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土井平助の中庭

トリニダード・トバゴ

●カテゴリーにアトランティス関連を追加しといたので…。くだらない妄想話ですが何かの参考の足しに。
 でもゲームとかアニメでも「超古代文明の遺産が~」とかよくやってるでしょ。浪漫ですよ浪漫。

●アトランティス人のやった事って、ドイツ騎士団の東方植民に似てる気がしたので、例のゲームがやりたくなる。

●クールラント聖領。

イラストでも用意すればよかったが、あの着せ替えツールは鎧の表現が難しいんですよ。

やっぱりクールラントと等持院が1・2を争うおもろさですな。
着々と東方に植民地をひろげつつあるマリアさん。ETPCが信をぶっ潰してくれたのでジパング人材吸収しまくってます。
ヤーコプは東方人材確保のために存在してるようなもんで…。

●クールラントはどっか攻めると周辺の国から同盟破棄されちゃうんですが、いやどんどん攻めていきましょうよ。東方に向かいましょうよ東方に。
 一気にマリエンブルグを併呑し、ヘルマンとウルリッヒを弾よけの前衛に加え、愚者の地を壊滅させ、ジパングなんぞはクルクル光線で一撃です。あいつらクルクル光線の前にバタバタ倒れやがる。簡単なもんです。

●脳内妄想
ゴッドハルト「やっちゃってくださいよ総長、クルクル光線をお見舞いしてやってくださいよ!」

マリア「おら~かかってこいよ~! どこ見てんだよ~!」

と服の仕立てに向かおうとするフリードリヒにクルクル光線をぶちかます。

●今日はこんだけ。
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一陽来復

柳田国男と司馬遼太郎
 こういう話あったんすな。やっぱりこの両者を比較してる人がいるんすな。でも姫路視点で両者を結びつけてるのはおいらだけだろうと。

●であるからして浄土思想というのは…ともうこの話は書かないんだっけ…。色々あったんだけどな。
 邪馬台国は奈良で間違いありません。となると九州説はどうなるのか。九州説も○なんです。ちゃんと古事記読めばわかることなんだが…まあこの話はいいとして。

●で何かあったっけ…と思ったらイラストあったすな。

使用ツール:http://pochi.x.fc2.com/kisekae/k_kisekae2.html

例の小説から2、3年後のお話…にしようかと思って作った絵。

左から弾正、小太郎、公方様、毛利、権十。

●弾正君と小太郎君はキャラ設定変わってますな。
 前者がちょっと暗いキャラになり、その弾正君のキャラを受け継ぐ形で小太郎君がキザ野郎に変化してます。
 小太郎君はおそろしく強いです。ミヨシさんより強いです。しかも公方様から「竜虎合一」の太刀を授かって天下無敵です。最終的に暴走して手がつけられなくなります。
 …という話にしようかなと。

●まあカナコさんに棍棒でぶん殴られて気絶するオチにしようかなと(ぇ

●ついったの拾いもん1。海苔バター
 へぇ…こんな食い方が…。おいらも海苔に醤油つけてよく食ってるが…バターか…。

●海苔チーズ。
 というのはありふれてるのかな。どろっどろに溶けたチーズを海苔でまいて磯辺焼きみたいにして…。まあ今度やってみよ。

●その2。嵐山電鉄
 で、あすこらへんも色々トンデモな…。まあこの話はいいとして。

●この嵐山電鉄から降りる時に、切符が見つからなくて、めっちゃくちゃ焦ってて、30秒ぐらいかかってようやく見つかって、なのに運転手さんがニコニコしながら待ってくれてたのが良い思い出。苦い思い出。

●その3。お嬢様口調
 お嬢さま口調なら「お気をつけあそばせ」だろうけど。

●傾斜がありますの、の~!? ご注意くださいませの、の~ォ!?(単に飛んでる人

アッシュール

●アトランティス関連はもう書きたい事は書いてしまい、他はコマゴマとした事なので、書くこたないと思ったんですが。
 そういえば日本各地に残る「おお」という地名について残ってたなという。まあくだらない(?)話なんですけどね。

