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土井平助の中庭

眉山

【地理よもやま】石川県が人口日本一

石川が日本一…あれは加賀百万石があったせいかね。そんだけ大人口を擁することが可能なほどのコメ生産があったって事か…。

というか明治ごろの上位見ると新潟、愛媛、兵庫…なんか「西廻り航路」の通過点が多い気がし。
よっぽど西廻り航路って金のなる航路だったんすな。ほんとに日本海側の時代。

それがほんの50年で太平洋側に主軸がうつる。んでもって東京と大阪が肥大化する。

まあ鉄道のせいだろうけど…こんなに"数値"として如実に出るもんなんすな。
明治人が受けた「鉄道ショック」っていかばかりかという。

日本人は首都崇拝が強いっていうけど…それって明治以降の…鉄道ができた後にその傾向が強まったんじゃないかと思ったりもし。
江戸期はまんべんなく人が住んでた感じするんだけどね。

【鉄道よもやま】学生が多い街

高尾行で学生さんの多い町…ってどこだろ。
中野、吉祥寺、三鷹…ひょっとして国立か…ってやってたけど中央線って掘割な駅ないすな。
ちょっとオモロい発見。

てことは新宿より東ってことかね。まあ学生さんが多いってんだから御茶ノ水だろうけどね。
個人的には楽器の街ってイメージあるけどね。ディスクユニオンも駅前にドーンと鎮座してるし。

あすこは千代田線、丸の内線…ちょっと離れて新宿線・三田線も走ってるし…地味にターミナルな駅よね。
JRしか見えてないとそういう事に気づかないこと多し。

【歴史よもやま】蜂須賀小六の風評被害

「(蜂須賀)茂韶が宮中に参内して応接室で待たされたとき、ふと卓上にあった紙巻タバコを1本失敬したところ、やってこられた明治天皇がそれに気づかれ、諧謔をもって「蜂須賀、先祖は争えんのう」と嬉しそうに茂韶をながめられたという」
(wikipediaより)

蜂須賀小六が夜盗だったというのは軍談とか講談の話だろうけど…戦国時代は小六さんみたいな人多かったんでないかな。

小六さんが子分をひきつれてドヤドヤと矢作橋を渡ろうとしたら…ちっこい小僧が橋の真ん中で寝てる。
「小僧、どけ」と蹴って起こしたら、その小僧が「なんだ気持ちよく寝てる人を足蹴にしよって、謝れ!」「ホウなかなかこの小僧は度胸のある」…という話あるけどね。
戦国時代に矢作橋はなかったそうだけど。

秀吉と小六の関係はあくまで大人になってからのビジネスの関係で…後年の小六さんも"盗賊の首領"にしては大人しい感じの人だし。
なんにしても歴史的資料が伝聞、言い伝えしかないとそうなる。

そういう風評被害で苦しんだのは佐賀藩も一緒すな。あすこは「化け猫」というイメージがあって藩士はよくイヤミを言われたらしいし(笑

おしまいemoji
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ミンダナオ

【鉄道よもやま】低い銀座線

これはよほど地下の低いトコ走ってるって意味か…クオリティ的なこと言ってるのかと思ったら天井が低いって意味らしい。
まあグッと迫るような感じするけどね銀座線。その妙な重厚感とあいまって…。

銀座線だけ新幹線とおなじ標準軌だというのでよほど車体とかデカいんだろう、たくさん人とか載せるんだろうと思ってたら…車幅は半蔵門線とあまり変わらず。
しかも天井低いときたもんだという。詐欺だか何だかという。
日本初の地下鉄なだけに当時「世界標準に合わせなきゃいけない!」という先入観でもあったのか。

なので他の路線との直通もならずという。地下鉄なのに新交通システム的な存在感なのはそのせいか。銀座線だけ強固な特異感を放ちつつ。

渋谷からわざわざ山手線で新橋・上野まで行ってる人いるけど…銀座線という選択肢もありますよ…速いし料金もあまり変わりませんよという余計な豆知識。


【歴史よもやま】戦国大名の異名

大六天魔王…信玄さんが「天台座主沙門」という仏界の代表みたいな名前の書状よこしたので、信長さんは「大六天魔王」という名で返信したという。
信長さんは古い権威とかブチ壊しまくってホントに魔王みたいな存在だったけど…それはどういう経緯でそうなったのかな。
考察すれば色々出てくるけど長くなるので割愛。

