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土井平蔵の中庭

アマゾナス

●山岳の民であるミタンニが、海の勢力と結ばれたという話を書いたけど、その海の勢力に該当するのはキズワトナが妥当だろうと…思うんですけどね。なんにしろWikipedia先生に記事がない。英語版はあるけど。
 でもってヒッタイトが滅んだあとその故地にシロ・ヒッタイトという小国群が出現したという。これもその後の世界史全体に関わるような王国群だったんだろうけど…やっぱり日本語版がない。日本人興味ないのか…先祖の誰かが住んでたかもしらんのに。

●このキズワトナ(トルコのアダナ周辺)という地域も…アトランティス調べてた時に何度も見たすな。AS・ATがたくさんあるので。というかあの辺は「アトリ~」がつく王様が多い気がする。アトリといえばアッティラだけど…。

●このキズワトナもフルリ人の一派みたいなんだが…。ともかく最初はヒッタイトと同盟を結んでた海上王国キズワトナは、途中からミタンニに乗り換えたみたいすな。そこからミタンニの隆盛がはじまる。それがBC15世紀。
 まあキズワトナはおいといて…。

●シュメール関連見てると「え、ここでも!?」というぐらいフルリ人発祥の国が多い。なんだかフルリ人拡散しすぎじゃねーのと。というかメソポタミア人って全部フルリ人じゃねーのという…それは極論だけど。
 でも極論でもないのかな…という証拠みたいなのを見かけたので。

●これは戦車がどうやって伝播したかを示すなんですけどね。戦車っても大砲積んだアレじゃなくて、ベンハーに出てきた戦車です。馬に牽かせるやつ。
 これ見ると…なんだかおいらが想像してたスバルの故郷、あるいはフルリ人がどうやって拡散したかをそのまま示してるように思えるんですけどね。
 で、フルリ人の記事をよく見たら「戦場における馬と戦車(chariot)を導入した」と書いてありますね。いつもながらのすっぽかし。

●で、一番真っ赤な部分が戦車の発祥地だという事になるんだろうけど。ここって…前に引用したアファナシェヴォ文化の後継であるアンドロノヴォ文化の地域じゃねーかと…。
 つまりクルガン(古墳)の本家本元、インド・ヨーロッパ語族の発祥地です。

●ここがスバルだった…というのは早計かもしらんけど。でもそれに遠からずという所だろうと…。
 ここに住んでたスバル人は、戦車と馬を携えてメソポタミアに流れこんできた…。という所で「ん?」となったわけで。

●ひょっとしてメソポタミアのジッグラト、エジプトのピラミッドという観念もスバル人が中央アジアから持ってきたんじゃないかと。
 シュメール人とかエジプト人とか言ってるけど、元をただすと中央アジアの遊牧民ちゃうんと。スバル人ちゃうぅぅんと…。
 まあそれを証明するものはいくつかあるんですけど。

●シュメール人の人種は系統不明といわれてるけど、じつはアジア系だったという話をなんかで見たんですけどね。
 それと初期エジプトのファラオはアジア的な風貌をしてたとか。でエジプトが最近ファラオのDNA鑑定をしたけどその結果は非公開にしてるとか。なんかマズいんですよ…。

●エジプトも最初のころは小国に分裂してた、つまり群雄割拠の状態だった。それが時代が進むにつれて中央集権化していっただけで。
 シュメールも多くの都市にわかれてずっと統一されない状態でしたな。ギリシアもずっとその状態。
 多くの部族にわかれて統一しない。って…それは遊牧民の風じゃないのかと。

●つまりエジプトもメソポタミアもスバル人が造った!!!
 …なんもびっくりマーク3つも並べるこたない。
 でもその可能性はあるってことですよ。つまり戦車の拡散の図はそのままスバル人による大陸征服の過程を示した図であるという見方もできる。
 歴史には記されてないけど、たぶんジンギスカンみたいなスバル人の英雄がいたのかもしらない。知らないよ。

●で中国にはBC1600年という比較的早い段階で戦車が普及してまつな。オリエント地域よりも早い。スバル人にとっては中国のほうが心情的には近い地域だったんじゃないかと。
 で、周という王朝の字も「あまねし」という意味のほかに「めぐる」という意味があるすな。何かが回転してるんですよ。つまり車輪が。
 周王朝で春秋戦国時代といえば戦車戦ですよ。馬車の時代ですよ。

●それと「都市国家」という観念もスバル人発祥じゃないかなと思うわけで。
 スバル人は遊牧民なんだし、都市なんか住んでるわけねーじゃねーかと思うんだが、アンドロノヴォ文化に残るアルカイム遺跡を見てギョッとしたんですがね。
 なんというか…スペースコロニーみたいな。というかイランにこれと似た建物たくさんあるすな。
 まだ小規模集落の段階だけど、これを拡大するとシュメールやギリシアの都市国家になり、アトランティスの円形都市になり…。
 アルカイム…なんでか有鹿神社を思い出したんだが。東北地方に残るストーンサークルもこれを模した感じもする。黒又山の麓にもあるすなストーンサークル。

●でもスバル人による統一事業は…あまり組織的に行なわれなかったのか、うまく行かなかったみたいすな。あちこちに散らばった先遣隊が勝手に独立しちゃったのか、あるいは征服された現地民も戦車の使い方おぼえて対抗したのか。黒船つくった日本みたいに。
 だいたい中央アジアに4大文明に匹敵するような文明が興ったという話を聞かないので。

●で肝心なのがこのアンドロノヴォ文化が、ミタンニとインドのルーツだという事です。インドのバラモンの教義と、ミタンニの宗教観は同根だということで。「ミタンニ」という言葉もインドのミトラ神と関係あるのかもしらず、ミタンニが滅んだあと中東に「ミトラ教」として残ったんではないか。キリスト教はそのミトラ教から発生したという話がある。
 んで他の一派はイランに移住してメディア王国を築いた。さもなくばその国の司祭(マゴイ、マギ)になった。釈迦はそのマギ一族だったという説がある。
 このメディア王国についても何か書きたいけど指が疲れたので略。
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