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土井平蔵の中庭

アッシュール

●アトランティス関連はもう書きたい事は書いてしまい、他はコマゴマとした事なので、書くこたないと思ったんですが。
 そういえば日本各地に残る「おお」という地名について残ってたなという。まあくだらない(?)話なんですけどね。

●以前ちょっとシャレ的に「足利」について書いたけど、後で色々調べるとおもろいすな。やっぱりあすこには何かあったんじゃないかという。
「三代後の子孫に天下を取らせよ」
 と言ったのは足利家氏という人ですが、その3代後の孫にあたるのが足利尊氏すな。足利家は源氏の名門ですが、実力でいえば中程度の豪族だった家です。なのにこれほどの大言を吐き、それを孫が実行する。
 しかも徳川家康は足利・新田家の一族(得川家)を由来とする家系伝説をもち、両毛から輩出した総理大臣の数は全国一です。なんかそうさせるだけの気分がこの地方にはあるんじゃないかと。前々から気にはなってたんですが…。

地形を見ると、ちょっと福井の足羽(あすわ)に雰囲気が似てます。干拓したようなフラットな田園があり、その田園のあちこちに浮島状の山や丘がある。
 しかも北には日光があり、北西には赤城山、西には榛名山、そして浅間山などの名山をたくさん控えている。山好きなアトランティス人がほっとかない土地だと思うんです。

●今でこそ日光は宇都宮方面が玄関口みたいになってるけど、むかしは足尾方面が玄関口だったんじゃないかと思ってるんすがね。
 なんか縄文時代までこの辺まで海が迫っていたと何かで見たんですが。たぶんこんな感じだったのかな。つまりヨソから船で来た人は足利港でおりて、そこから足尾をへて日光に向かったんじゃないかと。古代から日光は聖地であり、足利はその玄関口だった。だからここに何らかの都があったと。

●都というと大袈裟なんですが、まあ大邑といったものか。宋書倭国伝にも「東征毛人五十國 西服衆夷六十六國 渡平海北九十五國」という風にたくさん国があった。でもこれらはバラバラに存在してたわけじゃなくて、何かひとつの巨大権力のもとで緩やかな連合を形成していたんじゃないかと。江戸時代における三百諸侯と同じです。
 じゃあその総元締め、将軍家にあたるのは何なのかというとそれはオオクニヌシであり、国津神であり、個人的に「オオ王権」と呼んでる統一国家です。オーでもいいけど。

●よく気になる土地見てると、AT・ASのつく地名のそばに「おお」がつく場所が多いんです。越前大野だの、原発のある大飯(おおい)だの、出雲意宇(おう)、大田市、京都の山奥にある大見、琵琶湖のある近江国、阿波麻植(おえ)、そして大分県です。大国主もそうだし、越前出身の継体天皇の名前も「おほどのきみ」でしたな。
 この「おお」「おほ」「おう」というのは大きい、多い、グレートという意味のほかに別の意味があったんじゃないかと。

●で話は飛ぶんですが、珍敷塚古墳の壁画見てて思ったのは、何だか日本的じゃないなという事です。よく言われるようにエジプト、もしくは先史アメリカ文明を連想させる。右にある円筒状のものは矢を入れる靫(ゆぎ)だというけど…ほんとにそうかなと。でかすぎねーかと。家じゃねーのかと。
 んでもって左にあるのは船ですね。頭上に太陽を戴いた葦舟です。つまりラーの舟ですよ。
 でどこに向かうかというと死後の楽園、すなわちアアルです。別名ヤールともいうらしい。

●古代日本にはヒメヒコ制といって、男王(トネ)にはたいてい女王(トメ)がセットになってる。そのトネ・トメによる共同統治がふつうでした。これって何か思い出しませんかね。つまり古代エジプトのファラオと同じなんです。
 古代日本はエジプトと文化を同じくしてた、と考えなければ説明つかない事ばかりなんですが、ならエジプトから日本に伝わった文化なのかというと違うと思うんです。エジプトも、先史アメリカも、日本も「ある」超古代文明の継承者だった。だから似たような文化を共有していた。どっちが先も後もない。みな平等なのです。

●それはともかくアアルの記述見てて思ったのは何となく日本っぽいなと。「或る者は15、或る者は20箇所など幾つかの関門」というのは大運河の関所を思わせ、「刀を持った悪霊」というのは関所に配された番人です。
「太陽が昇る東」にあり「ナイル川三角州の土地の様な葦原」であり、島が連なりトウシンソウが繁る野、しかもオシリス(冥王)が居るという。オシリスはオシラ様であり、現在でも恐山に祀られてると勝手に思ってるんですが…まあトンデモ的に。
 トウシンソウというのは畳の原料です。畳ったら畳です。日本固有の文化です。

●ここまで書くともうわかるかもしらんけど「おお・おう・おふ」=「アアル」なんではないかと。…最初はさすがに話が突飛すぎるかなと思ってたんすが、これだけ日本とエジプトの類似性を見せられると、そんな突飛でもないのかなと。
 しかもプント国の記事でもわかるように、古代エジプト人は「自分たちは東方から来た」と信じてたらしい。しかも初期のファラオがアジア的な風貌を帯びていたことは前述したとおりです。
 どうも古代のある段階まで、日本とエジプトの間にはある程度交流があったんではないか…という。じゃあどうやって往来したのか。例のユーラシア横断運河で往来したんですよ。そこで「幾つかの関門」に話がつながる。
 その交流はいつしか途絶えますが、それは後世のエジプトで「アアル」の楽園という伝説として残ったんではないかと。

●でもアアルなんて地名、日本のどこ探してもないですね。オオはあるけど。やっぱり思いすごしなのかな…と思ってたところ、あったんですね。それが冒頭の足利市です。
 足利一帯はむかし邑楽(おうらぎ)郡といわれてたそうな。でもって足利の足はもともと「葦」だったと思うんです。古代には海に面した扇状地だったかもしれません。しかも太田(おおた)市には由良町がある。つまりアアルの別名ヤールにつながる。
 つまりアアルというのは日本の両毛であり、もっといえば日光白根山麓(根の国)にある戦場ヶ原だった。というオチです。フダラク信仰=アアル信仰なんですよ。
 ……だから書きたくなかったんです。

●もうトンデモ話は書きません。
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