●以前ちょっとシャレ的に「足利」について書いたけど、後で色々調べるとおもろいすな。やっぱりあすこには何かあったんじゃないかという。
「三代後の子孫に天下を取らせよ」
 と言ったのは足利家氏という人ですが、その3代後の孫にあたるのが足利尊氏すな。足利家は源氏の名門ですが、実力でいえば中程度の豪族だった家です。なのにこれほどの大言を吐き、それを孫が実行する。
 しかも徳川家康は足利・新田家の一族(得川家)を由来とする家系伝説をもち、両毛から輩出した総理大臣の数は全国一です。なんかそうさせるだけの気分がこの地方にはあるんじゃないかと。前々から気にはなってたんですが…。

地形を見ると、ちょっと福井の足羽(あすわ)に雰囲気が似てます。干拓したようなフラットな田園があり、その田園のあちこちに浮島状の山や丘がある。
 しかも北には日光があり、北西には赤城山、西には榛名山、そして浅間山などの名山をたくさん控えている。山好きなアトランティス人がほっとかない土地だと思うんです。

●今でこそ日光は宇都宮方面が玄関口みたいになってるけど、むかしは足尾方面が玄関口だったんじゃないかと思ってるんすがね。
 なんか縄文時代までこの辺まで海が迫っていたと何かで見たんですが。たぶんこんな感じだったのかな。つまりヨソから船で来た人は足利港でおりて、そこから足尾をへて日光に向かったんじゃないかと。古代から日光は聖地であり、足利はその玄関口だった。だからここに何らかの都があったと。

●都というと大袈裟なんですが、まあ大邑といったものか。宋書倭国伝にも「東征毛人五十國 西服衆夷六十六國 渡平海北九十五國」という風にたくさん国があった。でもこれらはバラバラに存在してたわけじゃなくて、何かひとつの巨大権力のもとで緩やかな連合を形成していたんじゃないかと。江戸時代における三百諸侯と同じです。
 じゃあその総元締め、将軍家にあたるのは何なのかというとそれはオオクニヌシであり、国津神であり、個人的に「オオ王権」と呼んでる統一国家です。オーでもいいけど。

●よく気になる土地見てると、AT・ASのつく地名のそばに「おお」がつく場所が多いんです。越前大野だの、原発のある大飯(おおい)だの、出雲意宇(おう)、大田市、京都の山奥にある大見、琵琶湖のある近江国、阿波麻植(おえ)、そして大分県です。大国主もそうだし、越前出身の継体天皇の名前も「おほどのきみ」でしたな。
 この「おお」「おほ」「おう」というのは大きい、多い、グレートという意味のほかに別の意味があったんじゃないかと。

●で話は飛ぶんですが、珍敷塚古墳の壁画見てて思ったのは、何だか日本的じゃないなという事です。よく言われるようにエジプト、もしくは先史アメリカ文明を連想させる。右にある円筒状のものは矢を入れる靫(ゆぎ)だというけど…ほんとにそうかなと。でかすぎねーかと。家じゃねーのかと。
 んでもって左にあるのは船ですね。頭上に太陽を戴いた葦舟です。つまりラーの舟ですよ。
 でどこに向かうかというと死後の楽園、すなわちアアルです。別名ヤールともいうらしい。

●古代日本にはヒメヒコ制といって、男王(トネ)にはたいてい女王(トメ)がセットになってる。そのトネ・トメによる共同統治がふつうでした。これって何か思い出しませんかね。つまり古代エジプトのファラオと同じなんです。
 古代日本はエジプトと文化を同じくしてた、と考えなければ説明つかない事ばかりなんですが、ならエジプトから日本に伝わった文化なのかというと違うと思うんです。エジプトも、先史アメリカも、日本も「ある」超古代文明の継承者だった。だから似たような文化を共有していた。どっちが先も後もない。みな平等なのです。

