の先祖の墓参りに行く途中で、いつも丘の上から「白いおっさん」が顔を覗かせてるので、アレなんだっぺなぁと思ってたらだいだらぼうという巨人。あぁアレがダイダラボッチかぁと。
 昔はそんなに興味がなかったんだけど、近ごろ色々と巨人伝説を見てるうちに「そういえば大洗に…」という事を思い出した次第。

●大串貝塚…という遺跡の上に立ってる巨人像。真っ白ですね。
 でも周の太伯=北方コーカソイド=白い巨人というイメージでいくと合ってるのかもしらないけど。

●白人系とかいうと今の西洋人思い出すかもしらないけど、そうだけど…そういうんじゃなくて…。だいたいこんな感じの人。なんか北欧神話に出てきそうなおっちゃん。
 フィンランドのサーミ人。昔はフェンニー族と呼ばれてたそうで匈奴(フン人)との関連が色々噂される人々。フィンランドもフン人の国云々…。

●それはともかく「だいだらぼう」ですよ。はじめは大足(おいだら)という土地に大きな「山」があって村人が不自由してたけど、それを別な場所に移したと書いてありますね。それが今の朝房山だという。やっぱりAS出てきましたよ。
 以前から朝房山は気になってたんすけどね。やっぱり巨人と関わりがあったかという。
 にしても大足(おいだら)…直球やんけと。

●でこの大串という貝塚だけど「串」の字がある地名にはやっぱり巨人伝説があるんすな。太伯が上陸したであろう鹿児島半島の西岸には「串木野」ってあるし。
 なんか…クシが来た、みたいな。なんだクシって。

●ほかに紀伊半島の先っぽにあるトンボロ状の半島も串本という。太平洋に突き出してて、そのまま黒潮に乗りやすい場所みたいな。
 でその岬の先っぽの地名に着目ください。「出雲」です。やっぱりここにもアタ・カモにまつわる一族が住んでたんじゃないかと。
 つまり出雲って山陰の出雲だけじゃないってことです。北陸にも出雲崎ってあるし。奈良にもあるんです出雲が。余談だけど。

●古事記にもクシナダヒメっていますね。その両親というのがテナヅチ・アシナヅチ…すなわち土蜘蛛といわれてるところの巨人族です。で、テナヅチ・アシナヅチの父親は誰か。
 オオヤマツミ。すなわち鹿児島阿多の王。アタ族の祖先神です。

●じゃあそもそもクシって何なのか、巨人って意味か…ってそんな単純じゃないすな。以前日記で書いてたのを思い出し。
 つまりトゥルク系の言葉で「赤い」という意味です。クジュル、キジル、クシュ、クジュ、クス、クシ…(あるいはヒンズー語で山という意味もあるらしい)。
 でもなんで…わざわざ「赤」なんて字をつけるのか。巨人とどう関係あるのか。

●という時にふっと思い出したのが「赤帝」ですよ。なんか治水に関する書を持ってる神様。この神様ってどこに住んでたっけかと。
 紹興市の宛委山、古代「呉」といわれた地域です。
 んでもって呉といえば周の太伯が最初移住したといわれる場所。すなわち「句呉」です。

●最初「句呉」ってクゴって読んでたんだけど、クコと読んだら…あの赤い実です。杏仁豆腐に入ってるやつ。
 つまり句呉って「赤」という意味があったんじゃないか。あるいは赤をシンボルカラーにしてた国だったのか。だからそこを治めてた皇帝は「赤帝」だったという。で後年、太伯はその句呉の王様になった。
 で赤をトゥルク系の言葉になおすとクシ。串。櫛…もうおわかりですね。

●クコの記事を見ると「クコの葉を入浴剤として風呂に入れる伝統風習が長野県阿智村や喬木村にある」とありますね。どっちも諏訪の塩街道ぞいにある地域です。こんなところでまた塩街道出てくるとは思わず。ほんとにパズルだなぁ古代史は…。

●とするとあちこちにある九頭竜(くずりゅう)という地名も何となくわかりますね。「9つも首のある龍」というよりも赤い龍をクス龍といったんでないかと。
 で龍神=皇帝で、すなわち九頭竜とは「赤帝」のことなんじゃないかと。
 ちなみに箱根の芦ノ湖畔にも九頭竜神社あってありますね。すっごく思わせぶりな所にある。もう古代人好きそうな場所。

