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土井平助の中庭

額取山

●こうしてみると地名ってのは恐ろしく古い歴史があるのが見えてきます。アトランティス由来なら1万年の歴史がある。それを後世の人間はその時代時代の解釈で表記する。でその由来を聞かれると「わからない」となる。
 でも日本に残るアトランティスの痕跡ってそんな古いもんじゃないと思うんです。といっても大洪水以前・以後という意味での古いという意味ですが。

●アレクサンドル・ゴルボフスキーという人の本だと大洪水の被害というのはヨーロッパ、西アジア、アフリカなどで甚大であり、中国や日本ではそんなでもなかったという。アジアに残る洪水伝説は、たとえあったにしてもごくサラッと書いているか、もしくは存在すらしてない場所もある。
 ひょっとしたら洪水以前はアトランティス人は日本に来ていなかったかもしれず、洪水後に避難するように移住してきたアトランティス人がいたんではないかとも考えられ。だから日本に「新しい干拓地」が多いという証明にもなります。そういう所にアサだのアタだのという地名を残す。

●そういえばカナコさんの苗字も朝隈でしたな…。でもあれは越前朝倉氏+鞍谷公方をモデルにしてるんでアトランティス関係ありません。
 でも朝倉氏も…なんでアサのクラなのか…という。だいたい「朝だけ時間限定の倉庫」って意味わからんでしょ。クラ=偉い人が座ってる場所だから「アトランティスの偉い人が座ってる場所」という解釈もできる。

朝倉氏の発祥地ってどこなのかと思ったら…前回出てきた朝来市の隣にある養父(やぶ)市だという。養父市も例の運河(円山川)沿いにありそこに朝倉天満宮がある。もうほんとに1%なのという。
 朝倉氏は日下部(くさかべ)というのが元の姓らしい。その由来を調べるとナニナニ王、ナニナニ王と一定してないすな。由来というのはたいてい朦朧として一定してない。在地の土着豪族が王権との結びつきが深いことを示すために王の末裔を自称する例は数多くあります。

●前回、北アフリカの地名でアクカだのアクカネシティだのと、AS・ATじゃない地名を列挙してしまったけど、あれはアサ、アサッカときて「アクカ」だったので、流れで書いてしまった結果です。「あれ、アサ、アクカ…まあいいや」的な。だんだん混線してくるんですよ。
 ただ北アフリカはアトランティスにとって極めて重要な土地であり、その超技術が遺憾なく発揮された場所だと思うんです。一時期そこに都を置いていたような印象も受けます。もちろん水が潤沢にあり緑が豊かな時代のころです。カルタゴの繁栄もその遺産の恩恵の上に立っていた結果ではないかという気もします。

●で、磐梯熱海のこと書いてた時は失念してたんですが、そういえばあそこらへんに安積疏水というのがあったのを思い出し。やっぱりアサカです。3代目じゃありません。光代さんでもありません。
 江戸時代まで郡山市の西郊には安積原野という荒蕪地が広がっていたが、猪苗代湖から農業用水をひっぱることで田園地帯にしたという。

●でも安積はそのまま読むと「あづみ」だろうと。いかにも当て字っぽいです。
 と思ったら奈良時代は「阿尺」と書かれてたらしい。アシャクなのかアサクなのか。一般に関東以北は語尾の母音を発音しない(もしくは発音しなくても平気な)のが特徴であり、asakだったのかもしらない。でも平気じゃない関西人はアサクゥ、アサカァと母音を強調する。

●なんでいきなり関西人が出てきたのか。奈良時代のころこの阿尺に葛城王(橘諸兄)という大和朝廷の貴族が赴任してくる。たぶんこの人が「今日からこの土地はアサカァにしなはれ」とか言ったのかもしらない。
 で、葛城王はこの土地を干拓し、ついでに土地の美女(春姫)を都に連れて帰っていった…という事になってます。
 でも橘諸兄の略歴に安積を開発したという経歴が書いてないすな。特筆して書かれるべき大事業だと思うんですが。しかもこの時代はまだ蝦夷の勢力が強くて、ゆっくり干拓してる余裕なんてあったのかな。田村麻呂やアテルイがまだ生まれてない頃の話です。
 なんだか大和朝廷が来る以前からこの土地はある程度干拓されてたんじゃないかという感じもします。そういう伝承もありますが後述。

●干拓…というと郡山には干上がらせるべき湖沼があったのか。たぶんあったんでしょうね。郡山市には無数の溜池があるが、あれは古代湖の痕跡だと思います。そうとう広大な湖だったかと思われ。
 というより日本にある盆地のほとんどに古代湖があった気がします。横手盆地にもあったというし、奈良盆地も内海の痕跡であり、山形盆地にも藻が湖(もがうみ)という巨大湖がありました。もがうみは最上(もがみ)の語源だという。
 それぐらい古代は内陸の水量が潤沢だったという事であり、それを考慮に入れないと古代運河の話もちょっとピンと来ないかもしれません。

