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土井平蔵の中庭

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渥美キヨシ

●そういえば「渥美半島」という肝心なの忘れてたな…と思って調べてたが、渥美というのは地名じゃなくて氏族名が由来らしいすな。
 むかし半島の先っぽに阿曇(あずみ)氏という海洋民族が住んでたから「渥美」らしい。

●阿曇氏の根拠地は福岡県の阿曇郷だというけど、ならそれ以前はどこにいたのかという。もう言うまでもないすね。あの新島兄弟の子孫は全国に散らばったんですよ。兄弟船ですよ。

●でも阿曇氏=アトランティス人なのか…という疑問が出てくるわけで。阿曇氏の由来がどこ探しても書いてないので。
 おいらが言うアトランティス人は紀元前50世紀とか60世紀とか…とんでもなく古い時代の人々なので。阿曇氏だと有史以後の話になってしまう。ずいぶん近い時代。

●阿曇氏が残した地名…阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海…。そういえばAS・ATの近くに伊豆田とか泉田って地名多いすな。やっぱり関係あったのかな。ひょっとしたら出雲なんかも阿曇由来だったりして…。
 以前書いた福島県の安積平野もそうなのかな。こっちはアサカだけどね。やっぱりATとASは相互変化するんですよ(確信

●また日本に移住してきた民族は一つや二つではなく、それこそ何十もあったろうから、それらがゴッチャになってワケわからなくなってるので。たとえば…

①三皇五帝に討伐された三苗氏(長江文明)の移民が逃れてきた説
②殷によって滅ぼされた夏(これも長江文明)の民が逃れてきた説
③春秋戦国時代の呉越戦争から逃れてきた江南人説(後期縄文人?)
④秦によって滅ぼされた楚の残党説
⑤韓信によって滅ぼされた田斉の残党
⑤徐福説
⑥陳勝・呉広の乱の残党(古墳の技術者?
⑦呉楚七国の乱で敗れた王家の残党
⑧前漢から後漢に推移する混乱期における避難民
⑨三国時代の混乱期における避難民
⑩白村江の戦い以後における朝鮮半島からの渡来民

●思いつくまま書いてみたけど。どれも大量の移民が発生する可能性は高い。とりわけ⑥の陳勝・呉広の乱をおこした主体は、始皇帝による陵墓・阿房宮造営における労働者集団であり、その数は70万人もいたという。それが一度に逃散したとなると、そのうちのごく少数が日本に渡ってきてもおかしくない。
 そういう集団が日本に「古墳」や「埴輪」の技術をもたらしたのではないか…。つまり始皇帝陵とか兵馬俑を作ってた人々。
 そういう人々が「秦氏」を名乗っていた可能性もある。

●また弥生人の骨格を調べると春秋戦国時代~前漢の斉人(山東半島人)と一致するらしいすな。
 たまに日本人で、中国とは関係なく田(でん)さんという人いるけど、あるいは田斉の末裔だったりして。知らないけど。

●阿曇族がどこに属するのかは知らないけど、想像ではよほど古い一派みたいすな。それこそ縄文時代から居たんではないかと思われ。
 船で日本中を旅してまわり、あちこち開拓して地名を残しつつも、それで日本を一円支配してたという形跡はない。開拓するだけ開拓するとあとは地元の人間にそれを委ね、自分らは海上交易にいそしんでたような気もする。どこか坂本龍馬的であり。
 中国式中央集権的な観点からすると「王」という概念からは遠いが、古代日本的な観点からするとそれが「王」のあり方だったのかもしらない。

●縄文時代まで日本にはカモ族とかアヅミ族とかがいて、それらが仲良く共存してたけど、弥生時代になると兵器を携行した戦闘的な連中が入ってきたようすな。いわゆる天孫系の人々。それで「倭国争乱」となり戦闘で負傷した人骨が多くなる。
 アヅミ族もそういう中央集権的天孫族の王権に組みこまれ後に長野の安曇野に移住したらしい。その後は知らず。
 あるいは漁師さんとか海女さんとかはその末裔なのかな。という想像は楽しい。
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