●まあ…太伯本人じゃないかもしらないですけどね。その子孫の誰かが大船に乗って来たんですよ。沖縄や鹿島の伝説にある「白面の神」のように。たぶん青い瞳をしてたかもしらない。
 呉といえば孫権思い出すけど、あの人も碧眼だったらしいすな。後漢の頃までコーカソイドの特徴をもった人が残ってた…いや今でもいるかも…ちゅーかいたし。

●でちょっと思ったのが北欧のオーディンとオイダラという語感が似てるなと思ったので。以前ならただの偶然でスルーしてただろうけど、サーミ人みたいな民族がユーラシアを右往左往してた、と考えると「うーん…」となるわけで。
 犬戎、北狄、匈奴…フェンニー…。伝達者・媒介者…。

*秋田太平山の記事はヘンテコな部分があったので削除しました。

筑登之親雲上

●まあダラダラとヘンテコなこと書いてますけどね。でもよほど変な事は書いてないつもりであり。
「この世界、および日本という国は元々どういうものだったのか」
 という事を自分が納得するように書いてるだけであり、自分のために書いてるようなもんで。

●べつにおいら古代史に専門的な見識があるわけでなく。Wikipedia先生とGoogleMapだけが頼りであり。定見なんかありゃしない。Wikipedia先生がそう言ってるからそう書いてるだけという。ちょっとパズルゲームの感覚に近いすな。

●自分で楽しむだけなら別に公開する必要はないんだろうけどね。でも…いつか誰か読むかもしらないという期待が…書く張り合いを生むんでね。ゲームも超個人的な世界だけど、Twitterとかでスコアとか途中経過を画像で公開してるでしょ。あのノリです。

●去年の今ごろにこういう話書きはじめて、ウワ~ッと書いてるうち、ある時フッと書けなくなり。おねショタ絵もフッと作れなくなり。
 で他のことやってると、ある時フッと書けたりする。なんかのついでで書いたら「やっぱりトンデモ話おもろい」という風になった的な。

●イラストは…まだしばらくお待ちください。おねショタの神様どっか行っちゃって戻ってこない。

●ひっさびさの拾いもの1。沖縄のスーパー
 どぅぶんどぅぶん、どぉぼんどぉぼん…。ニュクチャカニュクチャカ…。

●そういえばヌンチャクって沖縄発祥でしたな(急に

●その2。素子
 荒くれ女戦士タイプだったのか素子さん(どんな分類

●4枚目の実写版の人が酒飲みながら「やなこった、へっへーん」と言ったら噴く。流暢な江戸弁で。

●その3。ラノベツクール
 なんか昔ものっすごい執念でフリーのノベルゲーム製作ツール漁ってたけどね。取りつかれたように。

●でもノベルゲームってよくわからない&ストーリーが浮かばないで何も作らなかったんですけどね。なんだかなという。

豊旗雲

●なんだか紀元前後の話ばかりでアトランティス関係なさそうに思われるんだが…。
 以前にアトランティスはエジプトの三角州にあった小島であり、その後干拓してしまったので今は無い。という話を見てからアトランティス興味失ったんですがね。
 ファロス島という。世界七不思議のひとつファロスの大灯台とは別な島です。エジプトが干拓される前の話だから、たぶん当時はピラミッドも無い。と思ってますがね。ピラミッドは干拓時の「絡み」で造ったものだから。

●その小島に海の老人(プローテウス)というのが住んでたらしい。
「海の老人」という観念はギリシア神話のポセイドンやネーレウス、日本ではコトシロヌシとかオオヤマツミという神で出てきますな。東西で似てる。

●この東西の類似性というのは共時性というのかな。でもそういう現象とは別に、東西の橋渡しになった人々がいたんじゃないかと。
 それが中央アジアの遊牧民であり。あるいは遊牧民発祥だと思ってるところの「周」だったのかもしらない。

●遊牧民というのは独自の文明は生まない代わりに、文明圏の北辺にあって東西を右往左往してますね。だから中国文明、インダス文明、メソポタミア文明とも接触する。それで文化、言語、宗教、時には遺伝子をも運搬するわけで。
 例のクルガンという古墳文化もメソポタミアのジッグラトを模倣したものかもしらないし。あるいは遠くエジプトのピラミッドの文化も伝わってたかもしらない。

●言語といえばシュメールのディンギル(神)という言葉が、モンゴルではテングリになり、中国では天になってる。日本にはどういうわけか天狗という異形の存在で伝わってる。
 でも修験者みたいな格好して山の上に住んでるわけだから「天に近い」存在ではあるけども。