●それはともかくアアルの記述見てて思ったのは何となく日本っぽいなと。「或る者は15、或る者は20箇所など幾つかの関門」というのは大運河の関所を思わせ、「刀を持った悪霊」というのは関所に配された番人です。
「太陽が昇る東」にあり「ナイル川三角州の土地の様な葦原」であり、島が連なりトウシンソウが繁る野、しかもオシリス(冥王)が居るという。オシリスはオシラ様であり、現在でも恐山に祀られてると勝手に思ってるんですが…まあトンデモ的に。
 トウシンソウというのは畳の原料です。畳ったら畳です。日本固有の文化です。

●ここまで書くともうわかるかもしらんけど「おお・おう・おふ」=「アアル」なんではないかと。…最初はさすがに話が突飛すぎるかなと思ってたんすが、これだけ日本とエジプトの類似性を見せられると、そんな突飛でもないのかなと。
 しかもプント国の記事でもわかるように、古代エジプト人は「自分たちは東方から来た」と信じてたらしい。しかも初期のファラオがアジア的な風貌を帯びていたことは前述したとおりです。
 どうも古代のある段階まで、日本とエジプトの間にはある程度交流があったんではないか…という。じゃあどうやって往来したのか。例のユーラシア横断運河で往来したんですよ。そこで「幾つかの関門」に話がつながる。
 その交流はいつしか途絶えますが、それは後世のエジプトで「アアル」の楽園という伝説として残ったんではないかと。

●でもアアルなんて地名、日本のどこ探してもないですね。オオはあるけど。やっぱり思いすごしなのかな…と思ってたところ、あったんですね。それが冒頭の足利市です。
 足利一帯はむかし邑楽(おうらぎ)郡といわれてたそうな。でもって足利の足はもともと「葦」だったと思うんです。古代には海に面した扇状地だったかもしれません。しかも太田(おおた)市には由良町がある。つまりアアルの別名ヤールにつながる。
 つまりアアルというのは日本の両毛であり、もっといえば日光白根山麓(根の国)にある戦場ヶ原だった。というオチです。フダラク信仰=アアル信仰なんですよ。
 ……だから書きたくなかったんです。

●もうトンデモ話は書きません。

アルゴ探検隊

●ずいぶん長く書いてるが…へぇ2ヶ月かね。全然そんな気がしないすな。まだまだ書けるよ的な。もういっくらでも出てくる。
 なんでこういう事書くようになったか…というのは郷土史レベルの遺跡を見てる時に感じたナニヤラが元になってるんだろうと。ナニヤラというのは「黒い影」のようなもので。たとえていえば亡霊です。

●「ここは縄文時代の遺跡で」という説明見ると『いや…そうじゃねぇんだよ』とずうぅ…んとあらわれる黒い影。
「ここは戦国時代の遺跡で」というとこれまた『いや…そうじゃねぇんだ』と現れる。
 それは奥深い闇の底のようでもあり、干からびてザラザラしていて無機質なようで、ひどくヌメっとした、黒い影。何か時空を貫いてそこに存在している。それが完全に出ない場所もあります。

●それは遺跡だけでなく奇岩を見ていても感じる事があります。なにやら荒々しい、寥々とした、しかし過去には偉大な栄光に満ちた…表現が難しいですが。
 まるで過去の日本に荘厳なる「巨石文明」でもあったような。
 でもそんな時代ないわけで。教科書見たって縄文人は掘っ立て小屋に住んでおり、平安貴族は国風の寝殿造りで、江戸も白塗りの…これが明治まで続くわけです。

●だから気のせい、日本人の無いものねだり、とその場は忘れるんですが、グーグルアースで地球上見てるとやっぱり出てくるんすな。『そうじゃねぇんだよ…』と。
 わーかったわーかった、だからこういう事だべ!? という形で今までえんえん書きつらねてきた次第で。ほとんどコジツケですが。
 で書いたあとは例の亡霊がトンと出てこなくなったわけで。当たってたのか、あるいは見当違いな事ばかり書いてるので亡霊のほうも呆れてどっか行っちゃったのか…それはわかりませんが。
 でも金を生み出そうとして失敗した錬金術のごとく、そこから色んなものが生まれてくる感じすな。レムリア大陸のことも何となくわかったし、邪馬台国も何となくわかってきたし。後者は…なんというかお家のゴチャゴチャとした…まあいいや。あれはあんまり解かない方がいいのです。解けたとしても沈黙するしかありません。そういう性質のものです。

