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土井平蔵の中庭

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西洋紀聞

●日本の事ばかり書いてるけど、アトランティス人はどこにでも来てたろう、日本にも来てたろうという仮定で、知ってる事を羅列してるだけです。ヨソのことはよー知らんという。
 なら日本にはアトランティス人の子孫はいるのか、というと答えは居ます。むしろ世界中の人間がその子孫だろうと言える。
 けどアトランティス人の主体をなしていたと仮定しているハプログループTの遺伝子を継承してる人は地域限定になります。
 日本には来てなかったのか、どっか行っちゃったのか…。鬼界カルデラの噴火の時に、それまで日本にいた原住民は絶滅、あるいはどこかに移住したという話があります。

●アトランティス人、と書くと何やらそういう純血種がいたような感覚になるが「ある文明を持った人々」の総称であり、それが何種であるかはどうでもいいのであって。だから最初に「鳥人族」という書き方してたんですが、途中からアトランティス人の方が便利になっちゃった。通りもいいし。

●何かで見た話だとアトランティスは1万年(!)も続いたらしい。それはもはや国というより「ある時代」の名称であって、それを一つの民族だけで主導していたとは考えにくい。
 たとえば古代エジプトの初期のファラオはアジア的な風貌を備えてたそうですが、だんだんベルベル人、リビア人などの要素が強くなり、最終的にギリシア人(プトレマイオス朝)がファラオになってた。クレオパトラもそういうギリシア人の末裔です。でもローマ人からは「エジプト人」と呼ばれてた。

●アトランティスも色んな民族が参加してるうちに最後は全然ちがう系統の民族が「王」になってたんじゃないすかね。その名称もムーになったりレムリアになったりオリンポスになったり…あるいはそれらが並立してた分裂期も考えられます。そういう意味で日本にもアトランティス人の子孫はいるという事です。ちょいと分かりづらいですが…。

●シュメール人は系統不明の民族といわれてますが、個人的な勘ではアトランティスに所縁の深い人々だったんじゃないかと思ってます。そのシュメール人はみずからをウンサンギガ(混ぜ合わされたもの)と称していたそうです。自分たちが色んな民族の集まりであることを名に込めているのです。
 アンサンブルという言葉が「集合」「全体」という意味なのも何やら意味ありげです。アッセンブルという言葉も同根の言葉かもしれません。すいません妄想です。

●あれだけ世界性を持ってしまった大帝国が、一つの民族だけで維持していくのは困難だと思います。それで土着の有力者に、市民権だか松平姓だかの特権を与える。それで「今日からあなたもアトランティス人」になる。そういう人たちの子孫が「神の子」を名乗り、王様になったり宗教的権威になったりしている。そんな感じじゃなかったでしょうかね。

●じゃあ建国の父たるハプログループTの人たちはどうなったのか。前に書いたとおり何らかの争乱があって、ジブチやインドに逃げてったんでしょうね。
 私はWIKI先生の英語版のほうは見なかったんですが、見たらまあ…けっこう居るもんですね。中国にもいるしモンゴルにもいるし南米にもいる。保安(バオアン)族とタジク族とウイグル族がかなりの濃度で継承してる感じです。
 というか匈奴ってのは…ははぁと。それでチンギスハーンは…ははぁと。あの爆発的な拡大はつまり先祖返りですよ。

●見てて「え?」となったのはイタリアに100%という人々がいる事です。Marchigianosって何のことやら。マルケ州の方言を使う人々という意味らしいが…。話者90万人…ほほぅ。マルケ州にアスコリ・ピチェーノとかアトリという地名があるのも気になる所。
 でそのマルケ州から半島を横断するとローマがある。ははぁ…と。ローマ帝国というのは…んでもってバチカンというのは…ははぁと。もう説明いらんでしょ。
 おもしろいのはマルケ州の出身者にマテオ・リッチとかフリードリヒ2世の名があることすな。