異名で好きなのってあったっけ。津軽の梟雄…といえば津軽為信。山陰の麒麟児といえば山中鹿之助。鬼島津といえば島津義弘。
鬼の〇〇って異名は多すぎるんだけどね。鬼の義重、鬼武蔵、鬼柴田、井伊の赤鬼、丹波の青鬼…強かったらとりあえず鬼つけとけという。

山内上杉家の家宰である長尾景仲の「関東不双の案者」ってのもいいすな。当時は知恵者のことを案者といい。
その孫の太田道灌と長尾景春は「案者」の血を濃厚についでしまったらしく双方知勇をふるって関東を騒乱のるつぼにしちゃったけど。

初鹿野信昌って武田家の武将は「香車の伝右衛門」って異名があって…陣羽織の表に「香車」、裏に「成金」と書いてたっていう思い出し。アレカッコいいすな。

でも一番好きな異名は北条綱成の「地黄八幡(じおうはちまん)」かね。
思い出してたらキリがなくなったのでやめる。

【歴史よもやま】日本人がキリスト教に対して排他的

なんか日本だけが鎖国してたみたいなこと書いてるけど…あの当時は清・朝鮮ともに「海禁政策」をとってて日本はその流れに乗った形という。
おかげで3国間はなんの争いもなく250年間平和を謳歌していた奇跡の時代。おなじ民族同士で殺しあってた絶対主義の国々とは対称的であり。

ときにマゼランさんは船で世界一周しようとしたけどフィリピンで「原住民」に殺されたって話になっており。今はどうかしらんけど。
でもよくよく調べるともっと現地の政治的な事情が絡んだ話なのよね。

マゼランさんは現地の王と仲良くなって国内をキリスト教化しようとしたけど、それに抵抗する勢力(ラプラプ王)というのがあり。
そのラプラプの軍勢1500に対してマゼランの手勢50人。そのときマゼランさんが言った言葉。

「諸君、われらの敵であるこれらの住民たちの数に恐れをなしてはならない。神が我らを助け給うであろうから。諸君思い出すがよい、あのエルナン・コルテス隊長がユカタンで200人のエスパニャ人でもって、20万30万の住民らを撃破したことを我々が耳にしたのはつい最近のことではないか」(wikipedia)

スペイン人は少なからずこういう発想だったという話。そういうアブナイ連中が戦国末の九州にいっぱいいたわけで。日本もちょっと弱ってたらアステカ・インカのようになってかもしんない。
よくぞ秀吉さんと江戸幕府は鎖国してくれたもんだと思いつつ。

おわりemoji

梅屋敷

【X拾い物】16色グラフィック

まあ美女ゲーはやったことないけど…いやあるっけ。人が持ってたのコp(略
ていうかああいうゲームやってると眠くなるのよ…なんでか。当時は三国志とか信長の野望ばっかしやってたすな。

90年代ごろああいう美麗グラフィックなゲーム増えたすな…ある時期を境に。
使える色数が増えたわけじゃなくて8・16色のまんまでという。
3原色で無限の色を表現できるなら…8・16色ならなおさらじゃないか! という事にどなたかが気づいたのと思われ。

理屈としては初期のころから知られてたけど…実際の描画でそれをやろうという人がいなかったのかね。
互い違いに色違いのドットをテンテンテンと打ってくという…気の遠くなるような作業。

前世紀の土井さんもやってたんだけどね…真似事みたいな感じで。
すぐ256色→何万色ってパソコン出てきたので一過性のものだったけど。

にしても近ごろドット絵エディタが現行で出てるの見たんだけど…あれは砂漠の蜃気楼か。

【地理よもやま】八ヶ岳山麓

あすこらへんの地形はふしぎなのでよく見てたけどね。河岸段丘…とも違うし…なんだろなという。
八ヶ岳にむかってずーっとなだらかな斜面…というかテーブル状の台地が続いてる地形。
あのテーブルの上に縄文遺跡が散在してたりして。まあ色んな意味で興味深いトコ。