●でアトランティス…。利根川図志の6巻にある彌勒謡(みろくうた)を掲載。…と思ったけどだいだらぼっちさんの記事に詳しいのでこちらをどうぞ。
 彌勒謡は茨城の鹿島地方に伝わっていたという里謡ですが、どういうわけか八重山諸島でも歌われているという。むしろ八重山諸島がルーツだろうけど。写真見ると白いお面をかぶった人が中央に立っている。偉い人ですね。白い肌は高貴という文化は昔の日本でもあったし東南アジアでもありますね。白塗りした俳優さんの看板あったりして。
 なんで八重山諸島と鹿島周辺にだけ伝わってる歌なのか。なんでその中間はすっ飛ばされてるのか。という謎を解くカギは「黒潮」です。もうおわかりですね。

●アステカ王国でも「遠い所から来た白い神」という信仰があったそうすな。それでスペイン人が来た時に「白い神が来た!」という事で容易に彼らを受け入れてしまい…ああいう結果になったと。どういう結果かは書かないけど。
 ともかく船にのって遠方から来る白面の神というのは日本でもあったようすな。そう考えなければ黒船がきてわずか15年でそれまで持っていた古い文化を捨てて西洋化するなんて考えられません。環太平洋ことごとくそんな感じがする儒教圏以外は。

●利根川図志…これのせいだろうな、おいらがこんな事書くようになった直接の動機は。まあこれについていくつか。
 柳田國男は幼少のころ播州の姫路から、利根川沿いにある下総の布川という所に移住してきます。で、故郷をはなれた寂しさを紛らすために、隣家(小川家)の倉にあった本を読みあさる。その中に「利根川図志」がある。
 この書を著した赤松宗旦という人は布川の町医だった人ですが、祖父の代まで播州姫路にいたらしい。でどういうワケか流れ流れて下総に定住している。
 じつは柳田の遠祖も赤松氏であり、宗旦とは遠い親戚になるわけで。そうと知らずに柳田はその本から強い影響を受け、しだいに民俗学に目覚めていくわけで。
 赤松といえば…柳田としばしば対極的に扱われる赤松啓介も姫路の隣の加西市の人だという。なにやら赤松家の因縁のようなものを感じます。

●柳田の生家だという福崎町あたりを見てみると、前に「市川」が流れている。この川は例の「姫路・豊岡運河」になりますが、ここではあまり関係がないです。
 で、柳田國男生家から川をはさんだ福田という地区を見て「あれ」と思ったのは、そういえば司馬遼太郎さんの祖先も播州じゃなかったっけと思ったわけで。司馬さんの本名も福田でしたね。

●司馬さんも先祖発祥の地ということで福崎町に深い思い入れがあったろうし、そこで生まれた柳田國男にも何か特別な感情を持ってたかもしらない。それは想像ですが。
 ただ司馬さんも晩年に『街道をゆく』などを書いて、その中でたびたび柳田國男を取り上げている。柳田とはスタイルが違うかもしらないが、日本史を地方レベルから考察している。
 赤松宗旦、柳田國男、赤松啓介、司馬遼太郎。これらに共通するのは民俗学であり、播州姫路だという事で。姫路には何が…。

●ともかく赤松宗旦は町医だった人だけど、その著作の中で「碓氷峠をけずって利根川と信濃川を合流させ、大運河を作る」というアトランティス的なことを書いてる。でもって土地の神話伝承をよく書き残し、それについて(びっくりするぐらいの)豊富な学識で考察を加えている。この人もたぶんかの「亡霊」に出会ってしまった人だろうなと。
 著作の最後で太平洋の大海原、「銚子」の奇岩群に出会い、なにやらやり遂げた、俺はここまで来た、という上気した感じが本を通して伝わってくる。
 そういえば司馬さんも九十九里の海岸で小説家になる事を決意したんじゃなかったけ。号泣しながら。