●イタリア南部やシチリア島は東西南北の物流・思想が交差する所であり、そういう所で文明が発生しやすい。フリードリヒ2世やマテオリッチみたいな世界性をもった人が出てくる。それは古代も同じだったろうから、あそこにアトランティスの起源があると仮定してる根拠になってるんですが…。
 日本に布教にきたカトリックの宣教師で、拷問にたえかねて改宗し、死ぬまで日本人として生きた人がいます。2人います。その2人ともシチリア島出身者です。

ジュゼッペ・キアラシドッチです。シチリア出身の彼らがはるばる遠い国にまできて同じような運命に陥ってるのは何やら因縁めいた感じがします。
 シドッチの場合、世話をしていた老夫婦に洗礼を与えたことで地下牢に移されて獄死しますが、その後老夫婦がどうなったかは知らない。でも最近の発掘調査だとシドッチさんの遺骨とともに2体の人骨も発見されたそうな。たぶん老夫婦のものかな。「この人と一緒に死んでやろう」と老夫婦に思わせるだけの人格的魅力がシドッチさんにあったのかもしらない。
 まあ完全に余談なんですがね。

●インドにもたくさん居るらしいんだが、もう見るの面倒くさいすな。居るだろうよあそこはという。何でも居るさ。
 というかバラモンの一族にアトリ氏というのがいるんだが何か関係あるのかね。アートレーヤという聖人と関係するらしいんだが。ひょっとしてアトランティス人の子孫はバラモン階級になってインド社会に存続したとも考えられ。
 アトランティス人トートが書き残したとされるエメラルド・タブレットの内容もどこか般若心経的であり。あるいは「やさしい三位一体入門」みたいな。偽物だの何だの言われてるけど、もし本物だとしたら仏教やキリスト教の思想もアトランティス由来だったりする事もあるわけで。よかったねトート先生。

●おもしろいのは南米にも末裔がいる事すな。ポルトガル人かスペイン人を介して…と思ったんだがどうも違うらしい。昔っからそこにいるらしい。どうやって海越えて来たんでしょうね…とあえて書いてみる。
 インカ最後の王アタワルパもその継承者らしい。やっぱり「アタ」がつく。ということはインカ帝国というのは…なるほどねという。じゃあアステカもそうなのかな…ふむふむ。

●宗教的権威になって存続しつづけた…というのはエジプトでファラオにつぐ権威を有していた神官集団もそうだったのかな。たまにファラオをしのぐ実権を握ったりして。自分たちがアトランティスの裔である事実は忘却してたでしょうが、なにやら血が騒ぐぜ的な…。エジプト滅亡後はどうなったか知らん。

●継承してるから何かあるってわけじゃないすよ。ある民族にある条件が重なったことでオーパーツ的な文明を持ってしまった。世界中に拡大してしまった。それだけのことです。それが過ぎれば元の木阿弥。三河人は三河人であり、足利市民は足利市民です。

●あれアシカガ…(もうえっちゅの
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ヨシュアベンヌン

●なんかボヤけた話ばかししてすいませんのー。でもおいらの話の中にはUFOも出てこないし超科学もない。スピリチュアルな要素も出てこない。それらを立証できるだけの知識や経験があったら書くんでしょうが、そういうの無いんでね。興味はあるけどね。だから自分で書く時はどうしても地味になる。
 というより地球が「ほら、ほら、見ろ!」とその表面に残してる過去の痕跡を、見たまま書いてるつもりなんすけどね。見たまま…いや違うな(ぇ

●たとえばこういう遺跡がある。まんじゅうみたいに盛り上がってます。何の予備知識もなく見ればただ自然にできた隆起でしょうが、ここには100%遺跡があります。何という遺跡かは書きませんが。
 こういうのは遺丘(テル)というそうなが町が1000年以上もつづくと建物の石材やら家財道具やらが堆積してこういう小丘ができる。でも言われなきゃわかりませんね。この遺跡はある程度発掘されてるし、道で囲ってるから「遺跡なんだろうな」とわかるけど、以前はワケわからなかったろうと思います。

