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土井平蔵の中庭

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安宅の関

●でなんだっけ…そうそう干拓地のことあったすな。面白い話かどうかわからないが。
 ほっそながい砂洲があって、その中が海だったり、陸だったりする所(ラグーン)がありますが、あれも超古代において干拓のため「人工的」に形成されたものだと思ってます。もちろん全部が全部じゃないけど。
 比較新しい(中世以降の)干拓地はソツがないのです。整形されてるし、土手がコンパクトです。オランダや有明海の干拓地がそれです。

●それまでシマシマ農場(この呼び名もどうか)を使っていた古代人だけど、その農場は水源の枯渇を招いてしまう事がわかった。水害時の被害もすごかったと思います。
 それで何か新しい方法はないか…と考えたところラグーン状になった海を「干拓」する方法を思いついたんじゃないかと。
 シマシマ農場から干拓地へと転換する経緯はバナナ型神話をホウフツとします。二者択一だったのです。現在のシマシマ農場のほとんどが放棄されてる事を想起ください。

●アトランティスの最盛期はたぶん1万2千年前、最終氷期の段階にあったと思ってます。つまり今より陸が広かった。その陸際の低地に人口が集中していた。何かの本で当時の世界人口は3億だと書いてて驚いた記憶があるけど、実際それより多く10億はいたんじゃないかと思います。これは産業革命のころの世界人口と一緒です。現在の世界は多くの国々で分裂していますが、当時はひとつの意志で統一されてたのです。そう考えるとようやくあのSFじみた土木構造物の得心がいく。それが良いか悪いかは別として。

●アトランティス最盛期に作られた「古い干拓地」は現在水没してるわけです。ルイジアナ運河群、フロリダ半島沿岸、バハマ諸島、キューバ北岸、中米のカリブ海岸、紅海沿岸、ペルシャ湾内、ヴェネチアの干潟、フランスの地中海岸、オランダのワッデン海、ポリネシア・ミクロネシアの環礁などなど…(疲れた)。環礁は英語でアトールといいますね…何か関係があるんでしょうか。
 あとエジプトの東部に目のような地形があります。干拓しようとしてたのか、あるいは干拓地だったのか…。しかしここを再開発する王権が存在しないまま放置された感じです。

●アトランティス衰退期、および滅亡後(有史後も含む)に作られた「新しい干拓地」は現存しています。それが形成された時代は温暖期に入り、海の水位が高くなった。陸地が後退した。それゆえ干拓地の必要性が高くなった。
 イタリアのアドリア海北部、インダス川河口付近、イラクのメソポタミア地域、エジプトの扇状地、フランスのアキテーヌ地方、ベルギーからデンマークにいたる低地域、中国の長江以北の沿岸部、イギリスのケンブリッジ北部の古代湾内などです。こういう「新開地」で有史文明が発生したわけです。
 これらの地形の特徴は海岸付近がわずかに高くなってることです。つまりラグーンがあった。無いところは波の浸食で土手が削りとられたのか、近世以降の干拓地だと思われます。

●日本の海に面した平野のほとんどはこの新しいタイプです。この地図を見るとそれがよくわかると思います。富山の沿岸もごくうっすらとラグーン状をしています。
 こういう事業を…いったい誰がやったのかという。内側の海を埋めたのは大和朝廷やその後の武家政権でいいとして、沿岸部のラグーンを作ったのは誰かという事です。幅が1キロある長堤を100キロ以上にもわたって築く…加賀藩はそんなにお金があったんすかね。さすが百万石ですね(棒

●じゃあ日本には古いタイプの(アトランティス文明華やかなりしころの)干拓地はないのか…というと、いくつかあります。一つは北海道のサロマ湖です。でもそのころ北海道は氷河に覆われてたんじゃなかったっけ…。あれは自然にできたラグーン湖かもしらず、この辺はよくわかりません。ただアトランティス人が知床半島を特別視していた形跡はいくつか見受けられます。

●なら他はどこか…というと天橋立のある所です。そこの湾の名前に着目してください。阿蘇(アソ)海です。あっそ。
 ………。え、これだけ!? と思われるかもしれないけど、アトランティス人は日本を農業生産の場として期待してなかったかもしれません。日本にはたくさん盆地あるし、わざわざ海を埋めて農業する必要はなかっぺと。

●縄文人がすでに栽培・農耕をしていたことは三内丸山遺跡の発掘物からも知られている所です。
 ちなみに偽書として悪名(?)高い東日流外三郡誌の中に阿曽辺族というのが出てきます。やっぱり「アソ」です。もしそれが実在していた民族であれば、三内丸山に住んでいたのはアソベ族だったかもしれません。偽書とはいえ事あるごとに引っかかる"偽書"です。いちおう覚書として…。

●他に気になるのは出雲地方の地形です。西岸がラグーン状になってて、その内側が田んぼになってるのはいいんですが、途中で「もういいやと」やめちゃった感じです。水運に便利だからちょっと水場を残しとくというのはよく見られるんですがね。残しすぎィという感じがする。
 なんとなく西の田園地帯は新しい干拓地、東の宍道湖や中海は水没した古い干拓地ではないかという。その証拠に中海の大根島の中心には「からみ」にしたような土台があります。大塚山というそうですが。エジプトのピラミッドも干拓時のからみだったそうです。大塚山は島根のピラミッドです。
 このあたりの経緯は出雲風土記の国引き神話を見たほうが早いかもしれません。これ見ると干拓に何度も失敗しており、遠くから国(=有志、労働力、資金、土壌など)を引っぱってる事がおぼろに感じられます。難工事だったんでしょうね。

●ひょっとしたら瀬戸内海も古いタイプの…考えるとキリないね。
 日本各地に残る大規模開発の跡も「これは寛永年間に幕府が~」とか「清盛が~」とか書いてるけど、実際それを見た人はいないわけで。記録を残した人も例外ではなく。つまり言い伝えを書いてるだけです。
 実際に幕府や清盛がなんらかの事業をしてたとしても、じつは昔からそこに存在してたものを修復しただけなのかもしらないのです。

*土留じゃなくて「からみ」でした。一部修正。
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