●で、それを証明するかのように郡山市の西郊に菅船神社というのがある。こんな内陸にあるのに船というのもおかしいですね。でもこの神社の前まで湖が迫っていたら…と思うと納得できます。
 菅というと菅原道真=天満宮なのかと思ったら関係ないらしい。そのまま菅でつくった船という意味にもとれる。目からウロコですね。古代の船は「菅舟」が普通だったのです。

●菅舟じゃわかりづらいかもしらないけど、葦舟を想像するとわかりやすいかもしれません。古代エジプトにも「ナイルをくだる葦舟」というイメージがあり、先アメリカ文明でも葦舟です。でっかい葦の浮島をつくって家建てて住んでたりする。
 日本では縄文の丸木舟ばかり出土するけど、丸木舟はかなり高級品であり、たいていの人は葦舟・菅舟に乗ってたんでしょう。葦だから腐土化して残らないわけです。

●なんで丸木舟が高級品かってのは、当時は鉄器がないからです。鉄製のノミもない時代、木を刳りぬくのは大変な手間だったと思うんです。しかも一木造りなので、どんな大木でも小型船以上の船を作ることはできない。
 菅か葦ならそういう手間もなく、軽くて巨大な船の建造も可能です。2人いれば小舟をかついで一山越える事もできたと思われ。
 でも小型の葦舟だと外洋の荒波に耐えるのが難しくなる。アトランティス人が内陸の運河にこだわった理由の一つだと思います。

●菅船神社の近くには王宮伊豆神社がある。「!?」となります。王宮ときて伊豆。しかも祭神の中に三嶋大神の名がある。大三王子と弟三王子の父神であらせられる方です。
 あ、こりゃもう確定だ。安積はアトランティス由来だ。アトランティスの開拓の跡だと。

●でもよく見たら、伊豆の豪族だった工藤氏が、自分トコの神様を持ってきただけみたいすな。なんだ偶然かね…。でもアトランティス由来とおぼしき土地に三嶋大神を持ってくるなんて因縁めいた感じもします。というか工藤氏による勧請の由来も後付け臭いんだけどね。
 ともかく工藤氏が来る以前からその神社に祀られていたのが「草別(くさわけ)大神」という神。どうも最初に「阿尺」を開拓した神らしいんだが、この神についてそれ以外のことはわからない。たまに神社の由来記に、古事記にも日本書紀にも載ってない出自不明の神様が出てくるけど、そういう神々が先史文明と関わってくるんじゃないかと思ってますがね。記されざるもう一つの日本史です。

●草別様…一体どんな方だったのか。ナントカの「草別け」という言葉があるが、そこから来た言葉なのか。それとも草別様から「草別け」という言葉ができたのか。
 と考えてた時にふっと思い出したのが冒頭の「くさかべ」という苗字でした。朝倉=日下部、安積=草別…。おおっ! と。先史時代において日本全国を歩きまわって開拓しまくった一族。クサカベ、クサワケ、おおっ!
 …というイメージがふっと湧いて、消えた。見えそで見えない。わかったよでわからない。妙なひらめき。
 だいたい日本の「先史時代」というのは世界史的に見ても新しすぎて、アトランティスの時代と合わない事が多いのです。なのにアタやアサという地名が残る…うーん。

●アサときてクサなら浅草だ。江戸っ子もアトランティス人だ。という丸投げ的結論。
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七霧の里

●ATもしくはASではじまる地名ってどのぐらいの割合であるのかと思って調べたら全体の1%ぐらいですね。10%ぐらいあるのかと思ったけど。
 語頭のAは、U、E、HAに変化する場合もあり、エト、ウト、ハトとなる。Hは発音しない場合がある。ギルガメシュ叙事詩に出てくる「ウトナピシュティム」もあるいは「アトナピシュティム」なのかもしらず、そうするとアトラ・ハシースに語感が近づいてくる。創世記のノアに相当する人です。

●こういうのは「アル~」とつくとああイスラムなんだな、「サン~」「セント~」とつくとキリスト教なんだなとわかるのに似てます。とにかく「あ、ここあいつらが好きそうな場所だな。好きそうな岩場だな」という場所にはATかASがついてる。「居てました!」と言わんばかりに。その傾向を列挙すると

・山が切ってあるような場所
・岩がむき出しになってる場所(石切場?
・現在ダム湖になってる場所(むかしも人工湖だった可能性あり
・干潟(古代干拓地?
・扇状地、谷のすぼまった部分