●でもってアトランティス後の遺跡は規模が小さく繊細な感じがします。見てすぐに「あ、これ有史後」とわかります。アトランティス人はもっと野放図です。この写真がその好例だと思います。かかってる橋は最近のもので、手前にある岩頭みたいなのはアトランティス人の手によるものかと…。自然物だか何だかわからないけど、しっかりダムだか橋だかの形状を有している。また半円状に切った場所もある。自然にあるもの(素材)を利用して意図通りのものを造る。これがアトランティス人の特徴だと思います。

●メソポタミアやエジプトは「遺跡があってもおかしくない」場所なので、見てて面白くない…いや面白いか。
「こんなところに遺跡なんてあるわけが…おや?」というのが面白いんでしてね…。シリア砂漠にある遺跡なんて面白いです。これ何て遺跡でしょうね。かなり広範囲にわたって集落の痕跡があります。ここを撮った写真から「bronze-age」の遺跡であることはわかりますが、ググッても何の説明もない。たぶんよく分かってない遺跡でしょうね。
 でもって黒い溶岩質のようなもので覆われてるのは何でなのか。洪水があったような跡があるのは何でなのか。そんな大規模破壊があったという話はネット探してもない。歴史にも載ってないわけで。
 たとえばここで青銅器文化を営んでいた半農半牧の民がいた。大噴火があった。洪水があった。それで「こんなトコにゃ住めない。エジプトにでも行くか」と行って、エジプトを征服してしまった。それが謎の民族といわれるヒクソスだったんじゃないかという。全部想像です。

●アトランティスの痕跡探しもこんな感じです。見てて妙だな、フシギだなという所を丹念に調べると、道路のような直線、家の土台跡、畑だったような格子模様、水路のような条溝が見つかる。そこでゴチャゴチャと妄想をめぐらす。そしてこじつける。
 こういうのは砂漠の岩盤地帯では見つけやすいです。また海底というのは意外にも旧態を留めていることが多い。波の侵食というのは海岸付近で起きるので、沖の海底では水がかえって保護膜のような役割をしている。ただ堆積が地上より激しい。

●しかしセブ島周辺の海底には色々「おんや?」という形状が見られます。人が定住してたような痕跡です。このマクタン島は日本人の先祖と同じハプログループDの人たちが住んでるそうな。スンダランドを出た人々はここにいったん定住し、ついで台湾→沖縄→伊豆諸島、パラオ→グアム→伊豆諸島に渡っていったんじゃないでしょうかね。なんでどっちも伊豆諸島かってのは黒潮の影響です。南から来た人々はどうしてもあすこらへんに辿りつく。でもって戦前は沖縄のカヌー乗りがよく沖縄と八丈島を往来してたらしい。於勝さんも来てたらしい(誰だ
 ということは沖縄と伊豆諸島の結びつきというのは古く、かつ強くて、黄八丈のルーツは奄美の大島紬なんじゃないか…等々、色々考えるとそうなります。そういえば大東島の人ももとは八丈島の人だったすな。まあそれは置いといて…。

●森林が多かったり、土壌が堆積してたり、土地の改変が激しい場所は痕跡が見つけづらいです。日本がそれです。
 でもまあ…見つからない事はないんですけどね。地図開いてランダムに選んだらこういう山が見つかり。なんだか四角い形をしてます。ストリートビューで見てみたらピラミッドみたいな姿をしている。

●鎌倉山という名前だそうですが…。あの鎌倉となんか関係があるのかな。そういえば「くら」というのは倉庫という意味のほかに「偉い人が座ってる所」という意味もあったな。偉い人がいたのかな。
 よく見たら近くに浅間神社があるな。富士信仰だな。そうか鎌倉山を富士に見立てているのか…。
 これは人工物なのかな。人工物っぽいな。でも見た目が印象的だから古代人も目をつけてここに何らかの施設を建てているに違いない。色々手を加えてるに違いない。そして前にある川を船でくだって海に出て…とこういう風にぼんやり考えてるわけで。

