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土井平蔵の中庭

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アンドロメダ

●例のヒムヤル王国についてくだらない話。

●彼らはインドと交易してたっていうけど、インドまで行ったら当然、そのさらに東方の国のことも聞かされたでしょうね。
「東には秦だの漢だのという国があり…」
 そしたら「行ってみようかな」という気になる。で行ってみる。そしたら「さらに東には倭という島があり」という事を聞かされる。で行ってみる…。

●ぶっちゃけゴアで日本人のヤジローと出くわしたザビエルさんと同じ要領です。こういう事が紀元前からあったんじゃないかなという話で。

●ヒムヤル王国はギリシア・ローマの知識を持ってたと前回書きました。ローマ風のコインを鋳造してたり。
 とするとギリシア・ローマの真似をして「いっちょ自分たちも植民都市を作ってみようか」という気に…ならないすかね。
 そのいくつかが東アジアのどこかに…。

●後漢の桓帝の時代に大秦王安敦(アントニウス)の使者が貢物を献上してきた。でもその貢物の内容が象牙だの、玳瑁だの、サイの角だの、南方系の品々ばかり。しかもローマ側に「中国に使者を送った」という記録がない。おまえら…何者だ!

●話によると東南アジアの小国がローマ皇帝を自称して漢と通商しようとしてたという。
 つまり東南アジアの人はローマのことを(しかも同時代の皇帝の名前を)知ってたんですよ。彼らはどうやってローマの情報を得てたんでしょうね。

●とすれば当然「シーザー(カエサル)」の意味も知ってたでしょうね。皇帝をあらわす称号。これを自称してた王がいた…。まさかの北九州に。
 帥升→すいしょう→しーしょー→シーーーーーザーーーーー!!!(滝涙)

●いや実際弥生人(青谷上寺地遺跡)のDNA調べるとベトナム方面から来た人(ハプログループB)多いんですよ。つまりローマの知識をもってたであろう人々。
 彼らはいわゆる「海人族」と呼ばれる人々となって日本各地に植民都市を作ったんじゃないかという話でね。
 蘇我氏なんかも噴水つきのローマ庭園つくってたでしょう。あの蘇我氏というのも…。

●あとなんだっけ…。越とエチオピアの関係を書こうとしたけど長くなるので止す。
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