カツゲン
歴代天皇のラテン語表記
まあネタだろうけど、よく考えるなという。もし日本がギリシア・ローマの可視圏にあったらこう書かれてただろうなと。
●でもネタにしてはできすぎた例もあるんですけどね。
応神天皇(オーヅィン。Odzin)というやつです。
伊豆下田では応神天皇=大三王子だという信仰があると以前書きました。大三はダイサンと読むけど訓読みだとオーミですね。この大三王子が最終的に住んだところがそのまま近江(オーミ)です。近江の多賀宮という場所。
それはともかくオーディンの別名もオーミなのです。
応神天皇=大三王子=オーミ(オーディン)…ほんと出来すぎてて怖い。
●で、急に話飛ぶんですけどね(ぇ
トゥルクで車輪といえば高車国というのがあったすな。紀元後の遊牧民は車輪つき戦車に乗ってるというイメージ無いんだけど。というか中国とかヨーロッパでも乗らなくなってる気がする。馬車とか荷車とかではあっただろうけど。
ふつうに馬に乗ってるほうが速いし楽という事に気づいたのかね。その辺が日本に戦車がなかった事につながる気がする。牛車とか山車ではあるけどね。
●この高車国。もとは丁霊という民族。トルコ語の車輪(テレゲン)を音訳して丁霊、もしくは丁令というらしいんだが…。そもそもトルコって車輪って意味だったかもしらない。
記事の地図見ると丁令族はシベリアのバイカル湖からアラル海という広範囲に住んでおり、その分派である鉄勒(てつろく)族は遊牧民最大の人口を擁してたという。
…と言われても高車国自身が書き残した歴史がないので実感として湧かないすな。そ、そんなもんかぁ…と。
●で、その高車国の風習を見て「ん?」となったんですがね。稲妻が落ちたところに遊牧民が集まって儀式的なことをするという。稲妻信仰?
という所でなんでかタケミカヅチという名前が浮かんだんですけど。建御雷神。
稲妻の神であり、剣の神であり、相撲の神である。相撲…といえばモンゴルっしょ。
●紀元前後の日本はカモ族・アタ族による共同統治でまったりしてた(?)んでしょうけど、途中から第三の要素が入ってきますね。
アマテラスによるタケミカヅチとフツヌシによる、いわゆる天孫降臨です。以前からこの天孫族ってどっから来たんだろうな…と思ってたんですけど。まあ神話だろうと。
●でもその天孫降臨を境に…日本のノリが変わるんすな。それは銅鐸と埴輪を見比べればわかります。
銅鐸ってのは土着の倭人が持ってた文化ですが、そこに描かれてる絵を見ると狩猟採集なのです。弓を持って鹿を追ってる絵が多い。
で、誰一人として馬に乗ってる人がいない。というか馬がいない。
●でも古墳時代の埴輪を見ると、馬が出てきます。でもってその装束もどこか遊牧民っぽい。明らかに漢民族とは違います。
かぶってる帽子も、漢人がかぶってる冠とは違いキルギス人がかぶってる帽子に似てる。つまり古墳時代の埴輪とは外来の遊牧民なんじゃないかという話で。
●…まあここまで書けばわかるだろうけど天孫族というのは丁令族なんじゃないかという。丁令はテレスとも言われるそうな。テレス=アマテラスです。
しかも丁令が住んでたバイカル湖周辺には古墳があるけど、朝鮮半島には無い。例外として半島の南端に古墳あるけどあれは任那地方であり日本人が造ったもんだろうと言われてます。
それがぴょんと海を飛びこえて日本にある。まるで丁令族はバイカル湖から一直線に日本にやってきたような…つまり最初から日本を征服するつもりでやってきた感がある。
●そういえばスサノオってアマテラスの弟ですよね。だとしたらスサノオも丁令族だったかもしらない。
それが大昔、海を渡って日本に移り住んだ。アマテラスはその事を思い出して、タケミカヅチとフツヌシの将軍を呼び、
「むかしスサノオが渡っていった倭という島に行って、ひとつ征服してこい」
と命令したのかもしらない。空想です。
●この丁令(テレゲン)が後に匈奴の構成員になり、高車国になり、キルギス人になり、ユーラシアのあちこちに散らばっていった。…と考えると北欧と日本で似たような伝説があるのも不思議じゃないという気がします。それで応神とオーディンが結びつくわけで。
まあ丁令の要素だけで全部解決するわけじゃないだろうけど。アタ・カモ族だって外来の民族かもしらないし。というかカモ族が天孫族かもしらないし。
●で何だっけな…タケミカヅチは剣の神だという話。その剣とはおそらく鉄剣であり、その時に「鉄器文化」ももたらされたと思われます。
剣(ツルギ)の神。すなわちトゥルクの神。
テレゲン!!(ぇ
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