●まあこの山はランダムに選んだだけなので遺跡なのかは知らないですけどね。こういう風に妄想遊びができる。
 だいたい観光地とか地域の隠れスポットになってる場所は遺跡の可能性が高いです。風光明美なところは古代人も「いいトコだな。ここに住もうかな」という気になったんだろうし。そういう感覚は現代人と同じだと思います。

●たとえばこういう所とか。日光の戦場ヶ原です。今でこそ日光といえば中禅寺湖畔ばかり脚光浴びるけど、古代人が住んでたのは奥日光のほうだと思ってます。とくに日光白根山は古代集落があってもおかしくないような形状を備えてます。ホントに住んでたのかはシラネけど(爆
 古代の遺物はたいてい地下に埋もれてるのですが、地面の色、かすかな陰影、草や木の生え具合などでぼんやり感じ取ることができます。道の痕跡などもよく残ってるものです。

●もしそこに1000年以上人が住んでいたのであれば、人が歩いて地面を踏み固めてるだろうし、家も建ってただろうから、その後の草の生え方にも影響すると思うのです。地中に建材とか埋もれてると植生の分布に露骨にそれが出る…。
 よく獣道獣道いうけど、動物が歩いて道ができたわけじゃありませんよ。長い年月で隠滅しかかった古代道を動物が利用してるだけです。そういう道はよく森の中の空地につながっている。そういう空地には過去に集落があったかもしれません。人が住んでいた跡には木が生えない、もしくはそこの森だけ周囲の森と色が違う事が多い(もっとも日本は人工林が多いのでその限りではありませんが)。

●そういうのを考慮して見ると、戦場ヶ原にも色々ヘンなものがあったような印象を受けると思います。私はここに「お宮」があったと思ってます。それを証明するのは陸橋があった痕跡です。そして男体山と日光白根山を結ぶように橋がかかっている。陸橋=磐橋(いわはし)=天橋立…まあこの話はこれぐらいで(ぇ

●古代遺跡とかいうとミステリーだのオカルト的な視点でとらえられる事が多いんでしょうけどね。そこの遺跡に…たとえば小さい男の子が住んでたと思いなせい。女の子でもいいわい。朝の陽ざしの中、その子が目をこすりながら起きあがる。そして台所にいる母親にむかって「かーちゃん今日の朝ごはん何ー」とか聞いている。1万年前の光景。遠い、遠い先祖の記憶。

●なんか今日はよもやま的に、とりとめもなく。

白山比咩神

●ピラミッドは土留じゃなくて絡みというそうですね。絡みについては「ピラミッド 干拓」でググるとたくさん出てくるので、そちらの方を参照ください。たしかに干拓地のある場所には絡みにしたような、浮島みたいな隆起をよく見かけます。そういうトコはたいてい神社になってますが。

●で、今回はアトランティス人による地域支配のごく簡単な説明です。
 ギリシア神話のポセイドン、オケアノス、ネーレウスといった海神にはたくさん「娘さん」がいることになってます。とりわけオケアノスには3000人の娘(オーケアニス)がいたそうです。さらにポタモイという河川の神々、ナーイアスという孫娘たちもいる。
 これ世界各地に派遣された地方長官(封建領主)の氏族名だったんじゃないかと思ってますが。エレクトラはそこー、ドリスはあっちー、カリュプソはどこそこーという。新島の大三王子もこの一人だったかと思われます。こういうのは初期の大和朝廷における国造による地方支配によく似ています。みなさん共通の祖先をもついわゆる眷属なわけです。

●でこういう図を描いてみたんですけどね。

 バカみたいな絵ですが…。真ん中にある「高い山」のてっぺんに、その地方の女王、オケアノスの娘たちが住んでるわけです。山頂にあるのは泉です。女王というのは個人的な願望です。
 山頂といっても100人ぐらいは居住できるスペースがなければならない。だから彼らは火山の噴火口、あるいはカール状になった山を好みます。カールの底には水(あるいは温泉)が溜まってる事が多い。