 あとすんごい山奥に運河の中継地みたいな村を作ってた感じすな。そういう所に山越えの人足をたくさん置いてたんでしょう。左肩がごっつ盛りあがった男とか。

●あとマル、アマ、カル、クシとかも多い気もするが。遺跡らしき所にATやASがない場合この地名がついてます。クシは中央アジア(トルコ系)で「赤い」という意味らしく、クシュ、クジュ、キジル、クズルなどに変化します。クシャーナ朝にクジュラ・カドフィセスという王様いるけどクシャーナとクジュラもそうなんかな。トルコにもクズルウルマク川があるすな。天は赤い河のほとりの赤い河だろうけど。
 なんか「赤い」という意味には他に深い意味がある気がするね。赤心という言葉もあるし、仁丹とか臍下丹田の丹も赤です。太陽とか生命といった。

●日本の(くすり)という語源調べると「奇すし」だの「草」だのと一定してないけど、あれも中国の「丹」から来てるんだろうと。丹=赤い=クスという風に。クス玉もそうだったりして…。
 地名だと久慈、串木野、九頭竜(くずりゅう)川、九重(くじゅう)連山とかあるけども…さすがにね。でも中央アジア全域で使われてる言葉が日本だけ例外というのも何だけどな。
 赤い川…いろいろ写真とか見たけど九頭竜川はべつに赤くないすな。ただ福井の山奥は柘榴石の産地だというのでそれと関係するのかな。赤い宝石の川…。ここで問題になるのは赤いのは宝石なのか川なのかという(どうでもえ
 まあこの話は置いといて…。

●この北アフリカのゲルミン・エス・スマラ地方には東西にたくさん岩脈状の山脈が横たわってますが、山が切られた場所にはたいていその名がついてます。アサ、アクカ、アクカネシティ、アグラカル、アディス、アッサカ、エスメラ…他探すともっとあるかもしらない。おかしいでしょ1%なのに。
 あとタタ、ティサンという地名もあり。タタやティサンはティターン族を連想します。プラトンさんもアトランティス人は北アフリカの「アトラス山脈のはじっこ」に住んでるとか書いてるし。新島の大三王子と弟三王子もティターンが語源だったりして。2人とも北アフリカ人だったのかな…。

大三王子「アハハ、バカ言ッテンジャネーヨ」 弟三王子「フジャッケンナヨ」

●地名といえば日本もそうだったな…。この旭市周辺にはかつて椿海(つばきうみ)という内海があったが、江戸時代に干拓されて今の姿になってます。それにしては周りの丘がきれー…に、定規でひいたように直線状に切られてます。丘むこうの小見川周辺もきれー…な箱状になってます。
 それはいいんだけど、干拓前にはやっぱりラグーンがあったらしい。ラグーン…つまり椿海は水没した古代干拓地、だったのかな。江戸時代の人も「あ、これは埋め立てやすそうだな」と思って埋めたんだろうし。
 ああアサヒ市だからアレか、アトランティスかと思われるかもしらないが違います。中洲があったと思われる場所に「網戸」という地区があるが、そこは江戸時代まで阿知戸と呼ばれてたそうな。その丘向こうにも貝塚で有名な阿玉台があります。やっぱりアチでありアタです。

●瀬戸内海の姫路から、日本海側の豊岡にかけて運河にしてもおかしくないような(播但線ぞい)がずーっと続いており、いやまさかな…と辿っていくと朝来(あさご)市がある。「お?」となります。「来てた? アサ来てた?」とこう…。途中の生野銀山の所でこういう風に谷がふさがってる。これさえ無ければ滞りなく行けるのに…まるで誰かが塞いだかのような…。誰が…?
 生野というのはむかし死野といわれてたそうな。生死の境です。んでもって生野には姫宮神社がある。
 なんで姫路なのか。姫とは誰なのか。誰がその路を辿っていったのか。んでもって生死の境に姫宮神社…さ、わかるっしょ。

●実際塞いだかのかは知らないけど、人為的に塞がれた運河も多いかもしれません。長野の仁科三湖もなんだか運河跡っぽいんだが、やっぱり塞がれたような跡がある。3D機能で斜めから見ると直線の堤防状になってるのがわかると思います。この山さえなければ日本海側から諏訪方面に抜けることができます。で諏訪湖には天竜川の上流がある…もうおわかりですね。
 これで敵が運河を利用できない、船で来られないようにしたんだろうかね。まるで太平洋側と日本海側の勢力が戦ってたかのような…。もし武田信玄と上杉謙信が戦ってて、両者の間に通行しやすい運河があったらどうなりますかね。お互い恐怖でしょうね。
 仁科三湖もやっぱり姫川流域です。姫って誰のことなんでしょうね。

