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土井平蔵の中庭

道成寺

●前回宛委山(えんいさん)のこと書いて途中でやめちゃったけど、あの話は長いんでね。書きたくないんだけどね。
 中国の紹興市にそういう山があるんですよ。禹王の像が建ってたりして。

●紹興市からドバッと話が飛ぶんですが…秋田に鹿角って場所ありますね。


●あの盆地にあるAT・ASのつく地名って「ほぼ」直線的に並んでるんで。ほぼです。
 これに気づいた時は「変だな、変な土地だな」という印象しかなかったんですが、昨日この直線の途中に有名な山があったのを思い出し。
 黒又山。いわゆるクロマンタ山ですよ。

●詳しいことはWikipedia先生を読んでいただいて…。山の形がピラミッド状なのを始めとして、周辺からは縄文時代の遺跡やらストーンサークルやらが見つかってる。山の背後には清姫神社がある…。
 しかも山中の遺跡からは文字だか文様が刻まれた石(刻文石)が見つかってるらしい。
 ここで「んん?」となったんですがね。山の上に石文…。

●この山の向かいの丘に柏崎という地区がありますね。ほんとに黒又山と数キロしか離れてない場所。ここで生まれ育った大歴史家がいるんですよ。
 内藤湖南という不世出の巨人。

●近所に私立図書館(私立立山文庫)ができるというので、この湖南さん一筆書いてあげたんすな。
 それが「宛委山」という文字。
 詳しいことはこの(↓)記事で読んでいただいて。中段あたりに宛委山の話があります。

内藤湖南生誕の地 毛馬内を訪ねて

●禹がまだ若かったころ、父親のが治水工事に失敗して自殺するんすな。
 そこで禹は何とかして治水の知識を得たいと思い、江南にある宛委山にやってくるわけで。
 山のてっぺんには赤帝という神様が住んでて、治水に関する書物を持ってるわけで。

●でも変な話ですね。禹は漢民族であり当時の漢民族は黄河流域に住んでたはずです。それが当時「東夷」扱いされてた長江流域まではるばるやってくるんで。
 しかも当時は堯帝という帝王がいるはずなのに、宛委山にも赤帝という帝王がいる。なんだか「帝」がたくさんいたような…。
 まあそれはそれとして…。

●その治水の書物というのが「大きな石で覆われていること」「黄金の簡札が使われていて青い宝玉で綴られた文字がかかれていること」「その文字はすべて浮きあがって見えること」と記事にはありますね。
 なんだかアトランティスのエメラルドタブレットのような…。

●苦心してようやく見たい本を読むという意味で、湖南さんは「宛委山」という字を書いたんだろうけど…ここで何か思い出すわけで。
 それが先述のクロマンタ山の刻文石であり。

●刻文石が見つかったのは1990年代であり、それより100年前の湖南さんが知ってるはずがないんで。そもそも黒又山に遺跡があるなんて当時は知られてなかったはずです。
 でも何というか…歴史家の勘、地元民の勘みたいなので「山の上には石文があって…」というインスピレーションを受けたんじゃないかと。それで宛委山の故事を思い出したんじゃないかと。みんな土井さんの推測ですけどね。

●山の上に住んでて、治水に関する知識を持ってて、しかも蛇を信仰してる。こういう人が赤帝にかぎらず世界中にたくさんいたんじゃないかなと。クロマンタ然り、福島のヌマ御前然り、神奈川のアルカ様然りですよ。

●え、なんで蛇なんか出てくるの、黒又山と蛇信仰って関係あんのと思われるかもしらないが、山の背後にある「清姫神社」というのを見てピ~ンと来たんで。土井レーダーが。

●清姫の由来調べても南部氏の娘だとか、皇后様だとかゴチャゴチャしててわからないけど、清姫っていったらアレしかないでしょ。安珍・清姫でしょ。安珍・清姫ったら蛇女でしょ。
 しかも黒又山の遺跡からは蛇のような巨石(烏帽子状の立石)が発掘されてるという。間違いないでショ!

●そういえば「鳥の海の干拓」の話にも龍の化身であるお婆さんが登場しますね。なんだか下界で人間がおもしろいこと(干拓事業)してるので様子見&激励にきたお婆さん的な。このお婆さんがひょっとしたら清姫だったのかもしらない。
 ほんっとに知らない(ぉ

●内藤湖南さんはずっと前に幕末関係で調べてて、今回はAT・AS調べてたら湖南さんが出てくる。やっぱり不思議な人だなコナンさんは。

●まあピラミッドと蛇…といえば春分と秋分の日に…階段に「蛇」の影が浮かびあがるアステカのピラミッドを思い出しつつ。
 無理から思い出しつつ(ぉ
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