●なんで山の上に住むのか…というのは野蛮な原住民の襲撃を恐れたから、野獣よけ、風土病対策、神秘性を出すため、水源の確保、石切場の確保など色々考えられます。野獣よけというのは運河の時と事情はおなじです。山の上だとクマやオオカミも登ってこれないだろうという。あと地元の人と接触してると風土病にかかってしまう。また食人の習慣のある原住民とかも多くて襲われる心配ある。血統の純一性を保つためなど。

●山の下にある四角い台地は、貴族の屋敷とか政庁とかを置いていたんだと思います。いわゆる「お宮」です。住民と神(地域の王)とを取り次ぐ窓口でもあったと思われます。現在でも山のふもとに神社がある姿をよく見かけます。
 たまに山道に道祖神が置いてありますが、あれは神の領域と人間の領域をへだてる結界石だったんだそうな。こっから入っちゃいけないよという。

●そういう高い山のふもとには河川(もしくは運河の痕跡)が接してる事が多いです。海から船で行き来できたんでしょう。で運河にそってシマシマ農場がある。

●高い山のまわりには小さい丘がある。まわりの黒いポツポツは集落です。この丘は何かというと「神様からの使いをお迎えする台」です。偉い方のお使い、すなわち助さん格さん天使です。まさか空から降りてくるのか…まさしく天降(あも)りましてくるわけです。私が最初にアトランティス人を「鳥人族」と書いてたのはそのせいです。

●ならどういう時に佐々木助三郎が降りてくるのか。それは住民たちが呼んだ時です。大声出しても山頂には届かないだろうから、丘の上から火を焚いてノロシでも上げたんだろうと思います。それを山頂から見た渥美格之進が「お、住民たちが呼んでるな、どれどれ」とグライダーでフワーッと…まあ気球でもUFOでもいいんですが、何らかの飛行手段でおりていく。そうすると住民たちは毎回驚いてくれる。これも一種の演出ですね。

●で、天使は村人にいろんな知識を授けたり、陳情を聞いたり、印籠出して問題を解決してくれる。相撲もしてくれる。そのかわり貢物を受け取るわけです。後年の宗教儀式において、祭壇を築いて神様に捧げ物をしたり、火を燃やして拝んだりするのはここに根源があるんじゃないかと思ってますが、たんなる憶測。

●なら天使はどうやって帰っていったのか。まさか山頂までグライダーを担いで登っていったとは考えにくいですから、こうやって帰っていったんじゃないかと…。あたしは高い所からじゃないと離陸できないのかと思ってたけど、うまい人なら場所選ばないみたいですね。風に乗ればどんどん上昇できる感じです。だから風のいい日を選んで帰っていったんでしょう。たんまり御馳走になって…。

●このお迎えの丘は小火山の噴火口、もしくは自然丘である事が多いですが、無い場合は人工的に造ってる所もあります。例の干拓の「絡み」に使っていた盛土を転用する事もあったかもしれません。
 ギリシアのアクロポリスもそういう丘の名残かと思います。丘の周辺で地域の中心的なコミュニティーが形成されたかもしれません。
 はるか後年、アトランティス人がいなくなったあとですが、神様が住んでる高い山と、お迎えの台とが一体になった構造物があります。前方後円墳です。あれ古墳時代にお墓として転用されてるけど、もとはお墓じゃないですね。別な目的で造られたものです。

●こういう地域のまわりは何故かグチャグチャ、ドロドロになってる場所が多い(一例)。高い山というのは火山である場合が多いので、たいてい周りに溶岩が流出したような跡がある。また水害もあったろうから泥で覆われてたりする。アトランティスが滅んだ一因はこういう火山性地帯に好んで住んでたからというのも考えられます。こういう地域は現在人が住んでいない場合が多いです。

●現在の都市はそういう「古い土地」からちょっと離れた所にある。どういうわけかその上には住まない。荒地になってる事が多い。たとえば土を掘りかえしたら、昔の食器類だの人骨だの出てくる。石ころだらけで耕しづらい。石ころは石造建築の残骸だと思います。土地の老人は「そこには古い霊が眠っており」とか気色の悪い事を言い出す。
 それで「忌み場」「聖域」として住民から敬遠される。モヘンジョダロも「死者の丘」として住民が恐れて近寄らなかったというし、たくさん古代遺構の見出されるフロリダ南端がかつてカヨウェソ(人骨の島)と呼ばれてたのもそれだと思います。カヨウェソはキーウェストの語源です。