●太平洋側の阿武隈川から、日本海側の阿賀野川につながる運河があったら便利そうだな…いやでもまさかな…と思って辿ってくと磐梯熱海という場所がある。毎回こんな感じでATに出くわします。ここから直接西に向かうルート…というのが自然ですが、途中段差があってちょっと怪しくなる。昔はダム湖でもあったのかな。
 あるいは北の安達太良(アダタラ)山の脇を通るルートも考えられます。山の西麓には小川が流れており、それを辿ってくと、あら不思議、磐梯山のどてっぱらに辿りつきます。途中かなり大胆な省略。

●ともかくこの磐梯山にもどなたか住んでた感じなんですけどね。戦場ヶ原で見た例の陸橋の跡もあるし。ちなみにこの山の神社も磐椅(いわはし)神社…。陸橋は天鏡台という隆起につながっており、台のむこうに磐梯山がある。でもって陸橋の南にある森はなんだか条里制のような形状になってる。まるで都でもあったかのような…。条里制の都というのは中国の方式なので、超古代のものじゃないと思うんですけどね。だいたいアトランティス人は対称的な形状を嫌います。
 この磐梯山下を通りすぎると日橋川が流れており、それを辿ってくと会津若松、そして阿賀野川に到達します。江戸時代も会津藩の物流の要となっていた川です。そのあとは日本海です。

●途中かなり怪しかったけど、まあ隠滅したものと仮定して…もしこういう運河があったら相当便利だったと思うんです。でもって磐梯山下の「お宮」のような形状。
「会津磐梯山は宝の山よ」というのは運河の中継貿易で栄えたという意味なのでは…。
 戦国大名の芦名(あしな)氏は相模国芦名が発祥といわれてるが、それは後付けであって、ほんとは古くから会津地方にいた豪族なんでは…。
 その芦名氏から出たという天海僧正、そして江戸の町におけるあの壮大な土木事業…と色々トンデモ妄想が膨らんで困る始末。

●でもこれら運河が後年まで存在していたら江戸時代における西廻り・東廻り航路なども存在してなかったに違いなく、各地の港の繁栄もなかったわけで。何が良いのか悪いのかという話。

西洋紀聞

●日本の事ばかり書いてるけど、アトランティス人はどこにでも来てたろう、日本にも来てたろうという仮定で、知ってる事を羅列してるだけです。ヨソのことはよー知らんという。
 なら日本にはアトランティス人の子孫はいるのか、というと答えは居ます。むしろ世界中の人間がその子孫だろうと言える。
 けどアトランティス人の主体をなしていたと仮定しているハプログループTの遺伝子を継承してる人は地域限定になります。
 日本には来てなかったのか、どっか行っちゃったのか…。鬼界カルデラの噴火の時に、それまで日本にいた原住民は絶滅、あるいはどこかに移住したという話があります。

●アトランティス人、と書くと何やらそういう純血種がいたような感覚になるが「ある文明を持った人々」の総称であり、それが何種であるかはどうでもいいのであって。だから最初に「鳥人族」という書き方してたんですが、途中からアトランティス人の方が便利になっちゃった。通りもいいし。

●何かで見た話だとアトランティスは1万年(!)も続いたらしい。それはもはや国というより「ある時代」の名称であって、それを一つの民族だけで主導していたとは考えにくい。
 たとえば古代エジプトの初期のファラオはアジア的な風貌を備えてたそうですが、だんだんベルベル人、リビア人などの要素が強くなり、最終的にギリシア人(プトレマイオス朝)がファラオになってた。クレオパトラもそういうギリシア人の末裔です。でもローマ人からは「エジプト人」と呼ばれてた。

●アトランティスも色んな民族が参加してるうちに最後は全然ちがう系統の民族が「王」になってたんじゃないすかね。その名称もムーになったりレムリアになったりオリンポスになったり…あるいはそれらが並立してた分裂期も考えられます。そういう意味で日本にもアトランティス人の子孫はいるという事です。ちょいと分かりづらいですが…。

●シュメール人は系統不明の民族といわれてますが、個人的な勘ではアトランティスに所縁の深い人々だったんじゃないかと思ってます。そのシュメール人はみずからをウンサンギガ(混ぜ合わされたもの)と称していたそうです。自分たちが色んな民族の集まりであることを名に込めているのです。
 アンサンブルという言葉が「集合」「全体」という意味なのも何やら意味ありげです。アッセンブルという言葉も同根の言葉かもしれません。すいません妄想です。

●あれだけ世界性を持ってしまった大帝国が、一つの民族だけで維持していくのは困難だと思います。それで土着の有力者に、市民権だか松平姓だかの特権を与える。それで「今日からあなたもアトランティス人」になる。そういう人たちの子孫が「神の子」を名乗り、王様になったり宗教的権威になったりしている。そんな感じじゃなかったでしょうかね。