山体崩壊の結果なのかぁ…という。八ヶ岳が崩れたのかなと思ったら…10万年前に古阿弥陀岳(3400m)という富士山なみに高い山があり、それが崩れたんだと。
清里とか野辺山とかもその崩壊跡の地形っぽいわね。標高高いけどのっぺりしてるという。

似たようなトコで武蔵野台地ってあるすな。あれも西の山岳地からドバーッと土砂が流入・堆積したような地形だけどね。
大陸みたいな大平原のない日本では…ああいう土砂の堆積した扇状地みたいなのが唯一の「平野」

【地理・鉄道よもやま】京急沿線の人は品川・横浜のどちらに行く

あらオモロいすな。前に東横線バージョンあったけど。
だいたい雑色・六郷土手あたりで半々に分かれる感じすな。後者は都内なんだけど…地図で見ると横浜に近いのね。
で多摩川を渡って川崎入るともう横浜一強。どんだけ磁力強いんだと横浜。

ていうか京急の各停ってめっちゃ遅くて品川まで行くと日が暮れるので…おなじ遅いなら横浜行ったほうがいいという感じかね。
品川と横浜を心の中で比較衡量すると…あら品川負けてるという。
京急って浅草線直通なので銀座通るよね…それでも横浜強いのか。ダメか銀座パワーでも(笑

京急はね…北総線入ってから鎌ヶ谷とか印西ニュータウンとかの大型商業施設の充実したトコあるので…広くてのんびりした雰囲気を求めたいなら千葉オススメです(遠いけど

*品川行くだけなら東海道線&京浜東北線もあるのでわざわざ京急(各停)乗る必要ないって理由もあるのかね。

ぶーぶーemoji

猫の踊り場

【地理よもやま】千葉市から筑波山

千葉市から見えるのか…まあ東京から見えるぐらいだからね。埼玉からも見えるし。
あの王子の「飛鳥山」って桜だけじゃなくて…筑波山がよく見える名所としても有名だったらしい。
今でいうデズニーランドみたいなもんかね。

いったい筑波のみえる最遠ってどこなんだろうと思ったりし。群馬でもビルの上からなら見えるかな。

でもヨソの土地で筑波が見えると「あっ筑波山だ~♪」と喜ぶのと同時に…なぜかキュンと切なくなるのをいかんせん。
筑波山って茨城のものだけじゃないんだ…ヨソにはヨソの筑波山があるんだという。同じ人だけど違う人みたいな…よくわからんけど。

こういうのは富士山を見慣れた…静岡・山梨の人でもあるのかなとか思ったりし。
東京来た時とかに見えると…キュンと切なくなるのかなと(^^;

【鉄道よもやま】東横線各駅の人は渋谷・横浜のどちらに行く

こういうこと地図見ながらボンヤリ考えてたことあるけど…こういうデータがあったのね。
どうやって集計したのか知らんけど。

沿線の人ってどっち行くのかなという。京王・西武とかは新宿・池袋の力が強すぎるのでどうしても都心集中だろうけど…東横は「横浜」という強力な磁場があるので…南北で均衡しちゃうんじゃないかという。
と思ったらなんか想像どおりなデータという。やっぱし武蔵小杉で半々に分かれるんだろうなという。あすこは神奈川"都民"だそうだから。

「神奈川県内での絶対的優位性と、都民に対する劣等感がせめぎあってる場所」とかいう記事あったすな…オモロいこというなと。余談ながら。

菊名がピョコンと渋谷寄りなのはFライナーの影響かと思われ。
横浜線沿いの人があすこからFライナー&急行にでも乗りかえるのかしらん(横浜行くならそのまま横浜線で直通

【地理よもやま】横浜の恐ろしさ

なんでか横浜ネタが続くけど…そんな横浜近辺って詳しいわけじゃないんだけど。
Xの記事ってアッチ側の記事多い気がするんだけどね。やっぱし人口比がネットの世界にも出るのか。
そら少ないわな常磐線ネタ(^^;