●こういうのはグーグルマップ見てて気づいたことなので、どこがと言われると「どこでも」と書くしかないすな。アメリカでもアフリカでもヨーロッパでもインドでもこうです。地名調べるのが面倒なのでいちいち列挙しません。山頂付近にちょっとした空地、あるいは水場のある山はたいていこうです。
 日本では富士山、羅臼湖、奈良の三輪山、会津磐梯山、燧岳と尾瀬、八幡平、月山弥陀ヶ原、石川の白山、琵琶湖西岸の箱館山、乗鞍岳、上高地、九重連山…有名な山はたいていそうです。高原にある湿原というのは古代農場の跡である事が多い気がする。ああいうのは「自然」には出来ないという事です。なにやら人工的な規則性を感じるから印象的なのであって…閑話休題。
 たくさん神々が居たというより、ごく少数の神が拠点を転々としてた感じもします。日本じゃそれを遷座とかいいますね。アマテラス大神は「旅する神」として知られます。
 中国では泰山周辺がそうなっており、南にむかって小さい丘が並んでます。このあたりに住んでた孔子の名が「孔丘」だったのも何やら意味深です。聖賢の道というのはぶっちゃけアトr…助さんもういいでしょう。

安宅の関

●でなんだっけ…そうそう干拓地のことあったすな。面白い話かどうかわからないが。
 ほっそながい砂洲があって、その中が海だったり、陸だったりする所(ラグーン)がありますが、あれも超古代において干拓のため「人工的」に形成されたものだと思ってます。もちろん全部が全部じゃないけど。
 比較新しい(中世以降の)干拓地はソツがないのです。整形されてるし、土手がコンパクトです。オランダや有明海の干拓地がそれです。

●それまでシマシマ農場(この呼び名もどうか)を使っていた古代人だけど、その農場は水源の枯渇を招いてしまう事がわかった。水害時の被害もすごかったと思います。
 それで何か新しい方法はないか…と考えたところラグーン状になった海を「干拓」する方法を思いついたんじゃないかと。
 シマシマ農場から干拓地へと転換する経緯はバナナ型神話をホウフツとします。二者択一だったのです。現在のシマシマ農場のほとんどが放棄されてる事を想起ください。

●アトランティスの最盛期はたぶん1万2千年前、最終氷期の段階にあったと思ってます。つまり今より陸が広かった。その陸際の低地に人口が集中していた。何かの本で当時の世界人口は3億だと書いてて驚いた記憶があるけど、実際それより多く10億はいたんじゃないかと思います。これは産業革命のころの世界人口と一緒です。現在の世界は多くの国々で分裂していますが、当時はひとつの意志で統一されてたのです。そう考えるとようやくあのSFじみた土木構造物の得心がいく。それが良いか悪いかは別として。

●アトランティス最盛期に作られた「古い干拓地」は現在水没してるわけです。ルイジアナ運河群、フロリダ半島沿岸、バハマ諸島、キューバ北岸、中米のカリブ海岸、紅海沿岸、ペルシャ湾内、ヴェネチアの干潟、フランスの地中海岸、オランダのワッデン海、ポリネシア・ミクロネシアの環礁などなど…(疲れた)。環礁は英語でアトールといいますね…何か関係があるんでしょうか。
 あとエジプトの東部に目のような地形があります。干拓しようとしてたのか、あるいは干拓地だったのか…。しかしここを再開発する王権が存在しないまま放置された感じです。