●司馬さんもしばしば「日本の原初的なもの」をよく書いてます。初期の作品はそればっかりという…。御幼少のころ奈良のどっかの(失念)寺院の祭事でそれを感じて戦慄したという。それは大和的というより蝦夷的なもの。アラハバキ的なもの。恐山の奇岩群…。それをどういうわけか奈良のお寺で感じたという。
 日本の神社仏閣というのは一枚土台をひっぺがすと「別なもの」があるんじゃないか…。それは神話伝承でもそうです。白山菊理姫、草別大神、そして大三王子。それらがかの遺跡の背後にいる黒い亡霊なのではないかと。いや彼らも何かの仮象にすぎない。もっともっと古い時代から発せられる光源、その影法師。

●宗旦もなにか取りつかれたように利根川図志を執筆していたが、上流部の執筆にとりかかろうとする前に亡くなってしまいます。その死の5年後に700年つづいた武家政権(江戸幕府)が崩壊する。
 それは江戸という時代が宗旦にそれを書かせた…というよりかの「亡霊」が宗旦を突き動かしていたかのようにも思える。明治になって土地の改変がすすめられ、古代の姿がま
ったく隠滅してしまっていることを想起すれば。

●おいらも何かに突き動かされ…いやただヒマだから書いてるだけです。
 気が変わったらおねショタのイラストでも作ろうかと(略

カニムイソ

●干拓地だのシマシマ農場だのと書いてるとアトランティスは農業主体みたいになってしまうが、たぶん半農半牧だったと思いますよ。ただ地球上に残ってる痕跡が水利灌漑ばかしなので。
 それまで人類はマンモスやらナウマンゾウ獲って暮らしてた。建築もマンモスの骨で作ってた。それらがどういうワケか激減した。それに代わる生活形態を要請された。そこで画然と出てきたのが半農半牧・巨石建築の民アトランティス人だったと。
 それで何であんな途方もない開発をしまくったのかがわかる気がします。飢餓から救済される道を見つけた喜びのためだったと。

●アジア人の起源について色々見てると、どうもアジア人とポリネシア人の共通祖先はインドの東部、ミャンマーの山奥あたりに住んでたみたいすな。
 その民族的分類はチベット人になってる。なんかっちゅーとチベット人すな。北方遊牧民の祖先もチベット人。南方海洋民族もチベット人。
 なんか超古代においてチベット人がバァーンと拡散してる感じ。

●そういえばあすこらへんにアッサムという地方あったすな。あのアッサムに人口過密地域、メガロポリスでもあったのかもしらない。チベットの須弥山の伝説もそれと関係するのかな。プラトンさんのアトランティスの円形都市の記述と、須弥山のそれが酷似してます。イギリスのストーンヘンジもアトランティスの円形都市を模したものだというけど余談。
 で人が増えすぎて農地が少なくなったので「どっか遠いトコ行って新開地でも開拓するか」という事になったのかと。その音頭取り、推進役になったのがアトランティスだろうと。

●で三嶋大神だか大三王子だかに引きつられて、流れ流れてマレー半島→台湾→日本にやってきたアッサム人がいるわけで。それが前期縄文人です。
 後期縄文人は北方(長江ルート)からやってきたアッサム人の子孫ですね。彼らは長江文明の担い手であり夏王朝を建てたともいわれ、日本に稲作をもたらした人々だともいわれてます。やっぱりどっちもチベット系なんだと。
 だから日本人のY染色体の10%弱にインド系(ハプログループF)が入ってます。10%折原君です。オリエンタル小僧です。

●どうもポリネシア人もその一派らしいんだが、ポリネシア人がハワイやニュージーランドに到達したのは3千年前ぐらいです。だいぶ新しい。ずいぶんゆっくりした移動だったんすな…と思うんだが、じつはポリネシア諸島に来る前に、彼らは「ある場所」で定住してて、かなり高度な文明を持ってたんじゃないかと、こう思ってるわけで。
 それはどこか!(ぉ

●スンダランドというのはマレー半島周辺に存在した古代平野ですが、パプアニューギニアとオーストラリアの間にもサフルランドというのがあったそうな。そのサフルランドあたりに定住してたんじゃないかと。