二俣川ってなんの用事が…と思ったら免許センターあるのね。辺鄙なトコにあるのはどこも同じね。

「崖からわが子を突き落として這いあがって来た者だけを…」ってのを見てもあまり驚かないというか。
まあそれぐらいしてるんだろうなという。

むかし東京人と横浜人が集まってるのを見たことあるけど…どう見ても横浜の人のほうが「都会的」に見えたもんな。
なんかその場を仕切ってる感じで。都民なんかどこの武蔵野の田舎モンだというぐらいの。
ホントその人のまわりだけ爽やかな「港の風」が吹いてる感じ。そら崖から這いあがってきただけあるなという(ぇ

横浜は崖に事欠かないしな(笑

*あくまで土井さんの個人的な感想です

おわりemoji

奇妙丸

【歴史よもやま】トンボと神武天皇

ある一点だけを切りとって人間性云々ってのもね。近ごろ多い気がするけどそういう論調。

神武天皇が奈良を制圧したあと…ある山の上から奈良盆地を見渡して「わが国はトンボのトナメのごとし」と言った話。
どこの山か…って畝傍山だとか国見山だとか色々説があるけど。
トナメって何か…ってトンボの交尾という…さっきの論調からいうとどういう人間性かと思うけど(いちおう現人神

と思ったらトナメって菱形に近い楕円のような形をいうらしい。
奈良にそういうトコあったっけ…って探すと無いのよね。奈良盆地全体をさすのか…ある部分をさすのか。
なんか中洲みたいな地形を想像するけど。

むかしの奈良盆地って大きな湖だったっていうから…巨大な中洲みたいな島もあったのかね。

ずっと前に「邪馬台国徳島説」って話見てて…そのあと地図見てたら…徳島にそういうトコあったのよね。吉野川の中洲だけど。
ほんとに楕円に近い菱形してる地形。善入寺島だか。
その島を一望できる山もまわりに多数あり。

邪馬台国=徳島かどうかは知らんけどね。治水が未成熟だった古代はトナメみたいな地形多かったのかもしらず。

【鉄道よもやま】明治の品川駅のカラー版

これと同じネタ書いたことあるけどこっちはカラー版ね。ローカル線行くとこういうトコ今でもありそうな…。
当時の品川駅って今よりもっと南にあったそうだけどね。北品川あたりかね。

今とくらべると駅舎がずいぶん貧相だけど…あれでも洋風建築だからね。当時はナウく見えたんじゃないすか。
ああいう連絡通路って江戸時代にはなかったろうし。「こんなデカいものがあっていいのか!」的に圧倒されてたとか…知らんけど(笑

まあ当時にタイムスリップしたら…あの海岸のトコにすわってボーッと海でも見てるんだろうなと。
んでもって現代に帰ってきて、おなじトコに座って「あぁ…ここが海だったんだなぁ」とか感慨にひたってるのかな…という愚にもつかない妄想話。

【歴史よもやま】信長の土地調査

んーと…ナントカ検地…ってド忘れ。指出検地ね(返信コメ見ながら
柴田勝家が越前を制圧した時に実施したって話をなんかで見て憶えており。前田利家だっけ(笑

ていうかそれ以前からどっかでやってるのかね。ていうか信長が最初なのかしらん。

と思ってWikipedia先生見たら北条早雲が最初らしい。やっぱし戦国大名ってそれ以前の守護大名とはなんか違うすな。
「数値」という具体的なもので所領を管理したいという…ちょっと商人的な発想が入ってるというか…。
あるいは律令時代へのちょっとした回帰現象か。

でも北条早雲のソレも一時的・局地的なものだったらしく…それ以後はずーっと信長まで空白期間。
信長さんはまさか早雲さんのマネをしたわけでもなかろうし。時代の要請だったのかな。

信長の側室だった生駒吉乃って人は実家が商人で…本人も行商集団を抱えてそうとう小金持ってたというので…信長さんも吉乃さんから影響を受けてた可能性。
信長さん吉乃さんにメロメロで彼女の言いなりだったらしいすよ(^^;
検地だの楽市楽座だの関所撤廃だという発想も吉乃さん由来だったりして。

ちなみに吉乃さんの行商集団の頭みたいなことしてたのが木下藤吉郎だという説もありつつ。
完全に余談。

これから3日に1ぺんぐらいにします日記emoji