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土井平蔵の中庭

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ヨシュアベンヌン

●なんかボヤけた話ばかししてすいませんのー。でもおいらの話の中にはUFOも出てこないし超科学もない。スピリチュアルな要素も出てこない。それらを立証できるだけの知識や経験があったら書くんでしょうが、そういうの無いんでね。興味はあるけどね。だから自分で書く時はどうしても地味になる。
 というより地球が「ほら、ほら、見ろ!」とその表面に残してる過去の痕跡を、見たまま書いてるつもりなんすけどね。見たまま…いや違うな(ぇ

●たとえばこういう遺跡がある。まんじゅうみたいに盛り上がってます。何の予備知識もなく見ればただ自然にできた隆起でしょうが、ここには100%遺跡があります。何という遺跡かは書きませんが。
 こういうのは遺丘(テル)というそうなが町が1000年以上もつづくと建物の石材やら家財道具やらが堆積してこういう小丘ができる。でも言われなきゃわかりませんね。この遺跡はある程度発掘されてるし、道で囲ってるから「遺跡なんだろうな」とわかるけど、以前はワケわからなかったろうと思います。

●でもってアトランティス後の遺跡は規模が小さく繊細な感じがします。見てすぐに「あ、これ有史後」とわかります。アトランティス人はもっと野放図です。この写真がその好例だと思います。かかってる橋は最近のもので、手前にある岩頭みたいなのはアトランティス人の手によるものかと…。自然物だか何だかわからないけど、しっかりダムだか橋だかの形状を有している。また半円状に切った場所もある。自然にあるもの(素材)を利用して意図通りのものを造る。これがアトランティス人の特徴だと思います。

●メソポタミアやエジプトは「遺跡があってもおかしくない」場所なので、見てて面白くない…いや面白いか。
「こんなところに遺跡なんてあるわけが…おや?」というのが面白いんでしてね…。シリア砂漠にある遺跡なんて面白いです。これ何て遺跡でしょうね。かなり広範囲にわたって集落の痕跡があります。ここを撮った写真から「bronze-age」の遺跡であることはわかりますが、ググッても何の説明もない。たぶんよく分かってない遺跡でしょうね。
 でもって黒い溶岩質のようなもので覆われてるのは何でなのか。洪水があったような跡があるのは何でなのか。そんな大規模破壊があったという話はネット探してもない。歴史にも載ってないわけで。
 たとえばここで青銅器文化を営んでいた半農半牧の民がいた。大噴火があった。洪水があった。それで「こんなトコにゃ住めない。エジプトにでも行くか」と行って、エジプトを征服してしまった。それが謎の民族といわれるヒクソスだったんじゃないかという。全部想像です。

●アトランティスの痕跡探しもこんな感じです。見てて妙だな、フシギだなという所を丹念に調べると、道路のような直線、家の土台跡、畑だったような格子模様、水路のような条溝が見つかる。そこでゴチャゴチャと妄想をめぐらす。そしてこじつける。
 こういうのは砂漠の岩盤地帯では見つけやすいです。また海底というのは意外にも旧態を留めていることが多い。波の侵食というのは海岸付近で起きるので、沖の海底では水がかえって保護膜のような役割をしている。ただ堆積が地上より激しい。

●しかしセブ島周辺の海底には色々「おんや?」という形状が見られます。人が定住してたような痕跡です。このマクタン島は日本人の先祖と同じハプログループDの人たちが住んでるそうな。スンダランドを出た人々はここにいったん定住し、ついで台湾→沖縄→伊豆諸島、パラオ→グアム→伊豆諸島に渡っていったんじゃないでしょうかね。なんでどっちも伊豆諸島かってのは黒潮の影響です。南から来た人々はどうしてもあすこらへんに辿りつく。でもって戦前は沖縄のカヌー乗りがよく沖縄と八丈島を往来してたらしい。於勝さんも来てたらしい(誰だ
 ということは沖縄と伊豆諸島の結びつきというのは古く、かつ強くて、黄八丈のルーツは奄美の大島紬なんじゃないか…等々、色々考えるとそうなります。そういえば大東島の人ももとは八丈島の人だったすな。まあそれは置いといて…。

●森林が多かったり、土壌が堆積してたり、土地の改変が激しい場所は痕跡が見つけづらいです。日本がそれです。
 でもまあ…見つからない事はないんですけどね。地図開いてランダムに選んだらこういう山が見つかり。なんだか四角い形をしてます。ストリートビューで見てみたらピラミッドみたいな姿をしている。

●鎌倉山という名前だそうですが…。あの鎌倉となんか関係があるのかな。そういえば「くら」というのは倉庫という意味のほかに「偉い人が座ってる所」という意味もあったな。偉い人がいたのかな。
 よく見たら近くに浅間神社があるな。富士信仰だな。そうか鎌倉山を富士に見立てているのか…。
 これは人工物なのかな。人工物っぽいな。でも見た目が印象的だから古代人も目をつけてここに何らかの施設を建てているに違いない。色々手を加えてるに違いない。そして前にある川を船でくだって海に出て…とこういう風にぼんやり考えてるわけで。

●まあこの山はランダムに選んだだけなので遺跡なのかは知らないですけどね。こういう風に妄想遊びができる。
 だいたい観光地とか地域の隠れスポットになってる場所は遺跡の可能性が高いです。風光明美なところは古代人も「いいトコだな。ここに住もうかな」という気になったんだろうし。そういう感覚は現代人と同じだと思います。

●たとえばこういう所とか。日光の戦場ヶ原です。今でこそ日光といえば中禅寺湖畔ばかり脚光浴びるけど、古代人が住んでたのは奥日光のほうだと思ってます。とくに日光白根山は古代集落があってもおかしくないような形状を備えてます。ホントに住んでたのかはシラネけど(爆
 古代の遺物はたいてい地下に埋もれてるのですが、地面の色、かすかな陰影、草や木の生え具合などでぼんやり感じ取ることができます。道の痕跡などもよく残ってるものです。

●もしそこに1000年以上人が住んでいたのであれば、人が歩いて地面を踏み固めてるだろうし、家も建ってただろうから、その後の草の生え方にも影響すると思うのです。地中に建材とか埋もれてると植生の分布に露骨にそれが出る…。
 よく獣道獣道いうけど、動物が歩いて道ができたわけじゃありませんよ。長い年月で隠滅しかかった古代道を動物が利用してるだけです。そういう道はよく森の中の空地につながっている。そういう空地には過去に集落があったかもしれません。人が住んでいた跡には木が生えない、もしくはそこの森だけ周囲の森と色が違う事が多い(もっとも日本は人工林が多いのでその限りではありませんが)。

●そういうのを考慮して見ると、戦場ヶ原にも色々ヘンなものがあったような印象を受けると思います。私はここに「お宮」があったと思ってます。それを証明するのは陸橋があった痕跡です。そして男体山と日光白根山を結ぶように橋がかかっている。陸橋=磐橋(いわはし)=天橋立…まあこの話はこれぐらいで(ぇ

●古代遺跡とかいうとミステリーだのオカルト的な視点でとらえられる事が多いんでしょうけどね。そこの遺跡に…たとえば小さい男の子が住んでたと思いなせい。女の子でもいいわい。朝の陽ざしの中、その子が目をこすりながら起きあがる。そして台所にいる母親にむかって「かーちゃん今日の朝ごはん何ー」とか聞いている。1万年前の光景。遠い、遠い先祖の記憶。

●なんか今日はよもやま的に、とりとめもなく。
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