●アトランティス衰退期、および滅亡後(有史後も含む)に作られた「新しい干拓地」は現存しています。それが形成された時代は温暖期に入り、海の水位が高くなった。陸地が後退した。それゆえ干拓地の必要性が高くなった。
 イタリアのアドリア海北部、インダス川河口付近、イラクのメソポタミア地域、エジプトの扇状地、フランスのアキテーヌ地方、ベルギーからデンマークにいたる低地域、中国の長江以北の沿岸部、イギリスのケンブリッジ北部の古代湾内などです。こういう「新開地」で有史文明が発生したわけです。
 これらの地形の特徴は海岸付近がわずかに高くなってることです。つまりラグーンがあった。無いところは波の浸食で土手が削りとられたのか、近世以降の干拓地だと思われます。

●日本の海に面した平野のほとんどはこの新しいタイプです。この地図を見るとそれがよくわかると思います。富山の沿岸もごくうっすらとラグーン状をしています。
 こういう事業を…いったい誰がやったのかという。内側の海を埋めたのは大和朝廷やその後の武家政権でいいとして、沿岸部のラグーンを作ったのは誰かという事です。幅が1キロある長堤を100キロ以上にもわたって築く…加賀藩はそんなにお金があったんすかね。さすが百万石ですね(棒

●じゃあ日本には古いタイプの(アトランティス文明華やかなりしころの)干拓地はないのか…というと、いくつかあります。一つは北海道のサロマ湖です。でもそのころ北海道は氷河に覆われてたんじゃなかったっけ…。あれは自然にできたラグーン湖かもしらず、この辺はよくわかりません。ただアトランティス人が知床半島を特別視していた形跡はいくつか見受けられます。

●なら他はどこか…というと天橋立のある所です。そこの湾の名前に着目してください。阿蘇(アソ)海です。あっそ。
 ………。え、これだけ!? と思われるかもしれないけど、アトランティス人は日本を農業生産の場として期待してなかったかもしれません。日本にはたくさん盆地あるし、わざわざ海を埋めて農業する必要はなかっぺと。

●縄文人がすでに栽培・農耕をしていたことは三内丸山遺跡の発掘物からも知られている所です。
 ちなみに偽書として悪名(?)高い東日流外三郡誌の中に阿曽辺族というのが出てきます。やっぱり「アソ」です。もしそれが実在していた民族であれば、三内丸山に住んでいたのはアソベ族だったかもしれません。偽書とはいえ事あるごとに引っかかる"偽書"です。いちおう覚書として…。

●他に気になるのは出雲地方の地形です。西岸がラグーン状になってて、その内側が田んぼになってるのはいいんですが、途中で「もういいやと」やめちゃった感じです。水運に便利だからちょっと水場を残しとくというのはよく見られるんですがね。残しすぎィという感じがする。
 なんとなく西の田園地帯は新しい干拓地、東の宍道湖や中海は水没した古い干拓地ではないかという。その証拠に中海の大根島の中心には「からみ」にしたような土台があります。大塚山というそうですが。エジプトのピラミッドも干拓時のからみだったそうです。大塚山は島根のピラミッドです。
 このあたりの経緯は出雲風土記の国引き神話を見たほうが早いかもしれません。これ見ると干拓に何度も失敗しており、遠くから国(=有志、労働力、資金、土壌など)を引っぱってる事がおぼろに感じられます。難工事だったんでしょうね。

●ひょっとしたら瀬戸内海も古いタイプの…考えるとキリないね。
 日本各地に残る大規模開発の跡も「これは寛永年間に幕府が~」とか「清盛が~」とか書いてるけど、実際それを見た人はいないわけで。記録を残した人も例外ではなく。つまり言い伝えを書いてるだけです。
 実際に幕府や清盛がなんらかの事業をしてたとしても、じつは昔からそこに存在してたものを修復しただけなのかもしらないのです。

*土留じゃなくて「からみ」でした。一部修正。

シバの女王

●なんできゃつらはこんなに運河を作りまくったのか…というのは日本人ならちょっと理解できるんじゃないすかね。明治における鉄道史を見ると、わずか40年で全国に鉄道引きまくってる。トンネル掘ったり橋かけたり…。初期の明治政府は極貧状態で鉄道なんて引いてる余裕などなかった筈なんすがね。