●彼らがどういう生活を送ってたかなど、水没した後は知る由もないが、彼らはオーストラリアのすみずみにまで拡散した形跡がある。以前書いた巨大湖決壊の痕跡もあるし、なんだかシマシマ農場みたいなのもある。風がつくった風紋ともとれるが、もしこれがシマシマ農場の痕跡なら世界最大級すな。どんだけ人住んでたんだかと。
 世界にこれだけ広大な農地があるとしたらわざわざ日本みたいな小さい島開発しますかね。それがアトランティス人が洪水前は来てなかったという理由になります。来てたとしても小規模なものしか残してない。あとは鉱物資源目的でしょうね。閑話。

●ほかにも城壁で囲った都市国家を作ってたような痕跡もある。ストレンジウェイズという遺跡らしく、イギリス風の建築遺構が残ってるが、ググっても何の説明もない。というか遺跡の上に教会だの建物建ててる気がする。もしこれが都市国家の痕跡だとしたら、少なくともシュメール文明程度の文化があったという事です。
 イギリス人がこの大陸にやってきた時、そこにいるのは半裸で獣を追ってた原住民がいるだけだった。その彼らが…うーん。

アボリジニってどんな人なのかと思って見てみたら…なんだかインドでヨガやってる人でいそうすな。ナントカ上人とかいわれてて。縄文人と比較的近いといわれるアンダマン人も似た感じすな。縄文人の祖先もこんな感じだったのかな。
 全然日本人と似てねーじゃんと思われるかもしらないが、では明治時代の日本人をご覧いただこう。
 後世の日本人は北方系の血が入ってしまったり、生活習慣が変わってしまったので、だいぶアジア的な顔になってるが、100年前までこんなんだったんよ。南方海洋系だったんよ。

●ともかくオーストラリアの南部にこんな場所があるすな。たくさん引かれた格子模様は後世の道路かもしらないが、その格子の中にたくさん白い斑がある。
 これ何だろうなと思って斑のひとつを拡大してくと、中央に井戸らしきものがある。水源…。その水源を中心としてびっしり放射状の線が描かれている。???

●井戸だとしても今は使われてない感じすな。なんせ周りに人家が見当たらない。
 …これってひょっとしてオアシス都市の痕跡なんじゃないかと。びっしり引かれた放射線は井戸を中心にしてる…ってことはこれは「道」であり、人家、もしくは別のオアシス都市につながってるって事では…。
 そういうオアシス都市(らしきものが)…一体どれだけあるのか。数えてないからわからない。それらの白斑の分布の仕方はなんとなく中国やアメリカの都市の分布のそれに酷似している。ここに先史オーストラリア経済圏、大都市圏があった…。
 もちろんオーストラリア中部がまだ緑豊かだったころを想像していただきたく。

●私が超古代の人口を10億としたのはこういうのをいくつも見てるからです。ひょっとしたらそれも過少評価かもしらない。
 その10億の民がある時ごっそりいなくなってしまった。1億以下に激減した。そのあと7千年も「暗黒時代」がつづくわけで。一体何があったのかは全然わからない。
 ヨーロッパではヴァンダル人によるローマ破壊後、中国では後漢から三国時代にかけて人口の大激減がありますが、それ以上のことが世界規模であったわけです。

●この先史オーストラリア都市圏の痕跡にも今は誰も住んでませんね。滅んでしまったのか、どこかに移住したのか。それは大洪水によるものか、乾燥・砂漠化のせいか、あるいは他の理由か。
 ともかく、生き残った人たちも「こんなトコにゃ居られねぇ」という事があって集団移転してしまった。ならどこへ行ったのか…それが冒頭に書いた「ポリネシア諸島に人が住むようになったのはごく新しい時代」と関係してきます。ハワイ、トンガ、タヒチ、ニュージーランド、そしてイースター島…。
 しかし彼らがそんな大都市圏に住んでいたという記憶は失われ、ただムー大陸と鳥人の伝承だけが残る。
 それと巨石建築ね。