●じゃあ建国の父たるハプログループTの人たちはどうなったのか。前に書いたとおり何らかの争乱があって、ジブチやインドに逃げてったんでしょうね。
 私はWIKI先生の英語版のほうは見なかったんですが、見たらまあ…けっこう居るもんですね。中国にもいるしモンゴルにもいるし南米にもいる。保安(バオアン)族とタジク族とウイグル族がかなりの濃度で継承してる感じです。
 というか匈奴ってのは…ははぁと。それでチンギスハーンは…ははぁと。あの爆発的な拡大はつまり先祖返りですよ。

●見てて「え?」となったのはイタリアに100%という人々がいる事です。Marchigianosって何のことやら。マルケ州の方言を使う人々という意味らしいが…。話者90万人…ほほぅ。マルケ州にアスコリ・ピチェーノとかアトリという地名があるのも気になる所。
 でそのマルケ州から半島を横断するとローマがある。ははぁ…と。ローマ帝国というのは…んでもってバチカンというのは…ははぁと。もう説明いらんでしょ。
 おもしろいのはマルケ州の出身者にマテオ・リッチとかフリードリヒ2世の名があることすな。

●イタリア南部やシチリア島は東西南北の物流・思想が交差する所であり、そういう所で文明が発生しやすい。フリードリヒ2世やマテオリッチみたいな世界性をもった人が出てくる。それは古代も同じだったろうから、あそこにアトランティスの起源があると仮定してる根拠になってるんですが…。
 日本に布教にきたカトリックの宣教師で、拷問にたえかねて改宗し、死ぬまで日本人として生きた人がいます。2人います。その2人ともシチリア島出身者です。

ジュゼッペ・キアラシドッチです。シチリア出身の彼らがはるばる遠い国にまできて同じような運命に陥ってるのは何やら因縁めいた感じがします。
 シドッチの場合、世話をしていた老夫婦に洗礼を与えたことで地下牢に移されて獄死しますが、その後老夫婦がどうなったかは知らない。でも最近の発掘調査だとシドッチさんの遺骨とともに2体の人骨も発見されたそうな。たぶん老夫婦のものかな。「この人と一緒に死んでやろう」と老夫婦に思わせるだけの人格的魅力がシドッチさんにあったのかもしらない。
 まあ完全に余談なんですがね。

●インドにもたくさん居るらしいんだが、もう見るの面倒くさいすな。居るだろうよあそこはという。何でも居るさ。
 というかバラモンの一族にアトリ氏というのがいるんだが何か関係あるのかね。アートレーヤという聖人と関係するらしいんだが。ひょっとしてアトランティス人の子孫はバラモン階級になってインド社会に存続したとも考えられ。
 アトランティス人トートが書き残したとされるエメラルド・タブレットの内容もどこか般若心経的であり。あるいは「やさしい三位一体入門」みたいな。偽物だの何だの言われてるけど、もし本物だとしたら仏教やキリスト教の思想もアトランティス由来だったりする事もあるわけで。よかったねトート先生。

●おもしろいのは南米にも末裔がいる事すな。ポルトガル人かスペイン人を介して…と思ったんだがどうも違うらしい。昔っからそこにいるらしい。どうやって海越えて来たんでしょうね…とあえて書いてみる。
 インカ最後の王アタワルパもその継承者らしい。やっぱり「アタ」がつく。ということはインカ帝国というのは…なるほどねという。じゃあアステカもそうなのかな…ふむふむ。

●宗教的権威になって存続しつづけた…というのはエジプトでファラオにつぐ権威を有していた神官集団もそうだったのかな。たまにファラオをしのぐ実権を握ったりして。自分たちがアトランティスの裔である事実は忘却してたでしょうが、なにやら血が騒ぐぜ的な…。エジプト滅亡後はどうなったか知らん。

●継承してるから何かあるってわけじゃないすよ。ある民族にある条件が重なったことでオーパーツ的な文明を持ってしまった。世界中に拡大してしまった。それだけのことです。それが過ぎれば元の木阿弥。三河人は三河人であり、足利市民は足利市民です。

●あれアシカガ…(もうえっちゅの

ヨシュアベンヌン

●なんかボヤけた話ばかししてすいませんのー。でもおいらの話の中にはUFOも出てこないし超科学もない。スピリチュアルな要素も出てこない。それらを立証できるだけの知識や経験があったら書くんでしょうが、そういうの無いんでね。興味はあるけどね。だから自分で書く時はどうしても地味になる。
 というより地球が「ほら、ほら、見ろ!」とその表面に残してる過去の痕跡を、見たまま書いてるつもりなんすけどね。見たまま…いや違うな(ぇ