●山もそうだったけな…。トルコ語ではダギ、中央アジアではダグ。んでもって日本でも岳をタケとかタキとかいいますね。アタゴのタゴも山という意味かもしらないし。マタギも山の人だし。んでもって沖縄でも御嶽(ウタキ)という。

●周の太伯がまず「句呉」に移住したことを思い出す。句呉というのがどこにあったか正確にはわからないけど、たぶん長江の河口付近だろうと。そこから台湾、沖縄をへて、鹿児島半島にやってきた…と考えれば「タキ」の由来がおのずかわ分かるんじゃなかろうかと。
 周というのは山と蛇(龍神)を崇拝する民族だったんですよ。龍神=皇帝という観念はずっと中国文明に残ってますね。だから蛇を崇拝することは別に怪しげ(?)なものじゃない。

●そういえばアシュケナズの話書いた時に「ヤペテの子」と書いてしまったけど、正確にはヤペテの孫でしたな。訂正。
 このヤペテの末裔について調べたいけど日本語ではほとんど説明薄なんすな。英語版ではじめて家系図がわかる。

●でヤペテの子にJavanとい人がいるのを見て「ん?」となったんですけどね。ジャバン? ジャパン? いやいや…話うますぎるだろと。
 正確にはヤワンというそうだけど。

●でもヤワン…ん? と。日本にも同じ言葉あったよな。八幡。はちまん。やわた。やはた。やばん。
 …まあ偶然かもしらないですけどね。でもこの八幡神の幟(ばはん)をかかげた日本の海賊(倭寇)が東シナ海を暴れまわり、それが西洋人の耳に伝わってバハン→ヤパン→ジャパンになったのかな。などと。これは室町時代の話ですけどね。

●でも日本がいくら「ニホンニホン」いっても西洋人はJapanの呼称を通してますね。なんかもっと深いこだわりというか宗教的な理由でそう呼んでるじゃなかろうかと。聖ヨハネ国とかプレスタージョンに通じる話とか。

●聖ヨハネ国というのはあくまで伝説の話で、その話をするとからかわれたそうだけど、本気で信じてた人もあったみたいすな。シュリーマンなんかも本気で信じてて、わざわざ中国や日本にきて詳細な旅行記残してます。まだ幕末のころですよ。
 日本にくるイタリアの宣教師にも頭のどこかに「聖ヨハネ国」のことがあって、それで万里の波濤を物ともしなかったのかもしらない。信仰心というより好奇心で。
 それはいいんですけどね。観光資源的に…。

●でちょっと「え?」となったのがJavanと呼ばれた人々が古代にいるんですよ。イオニア人。つまりギリシア人のことです。
 イオニアはサンスクリット語ではYavanaといい、ヤペテの子「Javan」もイオニア人のことを指してるんじゃないかと。なんかそんな感じ臭い。

●でJavanが住んでた場所はギリシア…じゃなくてトルコとイランの国境付近、ヴァンという地方らしい。近くにヴァン湖があり、エレバンがあり、…ん? アララト山?
 古代にはウラルトゥという国が栄えており。
 北欧神話に、アース神族に敵対するヴァン神族っているけど、ここと関係あるのかな。
 ともかく中東の人たちはこの付近の人たちとギリシア人を同一視してたみたいすな。

●イオニア人は「バルカン半島を南下して」ギリシア文明を築いたみたいに一般には書かれてるけど、上の話を総合するとアナトリア半島を西進してきた感じになるすな。
 ヴァンの近くにはカスピ海があり、交通の要衝テヘランがあり、そのむこうには広大な中央アジアのステップが広がる…。内陸にありながら四通八達の場所という。

●でウラルトゥの「トゥ」ってよくわかないですが、中央アジアにあるアルマトイとかアルタイのトイ・タイに通じる言葉なんじゃないかと。国とか地方って意味なのかな。
 んでもって日本でもヤマタイという国があったすな。八幡はヤマンとも読める。ヤマンタイ。八幡タイ。
 まあいいでしょう(ぉ

●まあアナトリアの内陸に、東西交易にきわめて重要な交通路があり、それが東西の共時性というか類似性を生んだ原因になってるんじゃないか。ギリシア人と日本人が「Javan」「Japan」などと似たような呼ばれ方をしてるのもそこに根源があるんじゃないか。
 という雲をつかむような結論。