忍者ブログ
土井平蔵の中庭

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

チバ‐‐‐‐‐‐‐‐

●成田周辺に古墳作ってた人たちが「約束の地」としてずっとそこに住んでたかって、住んでなかったと思うんですけどね。東北や北海道にもユダヤ人の形跡って残ってるので。とりあえず古墳時代のある時期は成田が「カナン」の地だったろうと。

●古墳時代の終わりごろに蘇我氏が台頭して秦氏の勢力が退潮したあとに「仏教」ってのが出てくる。仏教は偶像崇拝であり偶像崇拝否定のユダヤ教とは相性が悪かったんでしょうね。人間や動物をハニワにする事はあっても「神様」は絶対ハニワにしなかったのを見てもわかります。だから仏教勢力からは迫害されたんでしょう。

●じゃあどこへ行ったのか。修験者(天狗)になって山にこもったのか。東北へ行ってアテルイになったのか。マタギとかアイヌ人になってシカリになったのか。シカリってのは熱心党の主要勢力もシカリ派って言うすな。そうすると渡来したユダヤ人がどんな人たちだったかわかりますね。独立運動に参加した…日本でいえば天狗党の残党みたいな。

●じゃあどうやって日本に来たのか。ユダヤ人って地中海側の人なのでインド方面に行くにはペルシャ湾か紅海に港湾をもつ勢力とコネを作るしかない。そこで前に書いたヒムヤル王国が出てくるわけで。ヒムヤルってどこよりも先駆けてキリスト教化した国なのでユダヤとのつながりは昔から深かったんでしょうね。つまりヒムヤル王国の交易船に陪乗させてもらったんではないかと。「陪乗」だから他にも色んな国の人が乗ってるわけで。
 だから日本に残るユダヤの痕跡って、ユダヤだけの一要素だけではなくて…エジプトとかエチオピアとかペルシアとか色んな要素が混入してますな。まるで七福神みたいに。

●インドについたら川を遡るわけでね。エリュトゥラー海案内記のこの地図だとインダス川のルートしか書いてないけど、もっと東にはジャムナ川という大河があるんですよ。そこを遡るとすぐに中国に入れてしまう。そのあとは長江を下るわけです。つまり中東を出てからほとんど歩いてないんすよ彼らは。雲南の山々は険しかったろうけどね。

●千葉氏の話を書こうとしたけど前置きが長くなってしまった。
 つまり妙見信仰=北極星信仰=遠洋航海民ということを書こうとしたのでね。古い北極星の名前をアラブではThubanっていうんですよ。歳差運動によって紀元前後では現在のポラリスの位置に移ったそうだけどツォバンという名前は北極星の古名として残ってたんでしょうね。
 んでもって千葉の家紋も妙見と月ですね。これって偶然なのかねという。

●千葉氏は桓武平氏だとか言われてるけどそれはリーダーの話であって構成員はそうじゃなかったろうと。千葉氏何万騎だか忘れたけど。
 その何万騎だかが…尾羽打ち枯らした源頼朝にまっさきに協力して天下統一に貢献した。ってことは鎌倉幕府の中核軍事力って…いや武士政権ってそもそも…という話ですよ。
 牟邪=武者。幕府=幕屋です。おわかりですね。

●短く書こうと思ったら意外に長くなってもーた。
PR