●移動の迅速化、大量輸送化というのは鉄道史の事情と一緒でしょうが、古代には古代なりの理由があったと思います。当時旅をする上で最大の脅威とは何だったか考えると、それは野獣だったんじゃないかと。トラもいるしライオンもいるしオオカミもいる。絶滅した肉食獣とかも多かったかもしれません。こちらが集団なら何とかなったでしょうが、1人2人の旅なんてそれこそヘラクレス的冒険です。でも水上なら襲われても対処できる、何とか逃げられる、結果少人数でも移動できるってのがあったんじゃないでしょうかね。

●最新の人類は10万年かそこらで世界中に拡散したという。ならその前の数百万年間は何してたのかという。人間、舟でもないかぎり一山だって越えないと思うんです。舟があるから「行こうかな」という気分になったんで。楽だし、獣に襲われる心配もない。
 で、運河を作ることで世界中どこにでも行ける可能性を見出した。そのあとは日本における鉄道史と同じです。どばーっと、こう…。

●で、なんで運河は無くなってしまったのか。という話はあまり興味ないんですが、色々あると思います。自然現象によるものと、人為的なものによるものです。
 自然現象は、たとえば乾燥化、地盤の隆起、崖崩れ、溶岩の流出、土壌の堆積、風化、水の侵食等々…。なんせ1万年前だし。ほんの600年前に世界最大の人口を擁した大都サライも今は一望の原野です。

●あれだけの大運河だから大量に水を必要としたと思うんです。しかもシマシマ農場の維持にもやはり大量な水が必要になる。それが水源の枯渇を早めてしまったんじゃないか…結果、砂漠化が進行したんじゃないかという。ナスカの地上絵は雨乞いのために描いたという説があります。

●人為的なものというのは…たとえば敵対勢力が運河を自由に使ってしまったらどうなるか。また被治者たる住民が反乱を起こして運河を使用する事もあったかもしれない。だから防衛上の理由で運河を破壊する事もあったろうと。
「全地の言葉を乱し、そこから人を全地に散らされた」という言葉が聖書に、「ひとつの言葉を話す人間たちの口から出る言葉を変えさせ、争いをもたらした」という言葉がバビロニアのエンキ神話にあるが、それは何によって可能であるか。運河を破壊することで可能である。

●それでも運河はかなり後年でも残ってたし、使われてたでしょうが、水量がだんだん少なくなって放棄されはじめる。最終的に湿地や窪地になる。地域の住民としてはそういうのがあると往来の不便だし危険だ、という事で埋めて道路や畑にしてしまったのかもしれません。運河の痕跡の大部分が現在は畑になってます。
 まあ運河話はこれぐらいにして…。

●この話の中でギリシア神話ばかり引用してるけど、仕方ないすね。アトランティスに関してもっとも詳細な記録を残しているのがギリシア人だから。でもアトランティス人=ギリシア人とはちょっと違うと思うんです。

●色々ハプログループを漁ってたらハプログループTという系統を見つけ。低頻度ながら3大文明、カナリア諸島、中央アジアにまで及んでる感じです。中国の清朝は80万の満州人で3億の中国人を支配してたというから分布の仕方はこれぐらいでいいのです。これにグループのJとEの要素をくわえると個人的な見解(妄想)に合致します。
 彼らの中心地が地中海のどっかにあったのは間違いないと思うんですが、ある時期にどっかと戦争になったんですよ。それで地中海の覇権を失ってどっかに拠点を移した。それがアフリカのジブチであり、インドの東岸部であろうと…。

●高密度な地域をごくざっと見ただけで、アトクル、アサンソール、アスワプラン、アサイータ、アッサブ、アスマラという地名が出てくる。アレクサンダー大王が自分の名を冠した町をあちこちに建設したノリに似てます。
 とりわけジブチのアッサル湖付近は「島が沈んだ際にできた浅い泥によって妨げられ、今なお航海も探索もできなくなっている」というプラトンさんの記述どおりです。湖底にも建物の痕跡が見てとれます。というかプント国関連で前々から気になってた場所なんすがね。
 まあこれも一つの候補地として…。