●たとえばこういう遺跡がある。まんじゅうみたいに盛り上がってます。何の予備知識もなく見ればただ自然にできた隆起でしょうが、ここには100%遺跡があります。何という遺跡かは書きませんが。
 こういうのは遺丘(テル)というそうなが町が1000年以上もつづくと建物の石材やら家財道具やらが堆積してこういう小丘ができる。でも言われなきゃわかりませんね。この遺跡はある程度発掘されてるし、道で囲ってるから「遺跡なんだろうな」とわかるけど、以前はワケわからなかったろうと思います。

●でもってアトランティス後の遺跡は規模が小さく繊細な感じがします。見てすぐに「あ、これ有史後」とわかります。アトランティス人はもっと野放図です。この写真がその好例だと思います。かかってる橋は最近のもので、手前にある岩頭みたいなのはアトランティス人の手によるものかと…。自然物だか何だかわからないけど、しっかりダムだか橋だかの形状を有している。また半円状に切った場所もある。自然にあるもの(素材)を利用して意図通りのものを造る。これがアトランティス人の特徴だと思います。

●メソポタミアやエジプトは「遺跡があってもおかしくない」場所なので、見てて面白くない…いや面白いか。
「こんなところに遺跡なんてあるわけが…おや?」というのが面白いんでしてね…。シリア砂漠にある遺跡なんて面白いです。これ何て遺跡でしょうね。かなり広範囲にわたって集落の痕跡があります。ここを撮った写真から「bronze-age」の遺跡であることはわかりますが、ググッても何の説明もない。たぶんよく分かってない遺跡でしょうね。
 でもって黒い溶岩質のようなもので覆われてるのは何でなのか。洪水があったような跡があるのは何でなのか。そんな大規模破壊があったという話はネット探してもない。歴史にも載ってないわけで。
 たとえばここで青銅器文化を営んでいた半農半牧の民がいた。大噴火があった。洪水があった。それで「こんなトコにゃ住めない。エジプトにでも行くか」と行って、エジプトを征服してしまった。それが謎の民族といわれるヒクソスだったんじゃないかという。全部想像です。

●アトランティスの痕跡探しもこんな感じです。見てて妙だな、フシギだなという所を丹念に調べると、道路のような直線、家の土台跡、畑だったような格子模様、水路のような条溝が見つかる。そこでゴチャゴチャと妄想をめぐらす。そしてこじつける。
 こういうのは砂漠の岩盤地帯では見つけやすいです。また海底というのは意外にも旧態を留めていることが多い。波の侵食というのは海岸付近で起きるので、沖の海底では水がかえって保護膜のような役割をしている。ただ堆積が地上より激しい。

●しかしセブ島周辺の海底には色々「おんや?」という形状が見られます。人が定住してたような痕跡です。このマクタン島は日本人の先祖と同じハプログループDの人たちが住んでるそうな。スンダランドを出た人々はここにいったん定住し、ついで台湾→沖縄→伊豆諸島、パラオ→グアム→伊豆諸島に渡っていったんじゃないでしょうかね。なんでどっちも伊豆諸島かってのは黒潮の影響です。南から来た人々はどうしてもあすこらへんに辿りつく。でもって戦前は沖縄のカヌー乗りがよく沖縄と八丈島を往来してたらしい。於勝さんも来てたらしい(誰だ
 ということは沖縄と伊豆諸島の結びつきというのは古く、かつ強くて、黄八丈のルーツは奄美の大島紬なんじゃないか…等々、色々考えるとそうなります。そういえば大東島の人ももとは八丈島の人だったすな。まあそれは置いといて…。

●森林が多かったり、土壌が堆積してたり、土地の改変が激しい場所は痕跡が見つけづらいです。日本がそれです。
 でもまあ…見つからない事はないんですけどね。地図開いてランダムに選んだらこういう山が見つかり。なんだか四角い形をしてます。ストリートビューで見てみたらピラミッドみたいな姿をしている。

●鎌倉山という名前だそうですが…。あの鎌倉となんか関係があるのかな。そういえば「くら」というのは倉庫という意味のほかに「偉い人が座ってる所」という意味もあったな。偉い人がいたのかな。
 よく見たら近くに浅間神社があるな。富士信仰だな。そうか鎌倉山を富士に見立てているのか…。
 これは人工物なのかな。人工物っぽいな。でも見た目が印象的だから古代人も目をつけてここに何らかの施設を建てているに違いない。色々手を加えてるに違いない。そして前にある川を船でくだって海に出て…とこういう風にぼんやり考えてるわけで。

●まあこの山はランダムに選んだだけなので遺跡なのかは知らないですけどね。こういう風に妄想遊びができる。
 だいたい観光地とか地域の隠れスポットになってる場所は遺跡の可能性が高いです。風光明美なところは古代人も「いいトコだな。ここに住もうかな」という気になったんだろうし。そういう感覚は現代人と同じだと思います。

●たとえばこういう所とか。日光の戦場ヶ原です。今でこそ日光といえば中禅寺湖畔ばかり脚光浴びるけど、古代人が住んでたのは奥日光のほうだと思ってます。とくに日光白根山は古代集落があってもおかしくないような形状を備えてます。ホントに住んでたのかはシラネけど(爆
 古代の遺物はたいてい地下に埋もれてるのですが、地面の色、かすかな陰影、草や木の生え具合などでぼんやり感じ取ることができます。道の痕跡などもよく残ってるものです。

●もしそこに1000年以上人が住んでいたのであれば、人が歩いて地面を踏み固めてるだろうし、家も建ってただろうから、その後の草の生え方にも影響すると思うのです。地中に建材とか埋もれてると植生の分布に露骨にそれが出る…。
 よく獣道獣道いうけど、動物が歩いて道ができたわけじゃありませんよ。長い年月で隠滅しかかった古代道を動物が利用してるだけです。そういう道はよく森の中の空地につながっている。そういう空地には過去に集落があったかもしれません。人が住んでいた跡には木が生えない、もしくはそこの森だけ周囲の森と色が違う事が多い(もっとも日本は人工林が多いのでその限りではありませんが)。

●そういうのを考慮して見ると、戦場ヶ原にも色々ヘンなものがあったような印象を受けると思います。私はここに「お宮」があったと思ってます。それを証明するのは陸橋があった痕跡です。そして男体山と日光白根山を結ぶように橋がかかっている。陸橋=磐橋(いわはし)=天橋立…まあこの話はこれぐらいで(ぇ

●古代遺跡とかいうとミステリーだのオカルト的な視点でとらえられる事が多いんでしょうけどね。そこの遺跡に…たとえば小さい男の子が住んでたと思いなせい。女の子でもいいわい。朝の陽ざしの中、その子が目をこすりながら起きあがる。そして台所にいる母親にむかって「かーちゃん今日の朝ごはん何ー」とか聞いている。1万年前の光景。遠い、遠い先祖の記憶。

●なんか今日はよもやま的に、とりとめもなく。

白山比咩神

●ピラミッドは土留じゃなくて絡みというそうですね。絡みについては「ピラミッド 干拓」でググるとたくさん出てくるので、そちらの方を参照ください。たしかに干拓地のある場所には絡みにしたような、浮島みたいな隆起をよく見かけます。そういうトコはたいてい神社になってますが。

●で、今回はアトランティス人による地域支配のごく簡単な説明です。
 ギリシア神話のポセイドン、オケアノス、ネーレウスといった海神にはたくさん「娘さん」がいることになってます。とりわけオケアノスには3000人の娘(オーケアニス)がいたそうです。さらにポタモイという河川の神々、ナーイアスという孫娘たちもいる。
 これ世界各地に派遣された地方長官(封建領主)の氏族名だったんじゃないかと思ってますが。エレクトラはそこー、ドリスはあっちー、カリュプソはどこそこーという。新島の大三王子もこの一人だったかと思われます。こういうのは初期の大和朝廷における国造による地方支配によく似ています。みなさん共通の祖先をもついわゆる眷属なわけです。

●でこういう図を描いてみたんですけどね。

 バカみたいな絵ですが…。真ん中にある「高い山」のてっぺんに、その地方の女王、オケアノスの娘たちが住んでるわけです。山頂にあるのは泉です。女王というのは個人的な願望です。
 山頂といっても100人ぐらいは居住できるスペースがなければならない。だから彼らは火山の噴火口、あるいはカール状になった山を好みます。カールの底には水(あるいは温泉)が溜まってる事が多い。

●なんで山の上に住むのか…というのは野蛮な原住民の襲撃を恐れたから、野獣よけ、風土病対策、神秘性を出すため、水源の確保、石切場の確保など色々考えられます。野獣よけというのは運河の時と事情はおなじです。山の上だとクマやオオカミも登ってこれないだろうという。あと地元の人と接触してると風土病にかかってしまう。また食人の習慣のある原住民とかも多くて襲われる心配ある。血統の純一性を保つためなど。

●山の下にある四角い台地は、貴族の屋敷とか政庁とかを置いていたんだと思います。いわゆる「お宮」です。住民と神(地域の王)とを取り次ぐ窓口でもあったと思われます。現在でも山のふもとに神社がある姿をよく見かけます。
 たまに山道に道祖神が置いてありますが、あれは神の領域と人間の領域をへだてる結界石だったんだそうな。こっから入っちゃいけないよという。

●そういう高い山のふもとには河川(もしくは運河の痕跡)が接してる事が多いです。海から船で行き来できたんでしょう。で運河にそってシマシマ農場がある。

●高い山のまわりには小さい丘がある。まわりの黒いポツポツは集落です。この丘は何かというと「神様からの使いをお迎えする台」です。偉い方のお使い、すなわち助さん格さん天使です。まさか空から降りてくるのか…まさしく天降(あも)りましてくるわけです。私が最初にアトランティス人を「鳥人族」と書いてたのはそのせいです。

●ならどういう時に佐々木助三郎が降りてくるのか。それは住民たちが呼んだ時です。大声出しても山頂には届かないだろうから、丘の上から火を焚いてノロシでも上げたんだろうと思います。それを山頂から見た渥美格之進が「お、住民たちが呼んでるな、どれどれ」とグライダーでフワーッと…まあ気球でもUFOでもいいんですが、何らかの飛行手段でおりていく。そうすると住民たちは毎回驚いてくれる。これも一種の演出ですね。

●で、天使は村人にいろんな知識を授けたり、陳情を聞いたり、印籠出して問題を解決してくれる。相撲もしてくれる。そのかわり貢物を受け取るわけです。後年の宗教儀式において、祭壇を築いて神様に捧げ物をしたり、火を燃やして拝んだりするのはここに根源があるんじゃないかと思ってますが、たんなる憶測。

●なら天使はどうやって帰っていったのか。まさか山頂までグライダーを担いで登っていったとは考えにくいですから、こうやって帰っていったんじゃないかと…。あたしは高い所からじゃないと離陸できないのかと思ってたけど、うまい人なら場所選ばないみたいですね。風に乗ればどんどん上昇できる感じです。だから風のいい日を選んで帰っていったんでしょう。たんまり御馳走になって…。

●このお迎えの丘は小火山の噴火口、もしくは自然丘である事が多いですが、無い場合は人工的に造ってる所もあります。例の干拓の「絡み」に使っていた盛土を転用する事もあったかもしれません。
 ギリシアのアクロポリスもそういう丘の名残かと思います。丘の周辺で地域の中心的なコミュニティーが形成されたかもしれません。
 はるか後年、アトランティス人がいなくなったあとですが、神様が住んでる高い山と、お迎えの台とが一体になった構造物があります。前方後円墳です。あれ古墳時代にお墓として転用されてるけど、もとはお墓じゃないですね。別な目的で造られたものです。

●こういう地域のまわりは何故かグチャグチャ、ドロドロになってる場所が多い(一例)。高い山というのは火山である場合が多いので、たいてい周りに溶岩が流出したような跡がある。また水害もあったろうから泥で覆われてたりする。アトランティスが滅んだ一因はこういう火山性地帯に好んで住んでたからというのも考えられます。こういう地域は現在人が住んでいない場合が多いです。

●現在の都市はそういう「古い土地」からちょっと離れた所にある。どういうわけかその上には住まない。荒地になってる事が多い。たとえば土を掘りかえしたら、昔の食器類だの人骨だの出てくる。石ころだらけで耕しづらい。石ころは石造建築の残骸だと思います。土地の老人は「そこには古い霊が眠っており」とか気色の悪い事を言い出す。
 それで「忌み場」「聖域」として住民から敬遠される。モヘンジョダロも「死者の丘」として住民が恐れて近寄らなかったというし、たくさん古代遺構の見出されるフロリダ南端がかつてカヨウェソ(人骨の島)と呼ばれてたのもそれだと思います。カヨウェソはキーウェストの語源です。

●こういうのはグーグルマップ見てて気づいたことなので、どこがと言われると「どこでも」と書くしかないすな。アメリカでもアフリカでもヨーロッパでもインドでもこうです。地名調べるのが面倒なのでいちいち列挙しません。山頂付近にちょっとした空地、あるいは水場のある山はたいていこうです。
 日本では富士山、羅臼湖、奈良の三輪山、会津磐梯山、燧岳と尾瀬、八幡平、月山弥陀ヶ原、石川の白山、琵琶湖西岸の箱館山、乗鞍岳、上高地、九重連山…有名な山はたいていそうです。高原にある湿原というのは古代農場の跡である事が多い気がする。ああいうのは「自然」には出来ないという事です。なにやら人工的な規則性を感じるから印象的なのであって…閑話休題。
 たくさん神々が居たというより、ごく少数の神が拠点を転々としてた感じもします。日本じゃそれを遷座とかいいますね。アマテラス大神は「旅する神」として知られます。
 中国では泰山周辺がそうなっており、南にむかって小さい丘が並んでます。このあたりに住んでた孔子の名が「孔丘」だったのも何やら意味深です。聖賢の道というのはぶっちゃけアトr…助さんもういいでしょう。